水蜜のしたたり
君が桃を好きなのを、僕は知っていたよ。
だから、僕は君に贈ったんだ。
山梨県産、確かに熟れて甘いだけのはずの実を選んだんだよ。
そう、いわゆる故郷納税ってやつさ。
きみはかわいい女の子、桃娘のような甘い香りの、大事な……、僕の大好きな子だから、僕からささやかだけれどプレゼントさせて貰ったんだよ。
クール便で届いただろう?
君の笑顔が見たいなぁ。冷たい水蜜、剥いて切ったら溢れるほどのあまぁい汁が飛び出るよ。
君の可愛い口中に含まれて、蜜をたっぷり飲んでもらいたいなぁ。楽しみだよ。
噛みきられたら、ああ、ああ、もう、こんなに……僕、もう待ちきれないよ……!
君のところへ、気持ちが届くその時を、ただじっと待つだけなんてやっぱり辛いんだ。
ああ、大好きな僕の可愛い女の子。
水蜜が届けて貰える頃、こっそり君の部屋の近くへ忍んでいこうか。
ふふ、平安時代の貴族みたいに、ね。
わざと、君の家の塀から見えるように垣間見するから、僕を見付けて。
愉しみだなぁ、ああ、大好きだ。
大事な大事な、僕の桃娘。
☆★☆
「ことしも、なの……」
受け取ってしまった箱を見下ろしながら、私は毒気と怖気にまみれた言葉を吐き出した。
山梨県から、桃が毎年のように届くようになってもう5年目になる。
実害がないから、と警察は動いてくれなかった。
クール便で、7月中旬にさしかかる少し前に、必ず大ぶりな白桃が、3つから5つ、差出人不明で私の元に届くのだ。
「気持ち悪い……」
好物だった桃がスーパーや青果店に並び出すのを見ただけで、私は俯き、早足で、冷や汗をかきながら、その場から離れるようになっていた。
「気持ち悪いよ、怖いのよ……!」
最初、桃が届いた時は親族か友人からのサプライズプレゼントだと思った。
けれど、誰に感謝を伝えようとしても『知らない、そんなもの送っていない』と返ってきて、私は届き続けるかつての好物を、やがて箱ごと開封せずに、燃やすゴミの袋に入れてゴミ捨て場に直行するようになった。
手元に置いておいて色々と考えてしまうのは怖すぎるから、農家さんに心の奥で謝りながら、私は上等な手間暇掛けられたブランドものの桃たちを、生ゴミにしてしまうしか、なかった。
「桃たち、ごめんね。あなたは悪くないのに、もう食べてあげられない……」
最早、桃の意匠のものさえ、私の体と心は受け付けられないのだった。
「こんなことして犯人は何が楽しいの!!」
震える声で、怒鳴り付けてしまう。
配達員さんを困らせるのも気が引けて、毎度毎度、律儀に受け取りのサインを書いてしまい、桃を家の中へ入れてしまう、弱い自分も許せなかった。
ーー犯人の目的は、なんなのだろう。愉快犯? ストーカー? それとも、何かの手違いで誰かの荷物が私に届いている、とでもいうの?
悪意すら、汲めない。
この状況は何故に起きているのだろうか。
「……捨てに……行かなきゃ」
引っ越しはもう4回目だ。それでも桃は、届き続ける。私の全ては、熟れすぎた桃よりぐちゃぐちゃだった。もう、疲れた。
玄関で休みの日の夕刻に受け取った、果実入りの箱を抱え、ダイニングにあるゴミ袋を引っ付かんできて、冷淡に処理する。
戸惑いつつ慣れた手付きになって来ている自分自身が恐ろしかった。
桃入りの箱をゴミ袋にぶちこむと、私は階下にある、ゴミ捨て場を目指して部屋を出た。
☆★☆
ーーああ、彼女だ、僕の桃娘!!
