第5−1話
5
レクスがひとしきり声をあげて泣き終わった後だった。
”ぎゅるるるる”と間抜けな音が響く。
レクスはスキル鑑定のあとから何も食べていなかった。
腹の虫が鳴くのは、当然のことだろう。
「さて、ご飯でも食べようか。昼すぎにマオもシルフィも帰ってきたからね。準備は出来てるよ。」
レッドはそう言って、すっと立ち上がる。
レクスも、目をゴシゴシと右腕でこすりながら立ち上がる。
レクスがドアを開けると、にこやかにほほ笑む父レッドの姿があった。
「さ、行こうか。今日はマオがシチューを作ってくれてね。レクスの好物だっただろう?」
そんな父が、レクスにはありがたかった。
レクスが階段を降りると、シチューの美味しそうな匂いが鼻をつついた。
ダイニングを覗くと、すでにテーブルの上には料理が並べられており、シチューからは湯気が立っていた。
そしてテーブルの周りの椅子にマオとシルフィがすでに座っていた。
「ただいまー。レクスー。心配したのよー?」
「話は聞いたさ。大変だったそうだな。」
「おかえり、母さん。シルフィ母さんも。…ごめん。心配かけて。」
レクスは二人に謝りながら、椅子を引き席につく。
「いいのよー。家族だもの。」
「私たちはレクスの味方だ。つらい時はいくらでも力になるとも。」
マオとシルフィは笑いながらレクスに応えた。
すると最後にレッドが来て自身の席につく。
「お待たせしたね。それじゃ頂こうか。」
そして4人は「いただきます」と挨拶をして食事を食べ始める。
その日の食事は、パンとサラダとシチューだ。
レクスがシチューを口にすると、口いっぱいにまろやかな味が広がる。
レクスの好きな、母の味だった。
レクスはお腹がだいぶ減っていたのか、パクパクと食べていくとすぐにシチューがなくなる。
「母さんおかわり。」
レクスが口に出すと、マオはくすりと笑った。
「あらあら。泣くほど美味しかったのねー。お母さん嬉しいわー。」
「え?」
気づくとまた、レクスの目から涙が流れていた。
レクスは手で涙を拭う。
「あれ…おかしいな…。ごめん、母さん。」
「ふふふー。いいのよー。レクスのためにいっぱい作ってあるんだからー。」
マオはレクスから皿を受け取ると、そそくさとシチューを注ぎにいく。
そんな光景を、レッドとシルフィは微笑みながら見ているのだった。
そして、レクスはふと、空いている席に気がつく。
(クオン…)
昨日までは座っていたクオンはいない。
誰もいないその席に、レクスは寂しさを一瞬感じた。
食事を終えると、マオとレッドが終わった食器を纏め、流しへ持っていく。
この村には上水道は無いのだがレッドとマオが水属性の魔術を使えるため、家は水に困っていなかった。
食事が終わったあとの片付けは、二人の担当になっていた。
二人が席を立つと、シルフィとレクスが残った。
シルフィは足と腕を組み、レクスを見ていた。
シルフィが口を開く。
「レクス。辛いことを聞くが、お前はクオンに酷いことを言われたという話だったな。…本当…なのか?」
その言葉に、レクスは首を縦に振る。
「うん。…あんま思い出したかないけど。」
「そうか…すまなかった。」
頭を下げたシルフィに、レクスは慌てる。
「そんな…シルフィ母さんのせいじゃないし…」
「クオンの責任は私の責任でもある。そんなことを言うような娘ではないはずなのだが…。やはり、わかった気でいても子供のことは全て理解出来ていないものなのだな…。」
シルフィは顔を上げると悲しげな表情をみせていた。
「俺も…クオンにあんなことを言われるなんて思っても無かった。リナにも…カレンにも…。俺、みんなのこと何もわかってなかったのかな…。」
「そんなことはない。少なくとも私には、レクスがクオンのことを大切に思っていることはわかっていたよ。」
レクスの言葉を即否定したシルフィは少し考えた様子を見せる。
「レクス、お前はスキルがないと、そう言われたんだったな?」
「うん。俺はスキルも、魔術適正も、魔力もないってそう言われたよ。」
「なるほど。それはおかしいな。そんなことはあるはずが無い。」
言い切ったシルフィに、レクスは目を点にする。
するとシルフィは怪訝そうな顔で口を開く。
「だってそうだろう。レクス、お前はどうやってこの家で煮炊きをする?」
「どうやってって…そりゃ魔導コンロで…あっ!」
レクスはそこまで言って気がついた。
魔導コンロとは、使用者の魔力を火に変えて煮炊きを行う魔道具だ。
もちろん、魔力が無ければ作動するはずもない。
何なら昨日、レクスは煮炊きをするのに使っていた。
「気付いたか。もしも魔力が無いのなら、この家にある魔道具全て、レクスは使えないはずだ。しかしそれが使えると言うなら少なくとも魔力そのものは持っているはずだ。だからこそ、鑑定結果はおかしい。」
「じゃあ…俺には魔力はあるのか…。」
「まあスキルや適正がどうかまではわからない。だがそれよりもわからないのは「スキル」の有り無しで人を差別するような娘に育てた覚えは無いのだが…。そもそもそんなことをいえば私たちエルフにはスキルなんてものは最初からない。あの子はハーフだからあるが、人間以外の否定とはどういうことだ…?」
シルフィが深く考えこむ。
ブツブツとああでもないこうでもないと呟いているのがレクスにも聞こえた。
その後、レクスはシャワーを浴びて着替えを終えると、自室のベッドに倒れ込んだ。
朝から眠っていたからか、眠気はあまりない。
レクスは天井を見つめながら朝のことを改めて考えていた。
辛くないということは無かった。
悲しくないということもない。
それでも、レクスは思い出して考えることができるまでになっていた。
レッドやマオ、シルフィがレクスを受け止めてくれたことが、レクスにとって非常に大きかった。
(リナ…カレン…クオン…みんな、一体どうしちまったってんだ…?急にみんな、あんなことをみんなの前で言うか…?)
