頼りたくない
傭兵ギルドから出たレクスは、そのまま寮への帰り道をただぼーっとしながら歩いていた。
未だに高い陽には厚い雲がかかり、すっきりとはしない空模様だ。晴れ間も覗くがほぼ曇った空を、レクスは何気なく眺めながら歩く。
頭を過るのは、さっきのチェリンの言葉だった。
(カティとアオイにしてあげられること…ねぇ。デートはもう約束したけど…他に何をしてあげりゃ良いんだ…?)
悩んだようにふぅと溜め息をつきながら、レクスは正面に向き直る。
すると、目の前をふらふらとふらつきながら、重そうな荷物を危なっかしく運ぶ人影があった。
目を凝らすと、学園の制服を着ている、小さな人物だ。
水色の髪の少女が今にも倒れそうになってよろよろと歩いていた。
(…危なっかしいな。大丈夫か…?)
レクスがそう思った矢先。
その少女は、足をずるりと滑らせた。
「あっ…。」
「危ねぇっ!」
レクスは叫び、少女に向かって駆ける。
手を伸ばして、少女を引き寄せると、自身の胸に抱きかかえた。
”ドン”という衝撃がレクスの背に伝わる。
「ぐぅっ…!」
痛みに少し呻くと同時に、ドサリと少女の持っていた荷物が落ちる。
とりあえず少女を受け止められたことに、レクスはふぅと安堵した。
「あ、あれ?あちし…?」
閉じられていた少女の目が開く。
青銅の瞳がレクスの顔を映す。
少女の目はだんだんと見開かれ、頬は紅く染まっていった。
「れ、レレ……レクスさん!?」
「よぉ…大丈夫か、レイン先輩?」
「ら、らいじょうぶでしゅ……。」
レインは頭からぷしゅうと蒸気を噴き上げたかのように、混乱していた。
少しの間レクスに身体を預けていたが、すぐにはっとしたように、口を開いた。
「はっ……ご、ごめんなさいです!すぐに退くです!」
レインはすぐに立ち上がると、ぺこりと頭を下げた。
レクスもゆっくり立ち上がると少しズキリとした背中の痛みに、僅かに顔を顰めた。
背中を少し痛めていたのだ。
その表情に気がついたのか、レインが慌てて駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか!私のせいで…。」
「いいや、レイン先輩のせいじゃねぇって。俺が受け身を取れなかったのが原因だ。…痛っ」
「…じっとしててくださいです。」
顔を顰め辛そうなレクスを目にしたレインは、すぐさまレクスの背中に手を当てた。
「ヒーリング。」
レインの手から、黄緑色の光が漏れ出る。
聖魔術は「ヒーリング」というただ一つの呪文しか存在しない魔術だ。
魔術の照射時間と魔力量で身体の快復を調整する、ただ一つの魔術体系。
それが聖魔術という魔法だ。
レクスはすぐにその効果を驚く程に実感していた。
一瞬で背中の痛みがすぅっと嘘みたいに引いていく。
傭兵ギルドではイリアに幾度となく使われたこの魔術。
エルフの秘薬でも無いのに、傷を塞ぎ痛みを癒す魔術。
レクスは何度見ても、不思議でならなかった。
(こりゃ……親父が欲しがる訳だ。こんな簡単に怪我が治るならよ。)
レクスが感心していると、レインの手から光が消える。
魔術の発動が終わったようで、レインはふぅと疲れたように溜め息をついた。
「…治ったです。大きな怪我じゃなくて良かったです。」
「すまねぇな。俺の為によ。」
レクスの言葉に、レインはぶんぶん首を横に振るう。
そして、見上げるようにレクスの目を見つめた。
「いいえ。あちしのせいです。あちしが転んだから、レクスさんが助けてくれたんです。お礼を言うのはあちしです。…ありがとう、ございます。」
「ああ。…せっかくだから、俺が学園まで運ぶぞ。重いもん持つのは慣れてるからよ。」
「レ、レクスさんにそこまでしてもらうのも、申し訳ないです。いいですって。」
レインの言葉を聞かず、レクスはてきぱきと荷物を拾い集め始めた。
いくつかの箱を積み重ねて歩いていたようで、箱をうまい具合に重ね直す。
重ねあげた箱をレクスはひょいと軽々しいように持った。
