いっしょにいたい
柔らかい感触。
温かい体温。
レクスが気がつくと、アオイの唇が自身の唇と重なっていた。
アオイは求めるように、ぎゅうとレクスを抱きしめる力を強くする。
アオイの柔らかな身体と女の子のフローラルな匂いは、レクスの心臓の拍動を加速させる。
ゆっくりとアオイが顔を離す。
その眼は蕩けきり、うるうると潤んでいた。
艶めいた唇と魅力的な表情に、レクスは顔を赤くしてアオイを見つめる。
アオイの顔も、ぽわぁと全体に朱が差していった。
「…あれ?…うち……レクスと、くちづけしちゃった……。」
「……アオイさん?少しよろしくて?」
カルティアの声に、レクスはアオイの背後を見る。
アオイの後ろには、額に青筋を立てたカルティアが”ゴゴゴゴ”と圧力を放っていた。
「アオイさん?キスは規約違反ですわよ?」
「…そうだった。…ぽかぽかして、気持ちよかった。…幸せ。」
語気の強いカルティアに、アオイは赤い顔のまま、レクスから離れる。
レクスも赤い顔のまま、座っていた椅子に”とすん”と座り込んだ。
その心臓はいまだにドキドキと跳ね続けている。
レクスは誤魔化すように、残りのコーヒーを一気に呷った。
アオイがレクスから離れると、カルティアは優しくアオイの手に触れる。
するとカルティアは驚いたように目を丸くして、アオイの顔に目を向けた。
その表情は、いつも通りに瞳のアンバーが輝いている。先程までの怯えに怯えていた表情が嘘のようだ。
「……治っていますわね。いつものアオイさんですわ。まさか、そんなことで?アオイさん、大丈夫ですの?」
訝しむカルティアに、アオイはコクリと頷いた。
アオイは不思議そうにレクスへ顔を向ける。
「…もう怖くない。…レクスのお陰?」
「聞かないでくれ。俺も知らねぇよ……。」
紅い顔のレクスは照れ隠しのようにゆっくりと首を横に振る。
アオイはふぅと溜め息をついて、レクスをじっと見つめた。
そして、何かを決めたように紅い顔でコクリと頷く。
「…あのね、うちは決めた。…もう迷うことはない。…うちも、必ずレクスと結納する。…怖いの、消してもらった。…何度も、たすけてもらった。…ずっと、いっしょにいたい。」
「はぁ!?お、おい、そんな簡単に決めて良いのかよ!?」
「…カルティアとは結婚するんでしょ?…くちづけ、しちゃったから。…うちもする。…レクスとなら、楽しそう。…これからも、よろしくね?」
「そんなこと……まだわかんねぇよ。勝手に決めないでくれ……。」
レクスはばつが悪そうにカルティアの方に目を向ける。
カルティアは少し考え込んだ様子をしていたが、レクスが顔を向けると、コクリと頷いた。
その表情は、目元を下げて優しく微笑んでいるが、何処か圧を感じるものだった。
「アオイさんには少し、お話がありますわ。……でも、ハーレムに入るのは以前から決めていたことですもの。改めて、よろしくお願いしますわね。アオイさん。」
「あの、俺聞いてねぇんだけど……。」
「…うん。…よろしく、カルティア。…うちも、レクスのお嫁さんとして、頑張る。…もちろん、正妻も譲らない。」
「ええ。わたくしもレクスさんの正妻を譲る気は全くありませんわ。でも、同じ人を愛するもの同士、改めて仲良くいたしましょう。」
「あの、俺の意見も聞いちゃくれねぇか……?」
「…レクスは黙ってて。」「レクスさんは静かにして欲しいですわ。」
「……はい。」
レクスは、二人の圧にすごすごと引き下がる。
勝手に進むハーレムの話に、レクスは目を伏せ、ふぅと溜め息をついた。
傍のカップには、もうコーヒーは入っていない。
(…おかわり頼むか。)
レクスは目の前の二人に目を向ける。
「先程の件は仕方がありませんわ。でも、レクスさんが幼馴染の方と区切りをつけるまでは直接的な行為はいけませんわよ。それは変わりありませんわ。」
「…わかってる。…抜け駆けはなし。」
話し合いをしている二人を、レクスは苦笑いで見つめた。
ふぅと溜め息をつくと、空を仰ぎ見る。
(どのみち守りてぇものが増えちまったな。全く……何で俺なんだか。……絶対にあいつらと、はやくケリ、つけねぇとな。)
レクスは口元を上げ、少しだけ微笑んだ。
レクスが仰ぎ見る空の上には、離れた雲がくっつきながら、ゆっくりと陽の下を泳いでいる。
先ほどまでの緊張感はあっという間に消え去り、陽は緩やかにレクスたちを照らしていた。
◆
その日の夜、カルティアの部屋には再びアオイが訪れていた。
カルティアは何時も着ているネグリジェで、下着姿がはっきりと見えている。
男からすれば垂涎の的ともいえるその身体を、惜しげもなくアオイに晒していた。
そんなカルティアをジトっとした目で、アオイはむすっと口元を曲げて見ていた。
