阿楽袮
レクスとアオイは阿楽袮を見据える。
ガチャガチャと鳴り出す甲殻の擦れ合う音は、獲物を前にして興奮しているようだ。
レクスは引き金を引く。”ドン”という音と共に射出される光弾。
しかし阿楽袮は俊敏な動きで、脚を器用に使い、横に飛ぶ。光弾は避けられ、阿楽祢の目が熟れたように赤く染まる。
「ちぃっ!外したかよ!」
「…来るよ!」
脚を巧みに動かし、レクスたちにカサカサと俊敏な動きで近寄る阿楽祢。
そのまま研ぎ切った氷柱のような脚を振り上げる。あたかも槍のように振り下ろす。
レクスは当たる寸前で横に飛び躱し、脚を避けて魔導拳銃の引き金を引いた。
”ドン”と音が響き、阿楽袮に直撃する光弾。
”きぃぃ”と痛みを訴える阿楽袮。だがレクスには僅かに傷が付いたようにしか見えない。
レクスは顔を顰め、次に備えて太腿に力を込める。
しかしその眼は冷静に、弱点を探っていた。
「…これで。」
一方のアオイは、小さな呟きと共に、”ヒュン”と棒手裏剣を投げる。
手裏剣は雪のような白套に突き刺さるが、阿楽袮は気にも留めていない。
アオイは僅かに顔を顰める。跳び、槍のような脚を躱す。
次々と槍のように鋭い脚をレクスたちに突き刺そうと、絶え間なく降らす。
一撃でも食らえば串刺しになり、次から次へと滅多刺しにされるのは想像に難くない。
まるで五月雨のように降り注ぐ槍。
それを二人が躱すは紙一重。
身を翻し、レクスが背を向けたそのとき。
阿楽祢の槍が、貫かんと迫る。
しかし、レクスはその突きを察したかのように足を止めた。
(ここだっ!)
レクスは足を軸に身を翻し、右手の白銀の刃を奔らせる。咄嗟のカウンターが有効ではないかと思ったのだ。
白銀の刃が槍と交差し、ぎゃりりと火花が散る。
”スパン”と。
脚はいとも容易く白銀の一閃に斬り裂かれた。
”きぃぃぃぃぃぃぃぃ”
脚からはぶじゅうと緑の血が大きく噴き出る。
レクスはニヤリと口元を上げた。
「…さすがおやっさん。しっかり斬れんじゃねぇか。」
呟くレクスを阿楽袮は怒ったように正面に捉えた。
”バリッ”と音がして阿楽袮の顎が縦に割れた。
レクスの目の前に現れたのは巨大な鋏。
「おいおい、そんなんありかよ!」
知らないレクスはぽたりと冷や汗を垂らす。
阿楽祢は口の鋏を攻撃に転用することを、レクスは知らなかった。
レクスを食い千切らんとばかりに、顎の鋏をレクスに向け、即座に挟む。
挟みこまれる直前、後ろへの宙返りで鋏を躱したレクスは、即座に銃で阿楽袮の眼に照準を定める。
身を翻す僅かな一瞬。ふわりと風を切る中で、引き金を引く。
光弾が放たれ、阿楽袮の目に炸裂する。
”きぃぃぃぃぃぃぃぃ”
「…うるさい。」
アオイは光弾が炸裂した眼に向け、ひょうと棒手裏剣を投げる。
深々と刺さり込みんだ鉄杭から緑が噴き出し、阿楽袮は悶えた。
阿楽袮を横目に、アオイはレクスの側に寄る。
「…レクス!」
「おう!」
レクスはその場に屈みこみ、照準を定める。
アオイはレクスの背を踏み込み、宙を舞った。
レクスがアオイの動きに合わせたのだ。
照準は阿楽袮の口。トリガーを引く。
空中のアオイも棒手裏剣を3本、目を目掛け、ひょうと放った。
”きぃぃぃぃぃぃぃぃ!!”
阿楽袮の口元で炸裂する光弾と眼に深々と突き刺さる鉄杭。
痛みに悶える阿楽祢。
阿楽袮は怒りに身を任せるように後ろへ跳ぶ。
瞬間、阿楽袮は尾部をレクスたちに向けた。
”バシュウ”と白い液体が飛ぶ。
液体だと思われたが、拡散して舞っているそれは。
糸だ。
レクスとアオイは横目で一瞬視線を交わすと、糸を横に跳んで躱す。
当たって碌なことはないとわかっていた。
「…糸、面倒。」
「全くだな。この野郎!」
レクスは銃を阿楽袮に向け、雑多に放った幾発。
放たれた光弾を着地したばかりの阿楽袮は避けられる筈はない。
光弾の一発が背中の胸像に直撃すると、阿楽袮は大きく仰け反った。
阿楽袮は紅く染まり切った複眼で、忌々しくレクスとアオイを捉える。
明らかにこれまでと反応が違った。
「なるほど、そこが本体かよ。」
「…あそこ、弱点なんだ。」
弱点がわかった二人は、そこに攻撃を集中させようと駆ける。
しかし、待っていたかのように女性のような突起に、口がぱかりと開く。
(何だ……あれ?)
