旧領への準備
「準備、準備ねぇ……」
ブレイクたちが帰った後。マエリスは研究室で頭を捻っていた。
ボスドルム旧領について分かっていることは少ない。
『茨』が生い茂っていることと、立ち入った瞬間眠ってしまうという噂があることくらいだ。
(火のない所に煙は立たないって言うし、噂も真実として考えた方が無難かな……あー、エレノアに話を聞きたい)
かつて歴史の授業でボスドルム辺境伯領について言及し、何か知っていそうな雰囲気だったエレノア。
しかし彼女と連絡を取る手段はない。
「……時間もかけていられないし、有り合わせで片付けようか」
方針を決めたマエリスは、一度研究室を出ていった。
「マエリス様ぁ。どうかされたんですかぁ?」
マエリスが屋敷をウロウロしていると、ルピに声をかけられた。
「あ、ルピ。リフィがどこにいるか知らない?」
「リフィさんですかぁ? スンスン──屋敷にはいないのでぇ、買い物に出かけたと思いますぅ」
「あー、遅かったかぁ」
ルピが鼻を鳴らしてリフィの居所を推測すると、マエリスは頭をかいた。
「何かご用命でしたかぁ?」
「えっと、マスクと木炭がないかなぁって。ないなら厚手の布と薪を買ってきてもらおうって思ってたんだ」
「マスク……? 覆面と炭ですかぁ? 何に使うんですぅ?」
「いや、覆面じゃなくて、鼻と口を密閉できればいいんだけど……」
どうやらこの世界でマスクと言ったら、仮面や覆面になってしまうらしい。妙な知識を一つ増やしたマエリスは、どう説明したものかと考える。
すると、ルピは何か思いついたようで。
「あ、もしかしてぇ、『魔の森』の探索に使う感じですかぁ?」
「え、うん。ボスドルム旧領に行くために用意しようと思って」
「あぁ、ボスドルム旧領ですかぁ。私たちもあの辺りは滅多に近付かないんですよねぇ」
「……もしかして、遊牧民に伝わる逸話みたいな感じで、ボスドルム旧領について何か知ってる?」
思わぬ収穫に、マエリスは車椅子の上で体を乗り出す。
「私は知らないですけどぉ、婆様は何か知ってるかもですぅ」
「なるほど、ロルカさんか。どこにいるか知ってる?」
「案内しますぅ」
そう言って、ルピはとある部屋までマエリスを案内し──
「だからノックをしなさいといつも言っているでしょう?」
「ひぃぃ、ごめんなさいですぅぅぅ!」
中にいたシャーロットに説教を食らっていた。
くどくどと言葉が重なる度に、ルピの体が小さくなっていく。さすがに可哀想に思えてきたので、マエリスは助け舟を出すことにした。
「こんにちは、お母様。急に押しかけてすみません、ボクがルピに案内をお願いしたんです」
「それは一目で分かったわよ。でもそれとこの子のミスは関係ないでしょう?」
「……直前までお喋りしていたから、気が散った、とか?」
「自分で言ってておかしいと思わないかしら?」
「ごめんルピ、無力なボクを許して」
「ひぃぃぃぃん」
とりあえずルピはシャーロット相手に忙しそうなので放置し、マエリスは孫娘を困った表情で見守るロルカに近付いた。
「ロルカさん、ちょっといいですか?」
「おやマエリス様。この老骨にいかな御用でしょうか?」
「遊牧民に伝わる、ボスドルム旧領の逸話って何かない? そこを調査することになって」
その発言に、シャーロットが顔を向ける。
「ボスドルム旧領……嫌な場所を思い出したわ」
「お母様は行ったことがあるんですか?」
「アカデミー時代に、一度ね。あの頃は天才だの何だの持て囃されて、調子に乗っていたわ……黒歴史ね」
「おや、そうでしたか。ならば大変だったでしょうな──」
ロルカが、訳知り顔で頷く。
「『魔封じの領域』──あの地で魔法は使えませんで」
「え、そうなの?」
魔法が使えない。車椅子やホバーを魔法陣から出しているマエリスにとってそれは「足」を封じられることを意味し、顔を青褪めさせる。
「え、それじゃあボク、探索はどうすれば……?」
「一応、大量の魔力を使えば魔法が使えはするのだけど……」
「そんな調整をその場でやるのは、魔法陣では難しいなぁ……」
即興性と言うべきか。どうしても事前の組み立てが必要な魔法陣が詠唱に劣っている点だ。
「昔は違ったそうですがな」
「そうなの?」
「儂も生まれる前の話で、母から聞いただけですのう。ボスドルム辺境伯領が沈黙してから、あの遺跡と領域は生じたとか」
それはつまり、『魔の森』由来じゃない力が働いているということか?
