刻一刻
「──マエリスはここかしら?」
答えの出ない移動手段の悩みを抱えたまま、マエリスが寝不足の頭で授業を受けていると、不意に扉が叩かれた。
現れたのは、母シャーロットだ。
いつも完璧に整えられているドレス姿だが、今日はどこか空気が張り詰めている。
「これはこれはー。奥様がお見えとは珍しいですねー」
「エレノア先生。授業中に申し訳ないけれど、少し時間をもらうわ」
「どうぞどうぞー。今は自習時間みたいなものですしー」
エレノアが許可し、シャーロットがマエリスへ歩み寄ってくる。
コツ、コツ、というヒールの音が、やけに重く響く。
「お母様、何かありましたか?」
親に授業参観されるような居心地の悪さを感じながら、マエリスは尋ねる。
だが、シャーロットの表情に笑顔はない。
「あなた、スタンピードの際の避難場所を知らないでしょう? それを伝えにきたのよ」
「避難場所、ですか」
まあ災害なのだから、そういう備えがあるのもおかしくないか、とマエリスは頷く。
「本格的にスタンピードが始まったら、領の鐘が鳴らされるわ。そうなったらすぐにマノンを連れて、この屋敷のホールから行ける地下シェルターへ行きなさい」
シャーロットはマエリスの肩に手を置く。その手は少し冷たい。
「戦えない領民たちも収容するから、あまり居心地は良くないけれど……食料庫には一週間は生きられる備蓄があるわ」
「地下があったんですね……分かりました。マノンは、ボクが守ります」
マエリスが答えると、シャーロットはわずかに安堵の息を吐いた。
しかし、何故それを「今」、わざわざ母親自身が伝えに来たのか。
使用人に伝言させれば済む話だ。それをしないということは──
マエリスがシャーロットの顔を見つめると、その疑問が伝わったようだ。
彼女は居住まいを正し、凛とした声で告げた。
「私は前線に出るわ。これでもアカデミー時代は、あの人に次いで二番目の魔法の腕だったのよ」
「っ、お母様は戦うのですか!? それなら──」
ボクにも手伝わせてください。そう言おうとした言葉は、遮られた。
「ダメよ。子どもは大人しく守られていなさい」
「でも!」
「マエリス。あなたは『お姉ちゃん』でしょう?」
その言葉に、マエリスは詰まる。
「マノンを守りなさい。それがあなたの戦いよ……大丈夫、あの人も私もスタンピードは初めてじゃないから。今度もきっと凌ぎきれるわ」
──嘘だ。
エレノアの授業で聞いたばかりだ。スタンピードは毎回性質が異なる。過去の経験なんて当てにならない。
それに。
(……震えてる)
マエリスの肩に置かれたシャーロットの手。
強く握りしめているその指先が、微かに、けれど確かに震えている。
「二番目の実力者」であっても、数千万の殺意の泥流を前にして、平気でいられるはずがないのだ。
しかしマエリスは、何も言えなかった。
今のマエリスは、ただの「四歳の子供」でしかない。
完成したシリンダーアームも、動かせなければただの鉄屑。説得材料にもなりはしない。
「……エレノア先生」
シャーロットが、部屋の奥で紅茶を啜る魔女を見る。
縋るような、けれど拒絶を予期しているような視線。
「スタンピードで、力を貸してもらうことは──」
「やーだよー」
エレノアは即答した。カップを置く音すらさせず、冷徹に。
「私はマエリスちゃんの家庭教師として来てるだけだしー。領地の防衛義務なんてないよー」
「……そうですよね」
「まー、賢者ちゃんも、リフィちゃんも、ロルカちゃんもいるんだから大丈夫でしょー。頑張ってねー」
他人の不幸などどこ吹く風。
彼女にとって、人間が何千人死のうが、領地が滅ぼうが、それは興味の対象外なのだ。
「そう……無理を言って悪かったわ。それじゃあ私は失礼するわ。マエリス、授業しっかりね」
踵を返し、部屋から出ていくシャーロット。
ドレスの背中は凛と伸びていて、貴族としての矜持を感じさせる。
だがマエリスには、その背中が──死地へ向かう兵士の、二度と戻らない背中に見えて仕方がなかった。
パタン、と扉が閉まる。
「……冷たいんですね、先生」
「事実だよー? 私たちにそーゆー期待しちゃダメだってばー」
エレノアは悪びれもせず笑う。
(……結局、頼れるのは自分だけってことか)
マエリスは拳を握りしめる。
母の手の震えが、脳裏から離れない。
一晩悩んだことで、移動手段の選択肢は絞り込まれていた。
(ピストンが完成してるなら、普通に車輪をつけて走らせれば……)
そう思い試してみたのだが……結論、振動がエグい。
ゴムタイヤなんてものはない。それこそゴムは、シリンダー作りで諦めているのだ。
必然、タイヤはチタン製になるが……平らな廊下であの振動だ、そんなものでデコボコ道を走れば、精密なシリンダーアームは振動でボルトが緩み、最悪の場合は自己崩壊するし、そうでなくとも乗り心地は悪い。
サスペンションを作るには、バネやオイルダンパーが必要だが……それを開発する時間があるかどうか。
(なら、地面に左右されない移動方法? そんなの、飛行以外であるんだっけ……?)