これは女性、特にレインのような小柄な女性には重たいだろうとレクスは感じる。
「じゃあ…これをどこまで運べば良いんだ?」
「…はぁ。レクスさんはお人好しです。…生徒会室までお願いするです。」
「了解。」
溜め息をつくレインに、レクスはにこやかに微笑みながら横に立った。
一応レインが先輩なのだが、背の低さからか、どうしても義妹と一緒なようにレクスは扱っている節があった。
不機嫌そうにしつつ頬を染めたレインはちらりとレクスの横顔を覗く。
その視線に気がつき、レクスはレインに顔を向けた。
「どうしたんだ?レイン先輩。」
「…レクスさん。あちしは先輩です。なのに何です?子供みたいに扱わないで欲しいです。」
少しぷんすかとしているような口調にレクスは苦笑いを浮かべた。
ちょっとだけ不機嫌そうに歩き始めレインに続くように、レクスも合わせて歩き始める。
すると、レクスは思い出したように口を開く。
「レイン先輩は、聖魔術が得意だったんだな。…確か珍しいんだろ?聖魔術の適正ってよ。」
実は聖魔術の適正は、他の魔術適正を持っている人と比べて、圧倒的に数が少ないのだ。
魔術適正がないという人間も滅多に居ないのだが、聖魔術を使える者との扱いは雲泥の差だ。
レクスの父であるレッドが追い求めたように、この世界の医療の中心は聖魔術が基本になっている。
その人材を求める人間は多く、魔力量が少なくとも、引く手は数多だ。
しかし、レインはつまらなそうにふぅと溜め息をついた。
その表情は何処か諦めたような雰囲気すら醸し出している。
「あちしは…確かに聖魔術を使う事ができるです。ですけど、魔力量は並程度です。…あまり、褒められたものではないです。」
「……そうか?俺は何の適正も無いからそういうの疎くてよ。使えるだけ良いじゃねぇか?」
すると、その言葉にレインはゆっくりと首を振った。
「聖魔術は確かに役には立つです。…でも、それだけじゃ、誰も救えないです。」
「誰も救えない?そんな事はねぇよ。さっき俺も背中の痛みを取って貰ったしよ。十分じゃねぇか?」
「違うです。聖魔術は確かに病気や怪我を治せるです。でも、それに頼ってばっかりだと、駄目だと思うです。…変ですよね。あちし。聖魔術に頼らない治療なんて、してる人はいないです。昔に学園で一人、そんな変人がいたらしいです。あちしは、そんな風に治療をしたいです。…だから、聖魔術での治療は、あまり好きでないです。」
ふぅとレインはしょぼくれたように溜め息をつく。
そんなレインを見て、レクスはどういったものか考えていた。
(聖魔術に頼らない治療ねぇ…どう考えても親父じゃねぇか。)
レインの話を聞いたレクスは、「学園の変人」に心当たりしか無かった。
以前レッドの口から語られた事を、そのまま聞いているようだったのだから。
「レイン先輩、俺は変だとは思わねぇよ。」
「何でです?どう考えても変です。聖魔術が使えるのにっていつも言われたですから。」
「人の考え方なんてそれぞれだろ。…少なくとも、俺はレイン先輩の考えを軽蔑しねぇよ。だって、そんな人を知ってるからな。」
「…誰です?いるわけ無いです、そんな人…。」
「俺の親父だ。アルス村で開業医をしてるぞ。」
レクスの言葉に、レインは目を丸くした。
歩きながら、レクスの顔に目を向ける。
「う…嘘です。誂ってるですね?」
「いいや、本当だっての。なんなら俺だっていろいろ教わったしよ。」
「こ、こんな近くに居たですか…探していたひとが。」
するとレインは、しばし考え込むような表情を浮かべて俯いた。
何やらブツブツと呟き始めたかと思うと、うんと頷く。
そして、立ち止まると改めてレクスに顔を向けた。
その表情は息を呑むように真剣だ。
「レクスさん、お願いがあるです。」
「ん?出来ることなら聞くぞ?」
レクスの言葉に、レインは意を決したように口を開いた。
「あちしと…結婚してください!」
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