エレノアの授業(前半)
「ほーらー、そこ。線が歪んでるー。枠からはみ出るとか論外だよー」
「は、はい……」
予想に反して、エレノアの授業は地獄だった。
今やっているのは「筆致」。
エレノアが書いた見本を模写するだけの単純作業だが、コンマ単位のズレも許されない。
「あのねーマエリスちゃん。『文字』っていうのはー、世界を定義するナイフなわけ」
「……ナイフ?」
「そう。形がナマクラだとー、ものをうまく切れないでしょー? 『A』は完璧な『A』じゃないと、意味が逃げちゃうんだよねー」
そう言って、エレノアはマエリスの不出来な文字を容赦なく塗り潰す。
その執念は異常で、穏やかな口調からも狂気が滲んでいるようにも感じられる。
「はい、やり直しー。十回連続ノーミスでクリアねー」
「……はい」
ここ半月、マエリスは魔法の研究どころか、ペンだこを作る作業に忙殺されていた。
楽器も、作法も、ダンスも同様だ。
エレノアの求める合格ラインは、常に「完璧な型をなぞること」。
そこに「子供だから」という甘えは一切ない。
「というかー、ずっと思ってたけどさー、刺繍はあれだけ綺麗にできるんだからー、文字も同じようにすればいいじゃん」
「いや、文字と図形は違いますって」
唯一、一発で合格をもらえたのは「刺繍」だけだった。
(……まあ、刺繍はボクにとって『回路設計』だからな)
魔法陣を縫う際、マエリスは数ミリのズレも許さない。回路がショートすれば大事故にも繋がるからだ。
その「機能美への執着」だけは、エレノアの琴線に触れたらしい。皮肉な話だ。
「あー、ざーんねん。最後に気が抜けて線がヨレたねー。はい、もうワンセット追加ー」
「〜〜〜〜っ、はい……」
マエリスは悲鳴を上げそうな腕に鞭を打ち、ペンを走らせる。
これで単なるいじめなら、恨むこともできただろう。
だが質が悪いことに、エレノアの課題設定は絶妙だった。
常にマエリスの限界の一歩先。
食事や睡眠は削らせず、壊れないギリギリの負荷をかけ続けてくる。
(……スポーツ選手にでもなった気分だ)
マエリスは背筋に寒気を感じつつ、必死に課題に食らいつくしかなかった。
合格をもらったのは、それから一時間後のことだった。
「お疲れ様です、マエリスお嬢様」
「おねえちゃ、こんにちは」
「……うん、こんにちはマノン」
幽鬼のような足取りで食堂に辿り着いたマエリスは、リフィが引いてくれた椅子に雪崩れ込んだ。
「リフィも、マノンの世話ありがとう」
「いえ。むしろ楽しく遊ばせてもらっています。マノンお嬢様は素直で、反応も可愛らしいですから」
「……ボクには可愛げがないって言いたげだね」
「そこまでは言っていませんが、否定もしかねます」
リフィは手際よく料理を並べていく。
マエリスはテーブルに突っ伏したまま、横目でマノンを見た。
「おねえちゃ、おねむ?」
「んーん、眠くはないよ……」
マエリスはふらつく手でマノンの頭を撫でる。
さらさら、ふわふわ。
「可愛い……癒される……このまま一生撫でていたい……」
「……マエリスお嬢様」
「なに?」
「お顔が、大変法に触れる形状になっております」
「失礼な!」
リフィの汚物を見るような目に反発し、マエリスはのろりと起き上がった。
フォークを握り、サラダを口に運ぶ。
「……しょっぱい」
「塩漬け肉ですから」
「ごめん、無理……肉は食べたいんだけど、身体が受け付けない……」
マエリスは皿の端にベーコンを避けた。
前世の記憶にある「お粥」や「うどん」が恋しい。
この世界の冬の保存食は、塩と脂がきつすぎて、弱った胃腸には拷問だ。
「新鮮な鶏肉とか、ないの……?」
「この時期に生肉は貴重品ですよ。狩人が獲物を仕留めない限りは──マノンお嬢様、いりますか?」
「おにくー!」
「はい、どうぞ」
リフィが避けたベーコンをマノンの皿へ移すと、妹は嬉々として頬張った。
若いって素晴らしい。ほぼ同い年だけど。
「……午後は?」
「歴史学の講義ですね」
「うわぁ……あれもな……」
マエリスが豆のスープを啜り終えた、その時だ。
「マエリスちゃーん、いるー?」
食堂に、間延びした声が響く。
それは、束の間の休息の崩壊を意味していた。
「……今行きます!」
マエリスはパンを口に押し込み、椅子から飛び降りる。
「ご馳走様リフィ! マノンもまたね!」
「ふぁいとよ、おねえちゃ」
「ご武運を」
「戦場じゃないっての!」
捨て台詞を残し、マエリスは再び修羅場へと走っていった。
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