コツを掴めば
「授業のノルマ、倍にしていいよ」
「……はー?」
翌日。マエリスの唐突な申し出に、エレノアはきょとんと目を丸くした。
「その代わり、予定より早く終わったら、残りの時間は全部ボクに頂戴。もちろん、研究のために」
「えー、やだー」
エレノアは即答し、マエリスの額を指先で小突く。
「あの時に賢者ちゃんが言ってた条件、忘れたー? 『実験の危機管理』。私が監視してないと危ないことさせられないじゃーん」
「うん。でも『頑張り次第』とも言ったよね……ボクがエレノアの課題を完璧に、かつ倍速で終わらせて余力を証明すれば、文句ないでしょ?」
マエリスは食い下がる。
昨日までの「教わる生徒」の顔ではない。
納期を勝ち取るために上司に詰め寄る、「エンジニア」の目だ。
「……へえー?」
エレノアの口元が、三日月のように歪む。
生意気な子供だ。だが、その生意気さは嫌いじゃない。
「言うねー。でもさー、質が落ちたら意味ないよー? 雑にやって早く終わらせるとか、論外だしー」
「落とさない。合格ラインは維持する」
「もし合格がもらえなかったら?」
「……その日は夜まで、言われた通りの授業を受ける。研究はしない」
マエリスは自分に不利な条件を提示した。
それを聞いたエレノアの瞳が、面白そうに輝く。
「あはは、言ったねー? 知らないよー? 潰れてもー」
冷ややかな視線。
それをマエリスは正面から受け止める。潰れる? 上等だ。
世界に潰されるのを待つくらいなら、自分で限界まで走って潰れた方がマシだ。
「後悔するのはそっちだよ、先生」
「いいねー、その顔……交渉成立。やってみなよ、マエリスちゃん」
エレノアがパチンと指を鳴らす。
それが、地獄のRTA開始の合図だった。
作法──ウォーキング。
「なーにーマエリスちゃん、いつの間にそんなに歳を取っちゃったのー? 背中が曲がってるよー!」
「っ、はい……! (脊中の角度を修正して、腰を前に……!)」
「あー今、足元を気にして視線が落ちたねー? はい最初からー」
「〜〜〜〜っ、はい! (くそっ、マルチタスクが追いつかない……!)」
楽器──リュート。
「はいストップー。マエリスちゃん、指だけで弾こうとしてないー? ちゃんと『音』を定義してー」
(定義……えっとつまり、弦を弾く力と位置と、指で押さえる力を……)
「考えすぎー。音が硬いよー。はい最初からー」
社交ダンス。
「マエリスちゃーん。そのステップだと相手のつま先を壊しちゃうよー?」
(判定がシビアすぎる……!)
「今度は先走りすぎー! ちゃんと速度を合わせてー!」
作法──食事。
「はい不合格ー。今お皿にスプーン当てたよねー」
「っ、すみません」
「ほらー。今日は不合格だけど食事は終わってないよー。冷める前に食べてねー」
(……味がしない)
絶対の自信があった刺繍。
「……やり直し」
「えっ」
いつもなら合格をくれるはずの刺繍。
だがエレノアは、マエリスが縫ったハンカチを冷ややかな目で見下ろしていた。
「マエリスちゃん。君さー、研究がしたいからって『手抜き』してない?」
「してません! 手順通りに……」
「『手順』は合ってるよ。でも『表現』が甘い。糸のテンションが均一すぎて、立体感がない……速度のために品質を落とすなら、この取引は中止だよ?」
「っ……! すみません、やり直します! (見抜かれてる……!)」
マエリスは冷や汗を拭う暇もなく、針を取り直した。
筆致、学問、乗馬、ダンス。
来る日も来る日も、リテイク、リテイク、リテイク。
ペナルティのせいで研究時間はゼロ。むしろ睡眠時間が削られ、泥のように眠る日々。
だが──転機は唐突に訪れた。
(……分かった)
一週間後。
フラフラになりながらステップを踏んでいたマエリスの脳内で、何かが『噛み合った』音がした。
(エレノアの合格ラインは『絶対値』じゃない。『相対値』だ)
彼女が求めているのは、教科書通りの完璧さではない。
その時々の音楽や相手、空気などの状況に合わせて、最も美しく振る舞うこと。
ならば──
「……ふぅ」
マエリスは思考を切り替える。
ガチガチの「手順書」を捨て、視野と感覚に身を委ねる。
「──お?」
エレノアが眉を上げた。
さらに一週間後。
マエリスは、全ての課題を定時前に終わらせ、涼しい顔でエレノアの前に立っていた。
「本日の課題、全てクリアしました──約束通り、残りの時間は頂きますよ、先生」
「──やり遂げられたのですね。おめでとうございます、マエリスお嬢様」
マエリスがエレノアを連れて自室に戻ると、リフィが珍しく素直に祝福してくれた。
「ありがとうリフィ。まあ明日がどうなるかは分からないんだけど……」
「筆致と作法はマエリスちゃん苦手だもんねー。いつボロが出るか見ものだねー」
「ふふん」
「ねえリフィ、何でドヤ顔したの?」
「明日用のドヤ顔です」
「早いって」
気の早いメイドに、マエリスはジト目を向ける。
エレノアは優雅にソファに腰掛けた。
「それでー、無理して時間を捻出してまで何を研究するのー? またマノンちゃん用の玩具?」
「まさか……『ゴーレム』を作ろうと思って」
「は、ゴーレム?」
「あの、泥人形のですか?」
リフィとエレノアの頭上に、疑問符と呆れが浮かぶ。
彼女らにとってゴーレムとは、洞窟や遺跡に湧く魔物の一種。
動きは鈍重、知能は皆無。ただ頑丈なだけの「土塊」だ。
貴族の令嬢が欲しがるようなものではない。
「使い道は大きく二つ。一つは領の防衛戦力。人手不足の解消と、危険な作業の代行」
「まー、壁の代わりくらいにはなるかもねー」
「もう一つはボクの補助具。ゴーレムの『腕』を作って、ボクの手では震えてしまうような精密動作を代行させる」
「うーん? それはどうだろうねー。腕が増えても、頭は一つしかないしー」
「そこはプログラム次第かな」
マエリスは不敵に笑い、新しい羊皮紙にペンを走らせる。
「材質はどうするのー? 頑丈にするなら鉄だけどー」
「ですが、お嬢様は『鉱属性』はまだ使えないはず。脆い『土』で作りますか?」
「あ、そこはちょっと仮説があって──」
マエリスはサラサラと、二つの異なる魔法陣を描き上げる。
一つは土属性。もう一つは風属性。
一見すると、土埃を巻き上げるだけの組み合わせに見えるが……マエリスはその二つを並べて、新しい魔法陣を描き始める。
「あとは、実験かな」
お読みいただききありがとうございます。
ブックマーク・誤字報告、いつもありがとうございます。