レクスが訝しみ、顔を顰めた瞬間。
「ああああああああああああああああああ!」
声のような。唄うような。
苦悶の声が周りを包み込んだ。
ビリビリとした振動が、全身をくまなく覆う。
レクスはとっさに耳を塞ぎ、伏せた。
「…あっ…あああ…あ…」
ちらりとレクスは横を見ると、眼を見開く。
アオイがぺたんとその場で座り込んでしまっていた。
目を大きく開けて、尊いものを見たかのように上を仰ぎ見てポロポロと涙を溢している。
明らかな異常だ。
これが阿楽袮の討伐を困難にしている理由、「女神の咆哮」。
この声を聞くと、精神を揺さぶられ、今のアオイのような状態になってしまう。
しばらく動けなくなるのは、この魔獣相手には致命的だ。
胸像の口が閉じると、阿楽袮はアオイの方へカサカサとにじり寄る。
アオイはまだ動けない。ぽたぽたと涙を流し続けるだけだ。
「…あ、あ、あ。」
阿楽袮はアオイに目掛け、前足を思い切り振り上げた。
「危ねぇ!」
レクスの身体は、アオイに向かって跳ねた。
氷柱の槍がアオイに振り下ろされる刹那。
レクスがアオイを抱え込み、ごろりと転がった。
阿楽袮の脚は何もない床に突き刺さる。
「…レクス!?」
「ぼーっとしてんじゃねぇよ。アオイ。」
レクスはアオイを抱え込んだまま、魔導拳銃を放つ。僅かに走った痛みは気にしない。
レクスの顔は若干切ったのか、少し血がぽたぽたと頬から床に落ちた。
光弾は阿楽袮の顔に炸裂し、仰け反る。
レクスはアオイから手を離すと、そのまま立たせた。
「大丈夫か?」
「…うん。…平気。」
「無理すんなよ。」
僅かな会話を挟み、レクスは阿楽袮へと駆ける。
一瞬ぽぉっとしていたアオイも、阿楽袮へと駆けた。
阿楽袮は跳び、尾部を前に向けて一気に糸を射出する。
「うおっ!?」
レクスが身体を逸らすが、僅かに肩が触れる。
”ジュッ”という音とともにジワジワと灼けるように痛む。
見ると衣服が焼け、少し赤く爛れた皮膚が見えていた。
この火傷は酸によるものだとレクスは読んだ。
父親の患者で、見たことがあったのだ。
「本当に面倒じゃねぇか。……おいおい。」
「ちぃ」と舌を打つと、レクスはそのまま拳銃のトリガーを引く。
同じくして、アオイも阿楽袮へと接近する。
阿楽袮はアオイに脚を振り上げるが、その瞬間にレクスの光弾が弾けた。
阿楽袮はぐらりと姿勢を崩す。
その僅かな隙に、アオイは阿楽袮の下へ入り込む。
「…ここ。」
黒い球体がはまり込んだかのような関節部分。
アオイは手に持ったクナイを思い切り打ち付ける。
パキリと音が鳴り、クナイは深々と刺さり込んだ。
”きぃぃぃぃぃぃぃぃ!!”
関節を壊された阿楽袮は身体を大きく震わせ、悶え苦しむ。
暴れる身体からアオイはしゅるりと身体を捻り、阿楽袮の下から抜け出した。
アオイが抜け出すのを待っていたかのように、レクスは阿楽袮へ駆ける。
”きぃぃぃぃぃ!!きぃぃぃ!!”
荒ぶっている阿楽袮は滅茶苦茶に残った前脚を振り下ろし続ける。その動きには狙いも何も無い。
レクスは目を見開き、自らその前脚の間合いへと潜り込んだ。
振り下ろされる前脚に姿勢を屈める。
太腿を張らせその機を待った。
(…アイカさんの物真似だが…ここだ!)
