賢者の勝負
──に……ってる……う──
──うの……たもわた……いん……ね──
──ら、さ……きて……さい!──
懐かしい誰かに、背を押された気がした──
南の太陽が照らすベッドの上で、マエリスは目を覚ました。
茫洋とした頭でさっきまで見ていた夢を思い出そうとするが、何も思い出せない。
喉が渇いた。部屋にはマエリスの他に誰もいないため、人を呼ぼうとベッドから下りる。
途端、足に力が入らず、そのままカーペットにうつ伏せに倒れ込んでしまった。
「……うぐっ」
体が動かない。鉛のように重い。顔は横を向いているため気道は確保されているが、掠れたような声しか出せず、これでは人を呼べない。
(……どうしよう)
危機的状況に意識が活性化するが、かといって出来ることは何もない。
幸いにもそこで、部屋の扉が開く。
「あぁぁぁ! マエリス様ぁ!」
やって来たルピは、持っていたバケツを放り投げ、倒れているマエリスを抱きかかえる。
「ル……ピ……ぃぃ!?」
「マエリス様がお目覚めになりましたぁ!」
(痛い痛いルピ力つっよぉ!?)
そして獣人の腕力で高速ドライブに強制招待され、最終的にマエリスはグロッキー状態でリフィの元へ出荷された。
リフィは無言でマエリスを受け取ると、ルピの背後にいる人物に目配せをする。ルピが振り返る前にその肩に手が置かれ、憐れなメイドは悲鳴も虚しくどこかへ連行されるのだった。
「お怪我はございませんか? マエリスお嬢様」
「大丈、夫……ありがとうリフィ」
水で喉を潤し、改善した滑舌でマエリスは礼を言う。肩はまだ痛むのだが、それもしばらくすれば治るだろうと予想した。
「ボク、もしかして結構寝てた?」
「一週間です。お嬢様がマノンお嬢様のお部屋をダメにしてから」
「……言い方よ。わざとじゃないんだよ」
「そうでしょうとも。片目を失明し、鼓膜を吹き飛ばすような大怪我を、わざとされていたのなら、包容力に定評のある私でも正気を疑います」
「自分でそういう──え、失明? 鼓膜?」
物騒な単語に、マエリスは慌てて自分の目と耳を触る。視界はある。音も聞こえる。
「……嘘だ。眼球破裂に鼓膜穿孔? そんなの普通の治癒魔法じゃ治せない」
「ええ。ですので私が応急処置をし、旦那様が直々に治療されました」
「お父様が……?」
あの仕事人間の父親が? マエリスは絶句した。
「ですが治癒魔法では体力は回復しませんから、これまでの疲労もあって長く眠っておられたのかと」
「さすが、賢者……実験データは?」
「一部、水に濡れてインクが滲んだ箇所はありますが、概ね無事です」
こちらに、とリフィは懐から羊皮紙の束を取り出す。
「順番は分からなかったので、とりあえずひとまとめにしてあります」
「ありがとうリフィ──ああ、うん。まあ仕方ないよね」
束を受け取り、マエリスは目的の魔法陣を探す。それは件の爆発した魔法陣であるが、あの時最も爆心地に近かったせいか、その大部分のインクは滲んでしまい、ルーン文字の詳細など分からなくなっていた。
ただ、その魔法陣に至るまでの試作品には無事なものも多く、これなら再現することも可能だろう。
「……マエリスお嬢様。まさか、まだ続けるおつもりですか?」
「……危ないのは分かってるんだけど、あの魔法は間違いなく、水と火だけじゃなくて、光属性の要素も混じってた。せっかく見つけた手掛かりだよ。それをただの『失敗』として捨てたくない」
「私は反対です」
「だろうね」
リフィの冷ややかな視線をかわした時、控えめなノックが響いた。
入ってきたのは、げっそりとやつれたルピだ。
「し、失礼しますぅ……」
「おや、随分と絞られたようで」
「あんな婆様──メイド長は久しぶりですぅ……」
よく見れば目尻が光っているルピだったが、マエリスの方を見て僅かに姿勢を正し、こう告げた。
「えっとぉ、旦那様がお呼びですぅ」
