魔王の影
「なにこいつ……!?」
「お嬢様! お下がりください!」
その存在から発せられる威圧。瞳から溢れ出す、純粋培養された殺意。マエリスの全身が、本能的な恐怖で粟立っていた。
(生物としての、格が違う……!)
蛇に睨まれた蛙。いや、プレス機に放り込まれた空き缶のような無力感。
思考が一瞬、白く染まる。
「お嬢様!」
「マエリス!」
「っ──!」
母たちの悲鳴で、世界の色が戻る。気が付けば、黒曜石の狼は爪を大きく振りかぶり──視界を埋め尽くすほどの至近距離に迫っていた。
「ヤバ──」
思考より先に、指が動く。右腕の操作レバーを強引に引き、ガードの体勢を取る。
ガギィィィィィンッ!!
「ぐぅぅっ!?」
鼓膜を食い破るような金属音。数トンの自重があるはずのホバークラフトが、まるで玩具のように真後ろへ吹き飛ばされた。急激な負荷に、マエリスの肺から空気が漏れる。
(嘘だろ、この機体の重量分かってんのかよ!?)
『コオォォォ──ロオォォォ──スウゥゥゥ──ッ!』
着地と同時に、狼が追撃を仕掛けてくる。 速い。デカいくせに、風のように速い。
だが──
「やられっ放しは──」
マエリスは歯を食いしばり、スラスターを逆噴射させて機体の姿勢を無理やり制御する。 照準──敵の顔面、センターど真ん中。
「──性に合わないんだよッ!」
バルブ全開放。圧縮空気解放。
ガゴォッ!!
シリンダーが爆発的に伸長し、チタンの剛拳が狼の横っ面を捉えた。
総重量百キロを超える鉄塊と、限界まで高めた空気圧。それは打撃というより、正面衝突事故そのものだった。
パァァァァンッ!!
乾いた破砕音が、戦場に響き渡る。
「……は?」
「な、んですか……あれ……」
呆然とするシャーロットたちの前で、狼の顔半分が粉々に弾け飛んだ。宝石の破片がキラキラと舞い散る中、衝撃で軌道のズレた爪が、マエリスの真横の石畳を深々と抉り取る。
『ギャァァァッ!?』
狼はマエリスを明確な脅威と認識し、バックステップで大きく距離を取った。
「どうだ……?」
マエリスは油断なく残心を取る。 だが、次の瞬間、あり得ない光景が広がった。
ジャラジャラ……という音と共に、地面に散らばった宝石の破片が、巻き戻されるビデオのように狼の顔へと吸い寄せられていく。数秒もしないうちに、その顔は無傷の輝きを取り戻していた。
「……マジで?」
生物というよりは、ゴーレムやスライムなどの魔法生物に近い。これでは、ただの打撃では意味がない。
「エレノア! なんなのあれ!? ゾンビ!?」
「えっとねー、多分だけど『魔王の影』かなー」
戦場に似つかわしくない、間の抜けた声が降ってくる。
「『魔王の影』ですって!?」
「やはりそうでしたか……」
「ねえ、ボクの質問でボクを仲間はずれにしないでくれる!?」
軽口を叩きながらも、マエリスの操縦は限界に近い。
狼の攻撃が激化している。頭を吹き飛ばされた恨みか、執拗にマエリスのコクピットを狙って爪を振るってくるのだ。紙一重でかわすたびに、スカートの装甲が削れ、火花が散る。
「『魔王の影』はー、魔王の成りそこないっていうかー、魔王の分身体っていうかー。まーよく分かってないんだけどねー」
「魔王!? 魔王は勇者が倒したんじゃないの!?」
「あー、いけないんだーマエリスちゃん。忘れてるよー」
ガギィン! 狼の爪を、マエリスがアームで弾く。その隙にリフィとシャーロットが魔法とナイフを打ち込むが、その硬質な装甲に阻まれ、傷一つつかない。
「歴史の授業はー、情報を疑う授業だよー? どうしてー、魔王が一体だけだって思うのかなー?」
「はぁ!? そんなのあり!?」
マエリスが叫んだ、その時。狼の動きが変わった。爪による物理攻撃に見せかけて、口を大きく開けたのだ。その奥にチラつく、魔法の光。
(しまっ──避けられない!)
再度、マエリスは腕をクロスさせて防御態勢をとる。しかし悪寒は止まらない。
咄嗟にマエリスは操縦席から脱出して後ろに転がった。
直後、ホバークラフトの腕が機体ごと真っ二つに噛み砕かれ、ただのスクラップへと変えられた。
「うっそだろ……!?」
「お嬢様! 早く次の機体を!」
リフィに促されて、マエリスは魔法陣に魔力を通す。蒼炎の中から、新たなホバークラフトが姿を現した。
この間、数秒。それは戦場では致命的な隙だったが、シャーロットの地形操作とリフィの牽制に、狼は動かなかった。
「う、ぐぅっ、やっぱ、二機目は魔力がキッツイなぁ」
マエリスは呻きながら操縦席に乗り込み、狼に照準を合わせる。
『フウゥゥゥッ──コォロォシィテェヤァルゥゥゥゥゥッ!』
しかし狼も学習してか、一直線ではなくジグザグに不規則な軌道でマエリスへと駆け寄る。
「土よ、我が魔力を糧に、全ての足を奪え!」
「お嬢様への狼藉は許しません!」
シャーロットが地面を砂に変え、リフィが延ばされた爪をいなす。しかし中々線が通らない。
ここは自分も、前に出るべきか──そう考えていると。
「少し左に打つといいじゃろ」
「え?」
「ほれほれ」
突然真後ろから聞こえた声にマエリスが戸惑うと、背後から伸びた腕に手を掴まれて、コントローラーを動かされる。
その直後、左へ動いた狼を、正面から赤毛の狼が受け止めた。
「援護しますぅ!」
一瞬の拮抗。その隙を逃さず、打ち出された拳は狼の上半身を粉砕した。
飛び散る宝石の破片。確かな破壊の手応え。
だが、粉々になったはずの狼の残骸から──ギョロリと、赤い眼光がマエリスを見上げた気がした。
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