演じきるために
マリエナとデートをした翌日からも、カルティア、コーラル、アランの三人からのマナー講座は続いた。
やはり少し嫉妬していたのか、マナーを教えるカルティアが少し厳しくなったのは、レクスの気の所為ではないだろう。
傭兵ギルドに行った際にも、マナー講座の癖が抜けきっておらず、レクスはクロウやチェリンからも驚かれた。ヴィオナに至っては「似合わないさねぇ」と爆笑されていたが。
その後、マリエナからも母親と会う日が決まったとの連絡もあり、その日に向けて、レクスは特訓を続けていたのだった。
そして、何とかカルティアに認められ、ついにマリエナの母親と会う前日の昼。
レクスはある人物に、生徒会室に来るように呼び出されていた。
レクスは一人、誰もいない廊下を歩いている。
授業終わりの学園は、誰も実習や活動で出払っているためか、校舎内をしんとした静けさが支配しているようだった。
周囲には誰も伴っていない。
そうして欲しいと言われたからだ。
生徒会室の前の立つと、レクスはふぅと深呼吸をした。
コンコンと部屋をノックすると、明るく聞き馴染んだ声が帰って来る。
「はーい。誰かな?」
「…レクスだ。入って良いか?」
「あれ?何か用事かな?どうぞー。」
引き戸をガラリと開くと、そこにはマリエナがぽつんと窓際にに立ち、外を眺めていた。
戸が開いたことに気が付くと、マリエナはレクスに顔を向ける。
にこやかに微笑み、いつも通りなマリエナ。
部屋の中には他の生徒会役員も居らず、マリエナ一人だけだ。
「いらっしゃい、レクスくん。何か用事かな?」
「いや、ちょっと呼ばれたんだけどよ…?…居ねぇな。悪ぃけど、待たせてもらえるか?」
「うん。いいよ。誰に呼ばれたのかな?」
「ああ。ちょっと、副会長によ。」
「クリスちゃんが?なんでレクスくんを?」
「俺にもわかんねぇ。朝、入り口で会ったときに生徒会室に昼頃来てほしいって言われただけだ。何を言われるんだか全くわかんねぇ。」
レクスはふぅと溜め息をつくと、近くの椅子を引いて腰掛ける。
他の生徒の来ない空間で、静寂がこの場を支配していた。
マリエナはレクスをじぃっと見据えていたが、意を決したようにレクスに近づく。
「…ねぇ、レクスくん。明日、お母様に会うけど、大丈夫?」
「多分な。カティやアラン、コーラルにも作法教えてもらったし、多分大丈夫だとは思ってる。」
「……ふぅん、そうなんだ。でも、なんで私の恋人役を引き受けてくれたのかな?そこまでしなくても良かったのに?」
「それは…。」
レクスの脳裏に浮かんだのは、マリエナの苦々しい愛想笑い。
あの表情をしているマリエナがとても辛そうで。
放って置くことなんて、レクスには出来なかったのだ。
「あんな辛そうな顔されちゃ敵わねぇよ。俺に出来ることがあるなら、それをするだけだ。…会長には、笑った顔が一番似合ってんだよ。」
「ふぇっ…!?」
真面目な一言に、マリエナは頬を染める。
そんなマリエナを気にせんとばかりに、レクスは言葉を続けた。
「会長はめっちゃ大きなスイーツ食べて、幸せそうに笑ってるくらいで丁度良いんだっての。…それだけだ。寂しそうにしてるのは…似合ってねぇよ。」
レクスは恥ずかしそうに、マリエナから顔を背け頬を搔く。
そんなレクスを見て、マリエナはにっこりと嬉しそうに笑うだけだった。
「そっか…。でも、一つだけ、やっておかないといけないことがあると思うの。多分お母様の前でしなきゃいけない事になるだろうし。」
「…?何だよ、それ?」
「あのね…レクスくんと、”キス”しないといけないかなって。」
「…はぁ!?」
「だから…ね?レクスくん、私とキス…しよ?」
マリエナが頬を染め、レクスをまっすぐ見つめる。
レクスはその言葉に、目を見開いた。
マリエナは眼を蕩けさせ、レクスの顔に近づいていく。
その美しくも愛らしい顔は、すぐ近くまで来ていた。
ぷるんとした唇が、レクスを誘うように艶めいて光る。
そして。
「あんた……会長じゃねぇな?……誰だ?」
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