しえんするもの
マリエナたちが学園に入ったのと同時刻。
陽の光も入りこまない路地裏で、ギリリと歯を食いしばっている女性の姿があった。
周囲には五、六人の男性が控える。
蝙蝠の羽や角を生やしている女性。
サキュバスがマリエナたちの後ろ姿を忌々しく目に映していた。
メギドナ・クライツベルン。
ジュエリーショップでレクスたちが対峙した、マリエナの伯母にあたる女性だ。
「あいつら、わたしのダークネスサーヴァントを軽々しく屠ったわねぇ。何よ、あんな役立たずのマリエナより、わたしが劣ってるっていうの?」
メギドナは語気を強めて、一人呟く。
レクスとマリエナを襲った人型の魔獣の出どころは、彼女だったのだ。
彼女はここで、マリエナとその眷属に痛い目に遭ってもらおうと思っていた。
爪を噛んで悔しがる、その女性に近付く小さな影が一つ。
口元を上げて、薄ら笑いを浮かべながら、それは近寄っていた。
「おねーさん。どうしたの?そんなところで?」
「え…アナタは…?」
メギドナの振り向いた先にいたのは、小柄な体躯の少女。
白いワンピースとは対照的に肌は浅黒く、小柄な身体ながら大きな女性の象徴も合わさって、不思議な色香を醸し出していた。
赤黒く、長い髪から覗く昏い目は、ニコニコした表情とともにメギドナをまっすぐ見つめている。
「わたし、ノア。よろしくね、おねーさん。……マリエナを、消したいんでしょ?私なら、力を貸して上げられるけど……どうする?」
勇者リュウジに一番近い女の子、ノア。
陽の光が届かない、薄暗い中で。
少女は不気味に笑み、その場に静かに立っていた。
◆
翌日の昼。
その部屋にはいくつかの古めかしい本棚と黒く大きな机が一つだけ。
そこは、メギドナの屋敷の書斎。
一人のメイドが訪れていた。
机の向こうに立つメイドをメギドナはじわりと見据える。
クラシカルなメイド服に身を包んだ少女は表情に少し影を落としているようだ。
少女はゆっくりと息を吸い、口を開く。
「昨日、マリエナがデートしていたのは、偽の恋人です。メギドナ様が気にするような人ではないです。」
「あらぁ、そうだったのねぇ。あの売女がついに眷属を見つけたのかと思ったわぁ。」
メギドナはメイドの報告にニヤリと口元を上げる。
メギドナは、このメイドを信頼していた。
このメイドには、学園でのマリエナの行動を逐一報告させていたのだ。
学園に潜入させた、メギドナの尖兵。
それがこの少女だった。
少女の報告に、メギドナはふぅと安堵したような溜め息をつくが、それも一瞬。
次の瞬間にはあることを思い出し、ギリリと唇を噛み締める。
「でもあの男、アタシの魔眼が効かなかったわよねぇ。やっぱり、マリエナの眷属かしらぁ?」
「それはないです。学園の噂では、「野蛮なストーカー」、「王女の弱みを握る極悪」と言われる程です。行動力だけはある危険な男。……それが、レクスという男です。マリエナはあの男に魔眼が効かなかったからというただその一点でアーミア様に会わせるということです。多分、恋愛感情はない、はずです。」
メイドは学園で聞いた噂を話し、「それはない」と首を振るう。
これらの噂はだいたい勇者が吹聴していたものだったが、噂を聞いただけのメイドはそれを黙っていた。
しかし、メギドナは顔を顰める一方だ。
「それでもよ。……気に入らないわねぇ、やっぱり。……殺しちゃいましょうか。」
「……え?」
メギドナの発言に、メイドは目を見開く。
絶句するメイドに、メギドナはニヤリと邪悪に口元を上げた。
「……そうねぇ。もういいわ。……殺しちゃいましょ。」
「……え?……メギドナ様……?」
「あの売女だけ幸せになるなんて、許せないものねぇ。あのお方にもああ言って貰えたもの。……この力さえあれば、あの売女共を消せるんだもの……うふふ。」
「……メギドナ様……一体何を……!?」
「あの売女だけ狡いわよねぇ!ド派手にあの売女を葬ってあげるのよ……大切な、「学園」でね。」
メギドナは、力を得ていた。
それは、サキュバスとしての力などではない。
さらに大きく濁りきった、混沌。
メギドナの口元が、三日月のように吊りあがる。
その笑みは、邪悪。
見たことないメギドナの顔に、メイドの少女は肩を震わせていた。
「そうと決まれば、早速、手持ち全てで吸精しないといけないわねぇ。魔力はいくらあったっていいもの。」
「……本気……です?」
「ええ、もちろんよ。貴女にも手伝って貰うからね。……大丈夫よ。貴女には何もしないわ。」
メギドナは優しげに、メイドの少女に微笑む。
その仕草に、メイドの少女は怯えきり、身体を震わせてしまっていた。
メギドナは椅子から立ち上がり、すたすたと少女の横を通り過ぎる。
その時、メギドナはぽつりといつものように呟いた。
「吸精の後の処理、何時も通りお願いね……《《レイン》》。」
呟かれた言葉に、メイドの少女は目をぎゅっと瞑り、拳を握り締める。
しかし、その表情にメギドナが気が付くことはない。
「かしこまりましたです……メギドナ様。」
少女の呟きを聴き終える前に、”バタン”と音を立てて書斎の扉は閉じた。
少女は俯き、その場に立ちすくむ。
メギドナの目の前にいたメイドの少女。
それは、王立学園生徒会の書記。
レインが、暗い顔を俯かせ、そこにいた。
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