幕間:マノンの決意
それは、スタンピード発生の数日前のことだった。
「──で、最近のマエリスの進捗はどうなんだい、先生?」
執務室の革張りの椅子に深く腰掛け、当主ミシェルは静かに問いかけた。
机の上には、娘が実験で吹き飛ばした庭の修繕見積書が置かれている。ミシェルはその数字を眺め、ふぅ、と小さく息を吐いた。
「んー、一言で言えば『異常』だねー」
対面のソファで、エレノアは楽しげに紅茶のカップを揺らす。
「今は骨董品になってる魔法陣の活用。そしてあの『ホバークラフト』の開発。発想が既存の魔法体系から逸脱してるよー。あの子、本当に四歳?」
「……血筋、というだけでは説明がつかないな。あの発想力は、我々夫婦のどちらにも似ていない」
ミシェルは冷静に分析する。 親として誇らしい反面、賢者としての知識が、娘の異常さを警鐘として鳴らしているのだ。
「しかし、心配なのはその方向性だ。あの子は、何と戦おうとしている?」
「……『もしも』、だよー」
エレノアの金の瞳が、スッと細められる。
「あの子は常に最悪を想定してるよー。自分に力がないことを理解しているから、知恵と道具で埋めようとしてるんだー。
……ま、その『道具』が、人を殺せるレベルの爆弾だったりするんだけどねー」 「……やはり、そうか」
「安心してよー。制御は教えてるから。
あの子はねー、守りたいんだよ。自分、家族、そして──」
エレノアが言葉を続けようとした時、重厚なドアが控えめにノックされ、隙間から小さな顔が覗いた。
「……パパ? ママ?」
現れたのは、純白の髪を持ち両目を布で隠す幼女──マノンだった。
自分の背丈ほどもある大きなクッションを引きずり、不安げに執務室を見渡している。
「──マノン? どうしたの? 一人?」
エレノアの隣に座っていたシャーロットが、優しい声音で招き入れる。
マノンはトテトテと歩み寄ると、シャーロットの足元で立ち止まった。シャーロットは彼女を抱き上げて膝の上に乗せる。
「おねえちゃ、いないの」
「ああ……マエリスなら、外で訓練中だ」
「おねえちゃ、ずっとお外でドンパチ。マノンと遊んでくれない」
「今は追い込みの時期だからねー。ごめんねー」
エレノアが苦笑する。
マエリスはここ数日、時間に追われるように作業に没頭している。マノンとの時間を削ってでも、スタンピードに備えなければならないと思っているのだろう。
「マノン、寂しいか?」
ミシェルが問いかけると、マノンは少し考えてから、フルフルと首を振った。
「……ううん」
「ほう?」
「おねえちゃ、マノン守るって、頑張るって、言ってた。
だからマノン、我慢する」
健気な言葉に、両親は目を細める。ミシェルはゆっくりとマノンに歩み寄り、マノンの頭を大きな手で撫でた。
「そうか。マノンは強いな……マエリスもお前が大切だからこそ、必死なのだろう」 「うん……でもね、パパ」
マノンはミシェルの服の裾を、小さな手でギュッと握りしめる。
「マノンも、おねえちゃ、守りたい」
「……」
「おねえちゃ、いつも怖い顔。痛い痛いしないか、心配なの。
だからマノンも、強くなりたいの」
まだ三歳になったばかりの、守られるべき存在。アルビノというハンデを背負った少女。
だがその瞳には、姉と同じような、理知的な光が宿っていた。
「……その言葉、忘れるなよ」
ミシェルは短く告げ、マノンを抱き上げた。
「マエリスが戻るまで、私が本を読んでやろう。寂しさを紛らわせるくらいはできる」
「あら、私が読むわよ。貴方の声は固いもの」
「ほんと? パパ、ママ、ありがとう」
マノンが嬉しそうに微笑む。
シャーロットもミシェルも愛おしそうに娘を見つめ、平和な時間が流れる。
だが、エレノアだけは──興味深そうに、マノンの額を見つめていた。
(……おやー?)
エレノアの眼が、微かな違和感を捉える。マノンの前髪と、姉が贈った特殊な目隠しに隠れた、白磁のような額。
そこに一瞬、魔力の揺らぎのような、あるいはもっと別の『何か』の気配が走った気がした。
「マノンちゃん、おでこ痒くないー?」
「? 痒くないよ?」
マノンはキョトンとして、自分のおでこをペチペチと叩く。今はまだ、何もない。ただの白く綺麗な肌だ。
「そっかー。ならいいんだー」
エレノアは微笑んで、紅茶を飲み干した。
(姉が『特異点』なら、妹もただじゃ済まないかもねー……この姉妹、将来が楽しみだー)
「パパ、これ読んで! 勇者様のお話!」
「いいだろう……昔、これと同じような冒険をしたことがあるな」
「あら、またそのお話? マノンが飽きちゃうわよ」
平和な昼下がり。嵐が来る前の、静かで温かな時間。マエリスが必死に守ろうとしたこの光景こそが、彼女の戦う理由だった。
(せいぜい足掻きなよ、マエリスちゃん。
君が守りたいこの平穏のために──私の授業、無駄にしないでよねー?)
窓の外、遠くで響く爆発音を聞きながら、エレノアは楽しげに目を細めた。
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