あやつるもの
「はっ……はっ……なんで?なんでカルティア様が?」
マリエナは早鐘を打つ心臓をそのままに、学園へと駆け込んだ。
校門の周りには、夕と夜の移り変わる時間だからか、ほぼ人がいない。
頬は赤く、吐く息は荒いマリエナ。
抱え込んだビッくんをそのままに、校門から少し進んだところで立ち止まり、息を整える。
明らかにカルティアにはバレていた。
レクスに魔眼を使ったという事実を知られてしまっていた。
レクスもサキュバスの魔眼すら知り得なかったのに、なぜカルティアが知っているのか。
そして、何故それを見逃されたのか。
理解が追いつかなかった。
「レクスくんが言ったのかな?……いや、レクスくんも知らなかったはず……なんで?……もう、わかんないよ。」
マリエナはふぅと深い溜め息をつく。
ビッくんはなぜそんなマリエナを不思議そうに見ていた。
「まぁ、カルティア様も何も言ってこないみたいだし……良いのかな。ごめんね、レクスくん。」
マリエナはレクスに、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
間違いなく、母親の魔眼は使われる筈だ。
レクスを守ることは自分には出来ない。
自身の魔眼が効かずとも、母親の魔眼が自身より洗練されたものであることはわかりきっていた。
レクスが耐えられれば奇跡に近い。
マリエナは、そう思っていた。
そんなマリエナの後ろから、一人の男子生徒が近付く。
「そこにいるのは、もしかしてサキュバスかな?学園に居るなんて驚いたよ。」
浮かない表情のマリエナに、後ろから声がかかる。
振り向くと、茶色いパーマで黒い瞳の男子生徒がニヤニヤと厭らしげな表情を浮かべている。
その男子生徒はマリエナを見定めるように、ゆっくりと近づいて来ていた。
勇者のリュウジだ。
たまたまこの時間に、リュウジは冒険者ギルドから帰って来ていたのだ。
周囲にはリナたちの姿はない。
リュウジ一人だけだった。
「やっぱりサキュバスじゃん。こーいうのもテンプレだよね。僕ってついてるよなぁ、こんな美女とヤれるんだから。」
そのリュウジが呟いた声は、マリエナにしっかり届いていた。
発言の得体の知れなさからマリエナは身体をこわばらせる。
ビッくんもぎゅっと身体を縮こめてしまっていた。
マリエナの元にも、リュウジの噂は嫌でも入ってきていたのだ。
そもそもマリエナは生徒全員の顔を知っている。
中でも勇者リュウジは一年Aクラスのほとんどの女子生徒を侍らせ、最近は他学年や他クラスに手を伸ばしているとの噂だった。
生徒会にも、実は苦情が来ていたほどだ。
「あなたは…勇者のリュウジ・キガサキ…。」
「あ、僕のこと知ってくれてるんだ!嬉しいなぁ。そう、僕は勇者リュウジ・キガサキさ。リュウジって呼んでね。君の名前は?」
「ま…マリエナ…。マリエナ・クライツベルン…。」
マリエナの声は、僅かに震えていた。
やはり、得体の知れない、ヌメッと粘りつくような雰囲気が、どうにもマリエナには拭いきれない。
そんなマリエナに気がついていないのか、リュウジは声を連ねる。
「へぇ、マリエナちゃんっていうんだ。ここで会ったのも何かの縁だし、これからもよろしくね。」
そう言ってリュウジは手を差し出す。
マリエナは、その手を握りたくなかった。
何処か嫌な雰囲気がそうさせていたのかもしれない。
怖かったのだ。
しかし、手を握らないわけにもいかない。
僅かに震え、こわばる手を、マリエナはどうにか差し出す。
リュウジがニヤついた笑みを浮かべ、手を握ろうとした。
その瞬間。
「リュージ駄目ぇっ!」
「会長!」
両者の後ろからそれぞれ声が響く。
マリエナは響く声に、すぐ手を引っ込めた。
どうやらそれはリュウジも同じだったようだ。
すると、声をかけた人物がそれぞれ駆け寄る。
マリエナの方に声をかけたのは、遅れて帰ってきたレクスだ。
一方のリュウジは……意外にも、ノアだった。
「会長……よかった、間に合ったか。」
「え?え?レクスくん?」
「リュージ!よかった!」
「……え?ノア?どうしたの、そんな慌てて?」
レクスはマリエナの前に立つと、ふぅと一息ついてリュウジに目をやる。
レクスに遅れる形で、カルティアもマリエナの隣に立った。
するとリュウジはカルティアを見つめ、ニンマリと口元を上げ、厭らしく笑う。
「やあカルティア。そこの無能くんから飽きて、僕の元へ来る気になったのかい?」
「いいえ。お幸せな頭ですわね。……以前にも言いましたが、わたくしはあなたとはあまり関わる気はありませんわ。わたくしは、生徒会長のマリエナさんに用がありますの。それでは、失礼しますわね。マリエナさん、行きましょうか。」