まだ自分で歩けるだけの元気が戻っていないこともあり、マエリスはリフィに抱えられてその部屋の前までやって来た。
重厚そうな木の扉をリフィがノックする。
「旦那様、リフィです。マエリスお嬢様をお連れしました」
「入りたまえ」
「失礼します」
リフィがゆっくりと扉を押し開ける。
執務室。その中心の机の上には所狭しと書類が並べられており、今が仕事中であったことがわかる。
その部屋の主が、マエリスを見据えていた。
「体力はまだ戻っていないか。なら君が支えてやるといい」
「畏まりました」
そう言って、リフィは扉を閉め、マエリスを抱えたまま男性に向き直る。
銀の長髪を後ろで束ね、底冷えするような青い瞳で二人を睥睨するこの男性こそ、マギカ辺境伯家当主にして『賢者』、ミシェル・マギカである。
「さてマエリス。意識が戻ったと聞いて安心したよ」
「ご心配をおかけして、申し訳ございません」
「謝罪は不要だ。反省する気もない言葉に意味はないからね」
相変わらず、理屈っぽくて食えない男だ。 マエリスは内心で舌打ちをした。
「今は『紅眼』の治療について調べていると聞いたよ。結構なことだ。
だが──魔法陣の研究はもう止めなさい」
「……実験で大怪我をしたからですか?」
「それもある。治癒の魔法は万能じゃない。同じ箇所を何度も治療すれば効き目が悪くなる。貴族令嬢にとって、消えない傷がどれほど弱点になるか、賢い君は理解できるだろう?」
貴族令嬢……マエリスは自覚のない肩書にうんざりとする。
「だが根本的な問題はそこじゃない」
ミシェルは組んだ指の上に顎を乗せた。
「魔法陣には未来がない。あれは『魔力を垂れ流すだけの欠陥炉』だ。リソースの無駄遣い。君のやっていることは、ザルの穴を指で塞ごうとしているに過ぎない」 「っ……!」
図星だ。魔法陣の燃費の悪さ。それはマエリス自身が一番痛感している課題だった。
「でも、魔法陣だからできることもたくさんあります!」
「その過程で部屋をいくつ吹き飛ばす気かな?それとも次は屋敷ごとかい?街に被害を出してみるかい?」
沸々と怒りが湧いてきて、マエリスの語気が段々と荒くなってくる。
「それは詠唱魔法にだって言えることです。それなのに詠唱魔法は推奨して、魔法陣は禁止するのは道理がありません!」
「リスクとリターンの話さ。君の貴族令嬢としての価値と、魔法陣の研究から見込める価値。天秤にかければ、これ以上の投資は無駄だと判断せざるを得ない」
「……何も分かっていませんねお父様は……!」
「マエリスお嬢様」
リフィが小声で制止するが、マエリスの導火線にはもう火がついていた。
開発者としてのプライドだ。「仕様がクソだ」と言われるのは我慢できても、「その技術自体が無駄だ」と言われるのだけは許せない。
「分かっていないならなんだい? 君が証明してくれるのかな?」
「ええ、してやりますよ。魔法陣の価値を──言葉ではなく物証で!」
「大きく出たね。それは『紅眼』の治療法のことを言ってるのかな?」
「治療とは言えずとも、現実的な対処法をお見せします!」
「ふぅん?」
ミシェルは口角を歪めた。その笑みを見て、マエリスは悟る。最初から、誘導されていたのだと。
「マノンのための研究なら、マノンの記念日に見せてもらおうかな。どういうことか、分かるね?」
「……一ヶ月後の、誕生日」
「そうだ。その日にまともな成果を見せられなかったら、今後一切、魔法陣の研究は禁止だ」
「逆にお父様を満足させられたら?」
「その時は『賢者』の名にかけて、『賢者の娘』の我儘を一つ叶えてあげようじゃないか」
交渉成立。マエリスは獰猛に笑った。
「その言葉、後悔しないでくださいね?」
「楽しみにしているよ──話は以上だ、下がりたまえ」
リフィが一礼し、退室する。
バタンと、扉は重厚な音を立てて閉まった。
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