出来損ないの淫魔
「大切に思われているのですね。……話が逸れてしまいましたが、その娼館を纏めるクライツベルン家では、実際、大揉めに揉めたそうです。それで、最終的にはアーミア様が跡継ぎになられました。決め手は先程も言いましたが、その性格だったようです。メギドナ様は男性を消耗品のように扱いますが、アーミア様は少なくとも愛玩動物のように扱うと聞いています。」
「……あんま変わんねぇんじゃねぇか?」
頭に?を浮かべるレクスに、クリスはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。天と地ほどの差異があります。簡単に言えば、世話をするかしないかですから。それで家督争いが終わった後に、メギドナ様は大変激怒なさったと聞いています。……実際に見たわけではないので、詳細はわかりませんけどね。その後、アーミア様に一人の女の子が産まれました。」
「……それが、会長ってわけか。」
レクスの言葉に、クリスは静かに頷いた。
「ええ。マリエナちゃんです。彼女はサキュバスとしてはアーミア様の力を色濃く受け継いでおられました。闇魔術の適正はもちろんですが、魔力の量も最初からかなり多かったと聞いています。量だけなら、「魔導賢者」であるカレンさんにも全く引けは取らないでしょう。さらに、そのセンスも非常に長けていました。レクスさんは戦った事がないでしょうけど、マリエナちゃんはものすごく強いんですよ?」
「そんなイメージねぇけどな……。いっつも明るくて、幸せそうにスイーツ食べてる様子しか見たことねぇよ。」
「ふふふっ。マリエナちゃんにだいぶ気を許されていますね。それは。…でも、そんなマリエナちゃんはアーミア様を継ぐ後継者としては十分すぎました。あまりにも色濃く受け継いだ性質のせいで、マリエナちゃんはメギドナ様の目に止まってしまったのです。そして…事件が起こってしまったのです。」
マリエナの自慢をしていたようなクリスの表情が、一気に昏く落ち込む。
平静を保とうとしているが、無理をしている事がレクスの目にも映った。
身体が震え、組んだ腕も何処か抑え込むように力が入っていることが見て取れたのだ。
「ある時、幼いマリエナちゃんを置いて、アーミア様が会議に出ないといけない時がありました。その際、マリエナちゃんがメギドナ様の元へしばらく預けられる事になったのです。それが…悲劇の始まりでした。」
「…何があったんだ?」
「簡単に言うなら…見せしめのようなものです。サキュバスの吸精を見せ続けたんですよ。「魔眼」を使った相手との吸精を。幼いマリエナちゃんを椅子に縛り付け、眼を無理矢理開けて、一人の男性が事切れたら次の男性に替えて、何人も、何人も。」
その言葉に、レクスは眼を見開いた。
胸の内から、燃え盛る火にガソリンを注ぐように、怒りの感情が溢れ出る。
ギリギリと歯を食いしばり、手から出血するかと思わせるほどに拳を握りしめた。
あの明るい、ほんわかした笑顔の裏で、そんな経験があった事など、思いもよらなかったのだ。
何人もの男性を死の淵に追い込む様を見せつけられるなど、正気の沙汰ではない。
しかも方法が方法だ。
幼い心にそれを見せるのは、想像を絶する経験だったに違いない。劇薬も良いところだろう。
レクスのその表情を目の当たりにし、クリスも顔を顰める。
「それが、三日三晩も続いたそうです。そして最後にマリエナちゃんはこう言われたようです。「お前もこうなる。狂った性で男を殺し続ける、淫猥な本性が目覚める。それがサキュバスの本懐だ」と。そして、アーミア様が戻られた時、マリエナちゃんは壊れかけていました。…極端に、男性を避けるようになってしまったのです。」
「何だよそいつ…狂ってやがるじゃねぇか。反吐が出んぞ…!」
「優しかったマリエナちゃんは、自分が近付くと男性を殺してしまうと思ったそうです。親しかったルーガ君すら避けて、吸精行為や「魔眼」を自身で封印してしまいました。…「淫猥な本性が目覚めると、好きになった男性を殺してしまう」と思い込んだのでしょう。男性を露骨に避けるマリエナちゃんは、クライツベルン家としては大問題です。…跡継ぎすら危うくなるのですから。」
「…だろうな。だからデートの時、伯母さんに会長は怖がってたのかよ。」
レクスの脳裏に浮かぶのは、マリエナの極端に怯えた顔だった。
トラウマを刺激されたのなら、あの怯えようにもなるだろうとレクスの腑に落ちた。
クリスは吐き捨てるように、ふぅと息を吐く。
「メギドナ様のところで亡くなった男性たちは、同意の上での吸精中の死亡ということで事件にすらなっていません。アーミア様には、「教育」と伝えていたそうです。当然、お咎めすらありません。その後久しぶりに、私たちがマリエナちゃんに会いに行った時、ルーガ君は近寄ることすらできませんでした。…今はだいぶ元に戻っていますけど、マリエナちゃんは根っこのところで男性とのお付き合い、そして淫魔としての自分に恐怖感を持っておられるのでしょう。普段はそんな顔、絶対に見せませんけど。」
「じゃあ、会長が彼氏やお見合いが出来ねぇってのは…」
「恐怖感、でしょうね。単純に男性の好みということもあるでしょう。ですが、その心の内は非常に繊細で、誰かを傷つけたくはないという思いからくるものだと私は思います。…だからこそ、あなたは例外中の例外なんですよ。レクスさん。」
クリスは身を乗り出し、レクスの目を見つめる。
レクスは少し驚くように仰け反ったが、すぐに訝しむような顔つきに変わった。
「俺がか?買いかぶりすぎだっての。俺は偶々会長と知り合っただけだ。それで俺しか頼れる人がいなかったからじゃねぇか。」
「いいえ。あなたは本当に例外です。あなたは、「魔眼」を受けても一切効かなかったではありませんか。」
「…はぁ!?お…俺が!?」
クリスの発した言葉に、レクスは目を丸くした。
口をあんぐりと開け、困惑した様子でクリスを見返す。
しかしクリスも大真面目と言わんばかりに、レクスの眼を見据えたままだ。
「……ご存知なかったのですね。メギドナ様の魔眼を使われた際、全く動じていなかったではありませんか。てっきり、知っているものとばかり思っていましたけど。」
「い……いや、そもそもいつ使われたのかもわからなかったしよ……。え、顔を近づけられた時か?」
レクスの疑問に、クリスはコクリと頷く。
知らず知らずのうちに「魔眼」を受けていたことに、レクスはゴクリと息を呑んだ。
もしも効いていたら、今頃はメギドナの奴隷のような扱いになっていたと思うと、レクスは怖気が走ったのだ。
「本当かよ……それじゃ、俺がもし「魔眼」にかかってたなら、今頃はあのサキュバスの虜かよ……。そんなこと、考えたくもねぇ。」
レクスはふぅと安堵の溜め息をつく。
カルティアやアオイ、幼馴染たちを放ってあの女性に付き従うなぞ、想像したくも無かった。
しかし、一方のクリスは眼を点にしてパチパチと目を瞬かせた。
「え……もしかして、気が付かれていないのですか?レクスさん……マリエナちゃんからも「魔眼」を受けていますよ?」
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