レクスは考える。
あの時は悲しさや虚しさでいっぱいで考えられなかった事だが、よくよく考えてみれば、不自然な点が多すぎる。
あまりにも態度の変化が急すぎた。
それがレクスにとって一番わからないことだった。
レクスにとっては三人とは幼い頃からの付き合いだ。
あそこまでレクスが嫌いなのであれば、もう少し前から自分を避けだすのではないかとレクスは思ったのだ。
(何でだろうな…。あんなに酷いことを言われたのに…。まあ嫌いになったってだけの話だろうけど)
レクスの思い出せる彼女たちはいつも笑っていて。
(どうしてだろうな…。)
レクスが、彼女たちを嫌いになれればどれだけ楽か。
(あいつらに…。)
レクスが、彼女たちを憎むことができればどれだけ楽か。
(笑ってて欲しいって思うのはよ…。)
レクスはまた、彼女たちの笑顔が見たいと思ってしまったのだから。
レクスが物思いにふけていた頃、診療所の一階でレッドたちも集まっていた。
テーブルを囲うように椅子に座り、顔を見合わせている。
「マオ、シルフィ。クオンをどう思う?。」
「うーん。私は今朝の様子はわからないけれど、ちょっとおかしいと思うわねー。」
レッドの問いに、マオが首を傾げながら答える。
「私もだな。それどころか未だに私自身信じられない。もちろんレクスやレッドを疑っているわけでは無いのだが…どう聞いても、クオンの態度が私の知るそれではない。」
シルフィも同じように首を傾げていた。
「1人だけじゃないっていうのが不気味よねー。リナちゃんとカレンちゃんもなんてー。」
マオは溜め息をつきながら、子どもたちの幼馴染を思う。
「そうだな。リナは少し口が悪いかもしれんが良い子だ。カレンもとなるといささか話が拗れてくる。」
シルフィもリナとカレンの顔を思い浮かべながら答える。
二人の意見を聞いて考え込んでいたレッドがゆっくりと目を開ける。
「…昨日、彼女たちがここに立ち寄った時はいつも通りに見えたけどね。「色眼鏡」も全員暖かいピンクやオレンジ、赤が少々入っていたぐらいで普通だった。でもね…。」
レッドが目を細め、鋭い表情になる。
「クオンが帰って着た時に「色眼鏡」を使ったら今まで見たことがない、非常に濃い紫や黒っぽいものまで見えた。これはただごとじゃないって思ったけど、それが果たして何なのか、僕にはわからない。けれど、可能性が一番高いのは…。」
「そうねー。多分だけどー。」
「最も怪しいのは…。」
「「「洗脳」」」
三人の声が揃う。
全く同じ答えに三人とも頷いていた。
真剣な顔でシルフィが口を開く。
「サキュバス族の魅了みたいなものか?…ただあれは他人を嫌わせるなんてことはできないはずだ。」
シルフィの疑問に、レッドは頷く。
サキュバス族は女性しか存在しない種族で、自身の目を見たものを魅了させる特殊な力を持っていた。
しかしレッドは無言で首を横に振る。
冷めてしまったお茶を啜るとレッドは自身の意見を話し始めた。
「うん。闇属性の魔法にも精神の異常をきたすものや発情させるなんてものはあるけど、ここまで露骨な効果のものは知らない。おそらくあったとしても相当高度だろうし、かなりの知識がいるはずだ。でも勇者がそれを使えるとは到底思えない。いくらスキルによる適正の補正があったとしてもね。つまり魔術によるものとは考えにくい。おそらく…スキルそのものと考えたほうが自然だね。」
レッドははぁと溜め息をついて、項垂れる。
「面倒なことをしてくれたものだよ。対処法がない。それに、もうクオンたちはいってしまったし、僕らにはどうすることもできない。」
「心配だわー。変なことをされないかしらー?」
マオの心配している声が、静寂な空間に響く。
するとシルフィがここぞとばかりに口を開く。
