爪痕
そこは、なんとも形容が難しい空間だった。
昼のような眩い光と、夜のような静寂な闇が、水に溶いた絵の具のようにマーブル模様を描いて入り混じっている。
頭上には星のようにも雲のようにも見える靄が一面に広がり、足元は水面のようにも草原のようにも見える景色が、どこまでも続いていた。
重力も、痛みも、暑さも寒さもない。
目を開けたマエリスは、ここが死後の世界なのだと本気で思った。
「違うよー。ここは、私の家だよー」
「……エレノア?」
すぐ隣から声が聞こえて、マエリスは横を向く。
そこには、いつものドレス姿のエレノアが、空中に寝そべるように漂っていた。その金の瞳と視線がぶつかる。
「誰かを招くなんて初めてだから緊張しちゃうなー。お茶菓子でも食べる? どれだけ食べても太らないよー」
「お構いなく……ボク、死んでないの?」
「一歩手前で踏みとどまってるところかなー。今は私が治療中だよー」
そのための私の家、とエレノアは言う。
「本当にびっくりしたよー。マエリスちゃん、あんな攻撃を隠してたんだねー」
「いや、あれは……あまり使いたくないというか……」
「だろうねー。あんなの個人で制御できる力じゃないもん。青い太陽なんて、神話でも聞いたことがないよー」
いつぞやのように、エレノアはマエリスをぬいぐるみのように抱きかかえた。
その温もりが、ここが夢ではないことを伝えてくる。
「私が助けた時もねー、マエリスちゃん全身酷い火傷で、炭化する寸前だったんだからねー。本当に私に感謝してよねー」
「それはもう。本当にありがとうございます、命の恩人です」
「よろしー」
エレノアは満足げにマエリスの手を弄ぶ。
「……ねえ、スタンピードはどうなったの?」
「無事終息したよー。イレギュラーの『魔王の影』のお陰で、他の魔物は弱い割に数が少なかったしー、『魔王の影』も逃げたから、犠牲者は42人だけで済んだよー」
「え、逃げたって……倒せてないの!?」
至近距離での核攻撃。自信があっただけに、マエリスは驚愕した。
「そうなんだよねー。全身粉々のドロドロになってたのにー、それでも動いて逃げていったよー……まあ、逃げること自体が、スタンピードの魔物としてはおかしな行動なんだけどー」
「そ、そっか……」
「あ、後遺症が残るような人はいないよー。一応、犠牲者にマエリスちゃんの知り合いはいなかったと思うけど確認するー?」
「……いや、大丈夫」
エレノアは「42人だけ」と言ったが、マエリスからすれば「42人も」だ。
自分の行動で、犠牲者は減らせたのか。それとも意味はなかったのか。
答えの出ない問いが胸に重くのしかかる。
「そーだ、後遺症ってことでマエリスちゃんに伝えておかなきゃ」
「え?」
「マエリスちゃん、短い期間で治癒魔法を受けすぎた上に、今回のダメージが深すぎたねー。体が魔法に慣れちゃって、抵抗ができちゃったみたい」
エレノアは申し訳なさそうに眉を下げる。
「もうこれからは、上級以上の高出力な治癒魔法じゃないと、まともに効果が出ないかも」
「あー……抗生物質の耐性菌みたいなものか……」
「それとー、私でもマエリスちゃんの足は完全に治せなかったよ。骨を治すのに精一杯で、神経が焼き切れちゃっててねー」
エレノアの手が、マエリスの両足に触れる。
けれど、マエリスには触れられている感触が薄かった。
「お屋敷で確認して欲しいけど、自力で歩くのは難しいかも。ごめんねー」
「……そっかー……マジかー……」
マエリスは自分の足を見つめる。
ショックがないと言えば嘘になる。二度と大地を踏みしめられないかもしれない。
だが──
(……ま、いっか。足ならホバーとかで作れるし……それに、家族が無事なら安いもんだ)
マエリスはエンジニアだ。機能不全なら、技術で補えばいい。
「あとはー」
「まだあるの?」
「あるよー。私の契約期間がそろそろ満了となりまーす」
「あ……」
そういえば、そんな時期だった。
激動の日々に忘れていたが、彼女は家庭教師として雇われていたのだ。
「もうすぐお別れだねー。それでねー」
エレノアは自身の唇に人差し指を当てる。
「私はいつも最後にー、気に入った生徒さんにはあだ名を贈ってるんだー。マエリスちゃんにも贈りたいってずっと思っててさー。色々考えたんだけど、やっぱりシンプルなのがいいよねー」
彼女は悪戯っぽく笑って、宣言した。
「ということで、これからは『リスちゃん』って呼ぶねー」
「……あだ名……リスちゃんか……」
マエリスだから、リスちゃん。
安直だが、不思議と嫌な感じはしなかった。
「そしたらボクは、これから『ノア』って呼ぶよ」
「へ?」
「エレノアのあだ名だよ。一方的に贈られるのも不公平でしょ?」
エレノアが、ぽかんと口を開ける。
そして一拍置いて、腹を抱えて笑い出した。
「あ、はは、はははは、あっはっはっはっ! 本当にリスちゃんは面白いなー! あだ名を贈られるのは初めてだよー!」
ひとしきり笑って涙を拭うと、エレノアは優しい顔つきになる。
「そうだ、せっかくだからリスちゃんの技術にも名前を付けてあげるー」
「技術?」
「『憤怒』の『魔王の影』相手に正面から戦えたんだから、名前がいるでしょー? あれは絶対に『ゴーレム』じゃないしー」
「そう、かな?」
ラベルなんてなんでもいいじゃん、とマエリスは訝しんだが、エレノアは疑問を無視して言葉を探している。
「そうだなー。『炎銀の傀儡塊』なんてどー? それでいつぞや言ってた、自分で動くやつはー、『銀の自動兵』とかー」
「メタフラマタ……オートマタ……」
マエリスはその響きを口の中で転がす。
この世界にはない概念。マエリスだけの魔法技術。
「うん、いいかも! ありがとう、ノア」
「どういたしましてー。それじゃあそろそろ、お屋敷に返すねー」
景色が揺らぐ。
光と闇が混ざり合い、意識が急速に現実へと浮上していく。
「バイバイ、リスちゃん。また会おうねー!」
その後、目を覚ましたマエリスは、泣きじゃくるマノンに纏わりつかれたり、マノンがエレノアに嫉妬心を剥き出しにして噛み付こうとしたり、色々あった。
両親や使用人たちも無事で、屋敷は安堵と疲労、そして復興への活気に包まれていた。
そして、その夜。
ひっそりと荷物をまとめたエレノアは、誰にも告げずに屋敷を出た。
冷たい夜風が吹く、玄関前の庭園。
そこでエレノアを待っていたのは、月明かりに照らされたリフィだった。
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