夜更かし、秘密の研究
「……いや、わっかんないってこれ」
夜の書庫に、苦悩の声が響く。
本棚の陰、床に這いつくばるようにして羊皮紙に向かう少女。彼女は何かを書いては斜線を引き、また書いてはぐしゃぐしゃに塗り潰す作業を繰り返していた。
「火は前世と大体同じ物理演算だった。水も土も風も、パラメータが違うだけで基本構造は一緒。身体強化も、バフ・デバフの仕組みも理解できた。でも……」
少女──マエリスは、恨めしそうに傍らの古びた本を睨みつける。
「なんなの、このスパゲッティコード……。仕様書もなしにブラックボックスをいじれって言うの……?」
はぁ、と重たい溜息を吐く。
前世、ブラック企業でゲーム開発に従事していた頃の記憶が蘇る。他人が書いた、継ぎ接ぎだらけの汚いプログラムコード。今の状況はそれに酷似していた。
この世界において、魔法陣は「コスパ最悪の時代遅れな技術」とされている。だが、マエリスの評価は逆だ。
詠唱魔法が感覚頼りの「アナログ」なら、魔法陣は論理で動く「デジタル」だ。正しく記述さえすれば、誰が使っても、いつ使っても、全く同じ結果が得られる。
再現性と汎用性。それこそが科学だ。
例えば、前世で研究していた火の玉を出す魔法を細かく分解すると──
①魔法陣に触れた物体から魔力を吸収する。
②【分岐】魔力が必要量蓄積したか?しているなら③へ、していないなら①へ。
③集めた魔力を火属性に変換する。
④指定した箇所に指定した濃度の魔力を集める。濃度上昇で発火する。
⑤魔力が尽きるまで火を維持する。この5つの工程さえ組めば、誰でも火が出せる。
前世でマエリスが苦労したのは④の圧縮率の調整──プログラミングで言えば変数の調整だった。
だが、「治癒魔法」は次元が違う。
「単純な傷の修復じゃない。これは……細胞分裂の強制加速?」
マエリスの脳裏に、前世の知識がよぎる。傷を治すということは、細胞を増殖させて患部を埋めるということだ。
だが、もしその命令系統にバグがあり、増殖が止まらなくなったら? それは「癌」だ。あるいはケロイド。
この魔法陣には、必ず「増殖のストッパー」に当たる記述があるはずなのだ。それが見つからない。
さらに「解毒」に至っては、意味不明の領域だ。
魔法的な呪いならまだいい。だが、物理的な毒──例えばヒ素や青酸カリを飲んだ場合、魔法はどうやって「毒」と「栄養」を区別する? 胃の中の内容物から、特定の分子構造だけを抽出して消滅させる? そんな高度な分子標的処理を、こんな落書きのような魔法陣で制御しているというのか?
「もー……どーしよー……ロジックが見えないよー……」
頭を抱えて床を転がる。 と、その時。
「私も、どうすればマエリスお嬢様の悪癖を正せるのか分かりません」
「んぎぃ!?」
頭上から降ってきた声に、マエリスはカエルのような悲鳴を上げた。 恐る恐る顔を上げると、ランタンを持ったメイドが見下ろしている。
「リ、リフィ……」
「とりあえず立ち上がって、物を片付けてください。髪が広がり、お腹は丸出し。四歳児が出していい色気ではありません」
「な、何を言ってるのさー!」
マエリスは慌てて服を正し、散らばった羊皮紙をかき集める。その間にリフィは、床の薄い本を拾い上げた。
「治癒の魔導書ですか」
「うん。魔法陣は廃れてるから、賢者の家ですらこーんなに薄い本しかないんだよね」
「ですが、治癒の魔法はその魔法陣では発動しないと聞いたことがありますが」 「ああ、うん。明らかにコード……魔法陣に欠損があるから。そこを補完しないと動かないんだ」
マエリスは最後にインク壺を拾い上げ、ポケットから一つの「石」を取り出した。 ビー玉ほどの大きさの、矢印が描かれただけの丸い石。 それをインク壺に近づけると、石に刻まれた微細な魔法陣が起動し、インクを吸い上げて「ペン先」の形を形成した。
「相変わらず、奇妙な道具ですね」
「『石ころペン』って呼んでよ。ボクの筋力じゃ、羽根ペンは重すぎて長時間の作業に耐えられないの」
書いている感触がないのが難点だが、腱鞘炎になるよりはマシだ。インクを拭い、石をポケットにしまう。
「よし、それじゃあ戻って寝よう! なんだかボクも、眠く、なってきた──」
「お嬢様」
「なぁに?」
「お説教からは、逃げられません」
「……デスヨネー」
諦めたように肩を落とすマエリス。 明日は憂鬱な朝からスタートすることになりそうだ。
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