「レクスには言わなくて良いのか?」
その言葉に、またレッドは首を横に振る。
「あくまで僕たちの仮説に過ぎない。それに言ったところでレクスだってどうしようもないだろう。…僕らには、ただクオンたちが不幸にならないように祈るのが関の山だ。…本当、残念なことにね。」
レッドの言葉にその場の空気はどんよりと重くなる。
窓の外ではザーザーと雨が降り始めていた。
レクスは、夢を見ていた。
幼い頃の夢だ。
レクスはある家のベッドの横に座り、ベッドで寝ている人物を心配そうに覗き込んでいた。
ベッドの頭もとには、一輪挿しに挿してある花が、力なく下をむいている。
ベッドで寝ているのは、老婆だ。
白髪で頬もこけ、頬骨の形が浮き出ている。
痩せ細り、ベッドの布団から覗く手は骨と皮だけのようで、強く握れば折れてしまいそうなほど細かった。
老婆は目を開けると、レクスに気付く。
白く濁った目は、間違いなくレクスを見ていた。
「おやぁ…レクスちゃんじゃないか。ごめんねぇ。遊んであげられなくて。」
弱々しい口調に、レクスはブンブンと首を横に振る。
「ばあちゃん、びょうきなんだろ?だめだよ、ねてなきゃ。」
レクスの言葉に老婆は弱く微笑んだ。
この老婆は村の中では偏屈な老人として知られていた。
頑固で融通が効かないといわれていて、村の中でも遠ざける人が多い人物だった。
レクスはその老婆が転んでいるところを助け、その老婆の家に時たま遊びに行くようになったのだ。
最初はレクスに対しきつく当たっていたものの、慣れるにつれてよく話をしてくれたりお菓子を出してくれるようになっていった。
そんな老婆は、数週間ほど前から体調を崩し、寝込んでいたのだ。
レクスはその日、父親が老婆を診察し、老婆と話し力なく首を振った光景を覗き見ていた。
悲しそうな表情をした父親が帰宅したあと、こうして老婆の傍に座っていたのだった。
「…ありがとうね。レクスちゃん。いい子だねぇ。」
「ばあちゃん、しんじゃうの?」
レクスは今にも泣き出しそうな顔で老婆に尋ねる。
老婆はそんなレクスを見て、弱々しく腕を上げるとレクスの頭を撫でた。
「…どうもそうみたいだねぇ。心配してくれるのかい?」
老婆の言葉に、レクスはゆっくりと首を縦に振った。
そんなレクスを見た老婆は、眼の端からポロリと涙が垂れる。
「そうかいそうかい。それはありがたいねぇ。こんなババアでもレクスちゃんは心配してくれるなんてね。」
「…ばあちゃんはばあちゃんだろ。」
膝に置かれた自身の拳を、レクスはぎゅっと握りしめる。
窓の外からは夕陽が射し込んでいた。
弱々しくレクスを撫でていた老婆だが、ポツリとレクスに声をかける。
「…レクスちゃん。私と約束をしてくれないかい?」
「…なんだよばあちゃん。」
「私はね。レクスちゃんに助けられたとき、本当に嬉しかったのよ。あの時、みんな私が困っていても見向きもしなかった。レクスちゃんだけだったのよ。」
そう言って、老婆はレクスの頭から腕を離すと、レクスの手の前に腕を下ろし、小指を立てる。
「約束しておくれ。また泣いている人がいたら助けてあげておくれよ。」
「…ばあちゃん。」
レクスは老婆の小指に、自身の小指を合わせる。
「約束だよ。レクスちゃん。」
その言葉を最後にその光景は光に包まれた。
レクスがパチリと目を開けると、見慣れた自室の天井だった。
朝の陽射しが、レクスの部屋のカーテンから漏れ出て部屋の中を照らしている。
昨夜の雨が嘘だったかのように外は晴れていた。
レクスは仰向けのまま右腕を高く掲げると、じっと手を見つめる。
「ばあちゃん…」
レクスは夢で見た老婆を思い出し、呟く。
老婆と最後にした約束は、今もレクスの中に残っていた。
レクスは腕をおろし、ベッドから立ち上がる。