マエリスが考え込んでいると、ロルカが尋ねてくる。
「儂が知っているのはこの程度ですのう。他に何かありますかな?」
「え、あ、いや大丈夫。ありがとうロルカさん」
「どういたしまして」
「ひぃ……ひぃ……とんだ目に遭いましたぁ」
そこへ復活したルピが会話に合流する。
「マエリス様ぁ、結局覆面と炭がどうこうっていうのは解決したんですかぁ?」
「あ、忘れてた」
「覆面? あなたまた変なこと企んでいるの?」
「またって何ですかお母様!?」
誤解を解かんと、マエリスは懇切丁寧に考えていることを話す。
「……炭をフィルターにしたマスク、ねえ」
「最低限、鼻と口さえ覆えればいいんだよ。正体を隠すためのマスクじゃないから」
「えっとぉ、『巫女』の衣装に口元を隠す布みたいなものがありますけどぉ、あんな感じですかねぇ」
「隙間が多すぎるかなぁ」
占い師をイメージしたマエリスが、顎下などのヒラヒラを想像して渋面を作る。
「とにかく、木炭と布があればいいのよね? それならうちの備蓄を持っていきなさい。ロルカ、マエリスを案内してあげて」
「畏まりました」
「ありがとうお母様!」
こうして、マスクの目処は立ったマエリス。だがこれで本当に十分かと不安が残る。
(……念の為、もう一手用意しておこうかな)
そして、二日後。早朝から『魔の森』の前に、三つの人影があった。
「それじゃあリフィ。今日は特に迷惑をかけるけどよろしくね」
一つは銀の車椅子に座った少女、マエリス。
「お任せください。お嬢様を完璧に運んでみせます」
一つはメイド服を身につけた女性、リフィ。そして──
「私は〜、未だに納得いきませんけどね〜★」
桃髪を揺らし教会の衣服を纏った聖女、ディアナ。
「言ったじゃん、緊急逃亡用の要員だよ。『魔封じの領域』でも大量に魔力を使えば魔法は使えるみたいだからね」
「それ以前に〜、森歩きなんて無理ですよ〜! 私は体を鍛えてるわけじゃありませんから〜!」
「ボクだって鍛えてないよ?」
「あなたは自分の足で歩いてないじゃないですか〜!」
ブツクサと文句を撒き散らすディアナだが、早朝の現地集合に遅れず来ている時点でやる気があるのは間違いない。
「仕方ないなぁ。リフィ、ボスドルム旧領まではディアナを抱えてあげて」
「お嬢様の慈悲です。ありがたく思いなさい」
「そして何であなたはそんなに高圧的なんですかね〜★」
(それは一度、ボクを排除しに来たからでしょ)
内心は告げずに、マエリスは用意してきた秘策を皆に渡す。
「……お嬢様、これは……」
「え、見た目酷すぎませんか〜?」
「ないよりはマシだから! ほら付けた付けた!」
自分はテキパキと装着しながら、マエリスは言う。
それは四角錐の形をした布製のマスクだ。
だが、ただの布ではない。黒布が何重にも縫い合わされ、嘴のように尖った先には、拳大の木炭カートリッジがねじ込まれている。
身につければ息苦しくなる。シュコー、シュコーという異様な呼吸音は、知らない二人には恐怖にもなる。
まるで死神がつける仮面のようなそれは──ペストマスク。それは原初の空気清浄機だった。
「──それじゃあ行こうか」
渋々と二人が装着したのを見て、隙間がないかのテストをし、カラスの怪物のような三人は『魔の森』へと踏み込んだ。
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