飛行魔法、あるいは重力魔法。
それが一番手っ取り早い。けれど、数十キロの鉄塊を浮かせ続けるランニングコストは莫大だ。マエリスの魔力量では数分でガス欠になる。
「……もっと楽に、魔力を使わずに浮く方法はないか……?」
マエリスは机の上で突っ伏し、昨日完成した「シリンダー」の図面をぼんやりと眺める。
筒の中に風を送り込み、その圧力でロッドを押し出す機構。
密閉された空気が、重たい金属の腕を持ち上げるパワー。
(……ロッドで地面を押せば……竹馬でもやる気かっての)
ふと妙なアイデアが浮かび、すぐにそれをマエリスは否定したが、何かが引っ掛かった。
(空気圧のエネルギーの凄さは、もう実験で分かってる。昨日は「漏れた」だけでシリンダーが吹き飛んだ……待てよ?)
「漏れて吹き飛ぶ」なら、それを制御すれば「飛び続けられる」のでは?
マエリスはガバりと起き上がる。
魔法陣を起動し、シリンダーのみを出現させると、中のピストンを抜き取る。
ただの「底のある筒」になったそれを、開口部を床に向けて置いた。
「風魔法──噴射!」
ブォンッ!!
「あぐっ!?」
「マエリスお嬢様!?」
「わー、綺麗な放物線だー」
床を叩いた風の反動で、筒はロケットのように真上に射出された。
そして、覗き込んでいたマエリスの顎を下からカチ上げ、マエリスは盛大に舌を噛んだ。
「ふ、ふが……っ!」
「お嬢様!? 口から血が!」
吹き飛んだマエリスの身体はリフィがキャッチし、そのままエレノアに治療されるが、激痛に涙目になりながらもマエリスの脳内ではスパークが起きていた。
(……やっぱ、すごい推力だ……!)
筒の中に閉じ込められた空気は、行き場を失って床を押し、その反作用で筒を持ち上げた。
完全に空を飛ぶ必要はない。
地面から数センチ、あるいは数十センチ浮くだけでいい。
それなら、重力に逆らうほどのエネルギーはいらない。常に空気を床に叩きつけ、そのクッションに乗るだけだ。
泥沼だろうが、砂利道だろうが、死体の山だろうが関係ない。
タイヤがないからパンクもしない。振動もない。
水陸両用、全地形対応の移動手段。
(ホバークラフト……!)
前世の記憶にある、水上や泥地を爆走する乗り物。
あれの原理は単純だ。「下に向かって扇風機を回している」だけ。
(昨日は「空気漏れ」に絶望したけど、ホバーなら漏れるのが正解だ! スカートで囲って、圧力を維持しつつ、余剰分は裾から逃がせばいい!)
失敗作だと思っていた「漏れるシリンダー」の技術が、ここでは「浮遊エンジン」に化ける。
全ての研究は無駄じゃなかったのだ。
「よし、これなら──」
「まだ治療中だよーマエリスちゃん。顎の骨にヒビいってるから、喋らないでねー」
有無を言わせないエレノアの口調と、顎を固定する包帯に、マエリスは浮かせかけた腰を大人しく下ろした。
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