アオイは茶色い花文様の浴衣姿で、カルティアの前にゆったりと座っている。
二人の間のテーブルには、淹れたての紅茶がほかほかと湯気をたてていた。
「…むぅ。…やっぱりカルティア、おっきい。」
「アオイさんも十分大きいと思いますわよ?」
「…レクスは大きいのが好き。…ずるい。…カルティアに勝てるのは会長くらい。」
「マリエナさんはサキュバスの方ですもの……。でも、アオイさんが元気になってよかったですわ。あのままでしたらどうしようかと思いましたもの。」
カルティアは目を細め、クスクスと微笑む。
するとアオイは眉を下げ、少し気落ちしたような表情を浮かべた。
「…うちの勇者への監視がバレてた。…気づかれていないと思ったのに。…不覚。」
「ノアさんですわね。恐怖心の中に、あの方の顔が見えましたわ。」
「…うん。…本当に、何をされたのかわからなかった。…気がついたら、全部が怖かった。…本当に、怖くて、怖くて、おかしくなってた。…レクスを見た瞬間、気がついたら跳んでた。」
「そうでしたのね。それで、あんな風に……。」
「…うち、ノアを斃そうとした。…喉元を刺した。…でも、血も出ないし、全然平気そうだった。…ノアは、一体何なの?」
カルティアはアオイの言葉に目を見開いた。
アオイがノアを殺そうとした事もだが、ノアが明らかに人間ではないことがわかってしまったのだから。
「そう、ですのね。……一体、あの方は何者なのかは……わたくしにも、わかりませんわね。」
カルティアはふぅと溜め息をつき、頭を巡らせた。
(ノアさんは一体何者ですの……?アオイさんをああも恐怖心で埋め尽くすのは、闇属性の魔術しか考えられませんわね。でも、あそこまでになるのは聞いたことがありませんわ……?)
闇属性の魔術は心に左右する魔術が多いことを、カルティアは知っていた。
しかし、あそこまで恐怖心で埋め尽くすことができるのかは、甚だ疑問だった。
そして、もう一つ。
カルティアには気になることがあった。
(それを治すことのできるレクスさんのスキルとは、一体?)
闇属性の魔術で恐怖心を煽られていたのだとすれば、解除するには術者が解除するか、闇属性の魔術で対抗するほか無いのだ。
レクスは魔術が使えないことを、カルティアは本人から聞いていた。
つまり、考えられるのは「スキル」か本当に精神的なショックしか無い。
(読心も効かず、鑑定で見えない、闇の魔術を解除出来るスキル……?レクスさんのスキルは、一体何なのか、見当もつきませんわね。でも、もしかして《《精神への干渉を受け付けないとか》》……?考え過ぎですわね。あり得ませんわ。)
カルティアは自身の考えを否定した。
なぜならそんなスキルは荒唐無稽すぎるし、能力が一点特化すぎるからだ。
キスによる精神ショックで治ったと考えたほうが、まだ説得力があった。
頭を少し振って考えを否定するカルティアを、アオイはじっと紅茶を飲みながら見ている。
すると、あっと何かを思い出したように、顔を上げ、頬を染めた。
そんなアオイに気がついたカルティアは、アオイの方を見て、首を傾げる。
「どうかしましたの?」
「…レクスとキスしたこと、思い出しちゃった。…怖いのが無くなって、気持ちよかった。…胸がどくどくってして、きゅうってなって、とても幸せだった。」
頬を染めるアオイに、カルティアは微笑みながらもピキッと額に青筋を立てた。
しかし、ふぅと息を吐いて、その怒りを霧散させる。
そのキスが無ければ、おそらくアオイは今、ここにいないのだから。
カルティアの表情は目元を下げて穏やかにアオイを見つめていた。
「……今日だけですわよ。アオイさんが無事で、本当によかったですわ。」
「…カルティア、いい人。…うちの親友。」
アオイは目を細め、ニコリと微笑む。
カルティアもつられて優しげな表情を浮かべ、カップを持つと、紅茶を少し飲んだ。
少し苦くて、少し渋い。
しかし、その中に豊潤な香りと深みがある。
それが紅茶の味わいだ。
今のカルティアの心境と、何処か似ていた。
そんな二人を見守るように、空には淡い満月が上がっている。
皇暦一四〇五年 五の月 二十三分目。
レクスの運命を握る女性は、あと五人。
お読みいただき、ありがとうございます。
これにて第三章完結になります。
レクスの物語はアオイを加え、次の章へ。
次の章のテーマは「淫魔の性」ということで、いよいよあの人物にフォーカスが当たります。
第四章 「淫魔と雨の憂鬱・いざなうもの編」も楽しんでいってください。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございます。
次回からも、よろしくお願い致します。