「う……うん?」
カルティアの表情は、街中で噂される「冷淡の王女」そのものだった。
カルティアに連れられる形で、マリエナはリュウジの元から離れる。
するとリュウジは口元を曲げ、露骨に不機嫌な表情に変わった。
「あの子、生徒会長なのかよ…。ちぇっ、無能君、君のせいでマリエナちゃんとお喋り出来なかったじゃないか。どうしてくれるのさ。」
「俺も会長に用があっただけだっての。別にあんたに用があったわけじゃねぇよ。……会長はカルティアについて行っちまったし、俺も帰るわ。じゃあな。」
レクスも踵を返し、リュウジを一瞥もせず、すたすたとリュウジから離れる。
リュウジは少しイラッとしたように目元を上げ、踵を返して寮まで歩いていった。
離れたことを確認すると、レクスはマリエナの元へ歩み寄った。
マリエナの傍にはカルティアとアオイが控えている。
マリエナ自身は戸惑っていたが、何処か安堵している様子でもあった。
「会長、大丈夫か?」
「レ…レクスくんは、なんで?」
「ああ、ちょっとリュウジと話してるのが見えたからよ。ちょっと思うことがあって話しかけたんだ。…その様子だと、大丈夫そうだな。」
ふぅと安堵するレクスに、マリエナはさらに困惑し、首を傾げた。
すると横からカルティアが溜め息とともに口を開く。
「ふぅ、危ないところでしたわね。…案外、リュウジも助かったかもしれませんけれど。」
「え…?どういう事…?」
「信じていただけるかはわかりませんけれど…リュウジには、握手で発動すると思しきスキルがありますの。…おそらく、精神に干渉するようなものですわね。」
「そ…そうなの…?」
カルティアの説明は、マリエナの度肝を抜くようなものだった。
◆
レクスたちと離れたリュウジとノアは、ポツポツと歩く学園生の中を、並んで歩いていた。
リュウジの表情は、マリエナを手中に収められなかった事が響いているのか、不満そうに口元を下げている。
そんなリュウジに対し、ノアは意外にもリュウジを少し厳しい眼で見ていた。
「ねぇ、リュージ。さっき「操心」使おうとしたよね?サキュバスの女の子に。」
「うん。邪魔さえ入らなきゃ、サキュバスの女の子が手に入ったのにさ…全く、あの無能君は何様のつもりだよ!あいつさえ居なければ!」
目元を上げて、苛立ったように呟くリュウジの前に、ノアは躍り出た。
その表情は、何処かリュウジを批難するように眉を潜めている。
「リュージ!確かに苛つくのも分かるけど、「操心」はサキュバスに使っちゃ駄目だよ!取り返しのつかない事になっちゃう!」
いつにもないノアの口調に、リュウジは目を丸くしていた。
普段ノアは「操心」を誰に使おうが文句を言うはずはなかったのだから。
その様子に少し怒りを収めたリュウジは、呆気にとられたような顔でノアを見つめる。
「え…?なんで?」
「リュージ。サキュバスには「魔眼」っていう特殊能力があるの。見つめた男性を虜にするっていうものなんだけど。」
「だったら良いじゃないか。僕はそれを使われても構わないけどな。」
「…一生奴隷になりたいならね。」
ノアの一言に、リュウジは目を見開いた。
「…え!?ノア?ど…どういうこと?」
「サキュバスの「魔眼」は見つめた相手を一生自身のただ従うだけの奴隷に変えるの。しかも解けないからね。どのみちサキュバスは結婚する時にそれを相手にかける風習があるんだよ。…そんなサキュバスの好感度を上げると、まず間違いなく魔眼をかけて来る筈だよ。リュージがそれでいいならいいけど。」
ノアの言葉に、リュウジは顔を引き攣らせた。
「そ…それでノアも止めてくれたんだね…さすがに一生奴隷は嫌かな…。」
「もしもリュージがさっき「操心」を使ってたらと思うと、ゾッとしちゃうよ。…いい?もうサキュバス相手に「操心」なんて使っちゃ駄目だよ。」
「う…うん。わかった。…でも、ノアが言ってくれるから助かったよ!ありがとうね、ノア!君はやっぱり僕の女神様だ!」
リュウジはノアに感謝した後、ノアの細い体躯をぎゅっと抱き締める。
ノアはそんなリュウジを抱き締め、仄暗い笑みを浮かべていた。
(あーあ。生徒会長がサキュバスかぁ。リュウジも役に立たないし、ちょっとわたしが出張っちゃおうかな。生徒会長がサキュバスだと、この学園を掌握しにくいしね。…ま、今じゃ無くてもいいけど、消すなら早いうちが良いよね。わたしの…理想のために。)
ノアはリュウジの背中に手を回し、ぎゅっと抱え込む。
まるでそれは親鳥が雛を抱え込むかのようにも。
自分の道具を全く手放す気がないようにも見えた。
お読みいただき、ありがとうございます。