レクスは構えた剣を抜き放つ。
”キンッ”と一瞬の音が鳴り、阿楽袮の前脚を切り抜く。
前脚が、綺麗に頒たれた。
さながら居合のような一閃が、再び容易く阿楽袮の甲殻を斬り取ったのだ。
すぐさまレクスは銃を向け、すかさず発砲。
光弾を顔面に受け、阿楽袮は怯む。
阿楽袮が怯んだ瞬間。
レクスは後ろへ跳び下がる。
「…次はうち。」
同時に、アオイは阿楽袮に飛びかかる。
阿楽袮はそれを見越してか無理矢理尾部をアオイに向けた。
びゅうと糸が飛ぶ。
空中のアオイに避ける術はない、筈だった。
アオイの姿が一瞬で消える。
アオイのスキル「瞬身」だ。
糸を躱したアオイの行き着く先は、阿楽袮の胸像の部分。
すぐにクナイを胸像に押し当てるが、アオイは眉を顰め、表情を歪める。
(…硬い。…抜けない…!?)
胸像は思いもよらぬ位に硬かったのだ。
クナイでも抜けない硬さに、アオイは口を歪めた。
身体に乗られた阿楽袮はブンブンと大きく身体を振るう。
アオイは耐えきれず投げ出された。
「きゃっ…!?」
「アオイ!」
レクスが跳び上がり、アオイの身体を空中で受け止める。
阿楽袮は怒り狂ったように、ひたすらに足を動かし、レクスとアオイを探しているようだった。
そのまま両足で着地し、アオイを優しく放す。
「…ありがと。」
「礼なら後だ…ちぃっ!」
横目で阿楽袮を見たレクスはその行動に舌打ちする。
再び胸像の口が大きく唄うように開いたのだ。
「女神の咆哮」の合図だ。
レクスは親指で銃のダイヤルを3点バーストに変え、構える。
狙いを定める暇はなかった。
(届けぇっ!!)
祈るように銃の引き金を引く。
魔導拳銃から放たれた3発の光弾は、胸像の方にまっすぐ向かっていった。
「あああ…あ…」
唄い始めた途端。
3つのうち、1つの光弾が胸像の顔面を撃ち抜く。
”きぃぃぃぃぃぃぃぃ!!”
胸像の頭部だけが少し欠け、阿楽袮は大きく怯んだ。
レクスは走り出し、魔導拳銃のダイヤルを反転させる。
目を細くして狙いを定めながら、”ズザザッ”と地面を滑った。
阿楽袮は口元の鋏をレクスに向けて広げる。
レクスは滑りながら引き金を引いた。
”ババババッ”と連続で銃口が光り、放たれるのは二〇発の微小な光弾。
その弾は全て、阿楽袮の口を穿った。
思いもよらぬ攻撃に、阿楽袮はレクスを挟み込めない。
怯んだ瞬間、阿楽袮の目の前ゼロ距離に、アオイが現れた。
「…堕ちろ。」
棒手裏剣を手に鉤爪のように持ったアオイは、阿楽袮の眼に棒手裏剣を突き刺した。
阿楽袮の目が緑の血で覆われる。
アオイはたんと阿楽袮の顔面を蹴ると、くるりと回って阿楽袮の正面に降り立つ。
阿楽袮はアオイを捉えられなかった。
緑の血が目眩ましになっているのだ。
すると、”ドン”という音とともに阿楽袮の尾部に衝撃が走る。
阿楽袮の後ろには、銃を構えたレクスがいた。
衝撃で、阿楽祢は前につんのめる。
「今だアオイ!」
「…ん!」
真っ直ぐな眼で頷いたアオイが、阿楽袮の胸像目掛け跳び上がる。
するとレクスはひょいっと何かを上に放り投げた。
キラリと光るそれはレクスの剣「デイブレイク」。
アオイはその剣を器用に掴む。
剣に埋め込まれた魔導回路がじわりと緑色に光った。
「…なるほど。…いい剣。」
アオイは口元を上げてニヤリと笑う。
レクスには魔術の適正がない。しかし、アオイには風属性の魔術適正がある。
普段は魔術の媒体を持っていないため、使えないだけだ。そもそも携行できるくらいに小さな魔術の媒体は、アオイが買えるものでもない。
魔術の媒体を持てば、話は変わる。
アオイは剣を逆手に構える。
渾身の力を込めて。
胸像の真中に。
一思いに突き立てた。
「…風魔導!鎌鼬!」
アオイの魔術が剣を通じて、阿楽袮の体内に放たれる。
阿楽袮の体内で魔術は炸裂した。
阿楽祢の体内で竜巻の如く暴れ狂う風が、阿楽祢の身体を喰い破らんと蹂躙する。
その結果。
阿楽袮は魔核ごと、バラバラに弾けとんだ。
お読みいただき、ありがとうございます。