天使が、階段をゆっくりと降りて来るのを、僕はじぃっと見つめて脳に映像を焼き付けていた。
美しく可愛らしい、僕の、僕だけの、水蜜の君……!!
どうしよう、彼女との距離が縮まって来るじゃないか。
「……燃えろ、燃えろ、燃えろ……」
彼女が何かを呟いている、
彼女の声は少し鼻にかかっていて、やっぱりすごぉく甘い響きなんだ。
ーーどこをとっても、可愛い。
僕の大好きな君は、こんなにも可愛らしい!!
彼女の手が、金属で出来たゴミ捨て場の箱の扉を開く。
ーーあれ?
彼女が手に持っている、あのゴミ袋、口が閉まってないじゃないか。開きっぱなしだ。
ああ、そんな、乱暴に扱って、君らしくないなぁ。駄目じゃないか、ルールは守らないと……。
[……ゴドンッッ!!!]
ああ、ほら、ゴミ袋から、中身が出てしまった。……あれ? あの、箱、は?
☆★☆
「燃えろ、燃えて、失くなれ……」
健康的には見えない、痩せた三十路がらみの女が、自らが取り落とした生ゴミに出すつもりの箱を、ぶつぶつと言いながら、拾おうとしていた。
「ま、まって! それ、僕が君に贈った水蜜だよ、どうして棄てようとするの?!」
もう一人、肥って草臥れた男装をした女が、ブヨブヨと肉を揺らしながら隠れていたゴミ捨て場の向かいの塀から姿を現し、わなわなと大きな声で痩せた女に問い掛けた。
「……あ?」
痩せた女の目は虚ろに、突然現れた人間を捉える。
「あ、あ。あの、ほら、僕……じゃない、あたし! あたしだよ、幸子!! 覚えて、ない? 美津紀ちゃん、ほら、小学校で、おんなじクラスで……いつも、助けてくれたじゃん、ね、《みっちゃん》?!」
捲し立てる人物を、痩せた女は黙って観察しているようだった。
「みっちゃん、美津紀ちゃん、お姫様みたいで!! ヒロインで、ヒーローで、あたしの特別だったの!!! ピンクのブラウスも、ライムグリーンのスカートも似合ってて、だから、平安時代の桃襲みたいで、ほんとーーに! プリンセス、高貴で麗しいお姫様みたいだったから、あたし、お姫様に似合うよう、お内裏さまみたいになろうって、頑張ったんだよ!!! ね、どうかな、あたし。カッコ良くなれたかな? ねね、桃、棄てないで、ね?? 二人で今、食べちゃわなぁい?! だってさ、勿体ないよ、棄てたりしたらぁ~~!!!」
「……おまえ、か」
「うん! そうだよ、みっちゃん! サチコだよ~~!!」
肥った女は、痩せた女にしがみついた。
「わー、久しぶりだねぇー、みっちゃんは可愛くって、綺麗で、スマートで、本当に桃から出来てる桃娘みたい!! 変わんないね~~、あたし、うれしい!!!」
「…………おまえ、だな…………」
「うん! うん!! あたしだよ、みっちゃん~~」
「……失くなれ」
☆★☆
嗤いながら、女はモモに囓りついていた。
滴る水分は、女の細い喉から首もとを伝い、だらしなく地面に落ちていく。
「私は……モモが……好きだったんだよ……」
女の、鼻にかかってくぐもる声がグツグツと嗤っている。
耐えに耐えていた物を彼女は咀嚼し嚥下していた。
「7月……モモが熟れるとき……」
女は地面に残りのモモを埋めながら、咀嚼するのを止めて、詰まらなさそうに呟いた。
「……熟れすぎたモモは、こんなに臭い……不味いね、まずい、マズイんだ!! 棄てよう、すてよう、要らない、イラナイ……!!」
ペッと女が吐き出したモモは、グチャリと潰れ、朝日が見える前に土の下へと埋められ、滴りひとつ遺さずに……沈黙した。