描けない心
その後、レクスたち四人の姿はハニベアにあった。
昼食がてら、夜の摘発についての相談をするためだ。
四人がけのテーブルに座った4人の前には、食事がすでに湯気を立てて並んでいる。
温かい料理とは裏腹に、四人の顔は真剣だった。
「とりあえず、俺は参加しなけりゃならねぇけど、みんなはどうする?」
「わたくしは無理ですわね…。王家として介入する事になってしまいますもの。それはあまりよろしい事ではありませんわ。…それに夜も遅くなってしまいます。ただでさえ前回のことで御目溢しをいただいておりますもの。」
カルティアは申し訳なさそうに首を振った。
闇の巨人に襲われた際に、許して貰えたといえど、管理人から注意を受けているのだ。
これ以上の無理は、控えたが賢明だろう。
「僕も行きたいけど無理だね。ヴァンパイアは血がないとほぼ戦力にならない。行くだけなら問題無いけど、荒事になると難しいな。」
アランははぁと残念そうに溜め息をついた。
「…うちはやるよ。…多分、荒事になるから。」
アオイはまっすぐレクスを見つめる。
琥珀色の瞳はやる気に満ち溢れていた。
そんなアオイに、カルティアは首を傾げる。
「アオイさん?管理人さんに許可を取るんですの?」
「…抜け出せば良い。…うちは窓の鍵さえ開いていれば問題ない。…カルティアは出来ないの?」
「…それは、アオイさんしか出来ませんわよね?」
アオイの答えに、カルティアは苦笑していた。
レクスはふぅと溜め息をつく。
「大捕物に参加するのは、俺とアオイか。あとは傭兵の誰かが着くだろうな。…もう一人、声をかけたい奴がいるけどよ。」
レクスはスプーンを持ち、目の前のスープをかき混ぜる。
スープに映る自身の表情は、何処となく悩んでいるようにも見えた。
そんなレクスを気にしてか、アランがレクスの方を向く。
「そういえばさっき、レクス君は参加するとは言ったけれど、どの貴族の家に行くんだい?」
アランの声に、レクスはコクリと頷いた。
そして静かに口を開く。
「アンブラルって奴のところだ。…ちょっと気になる事もあるしよ。」
するとアランが少し難しい表情を浮かべ、眉を顰める。
苦々しく躊躇うように、口を開いた。
「…あの家は、あまり良くない噂が多いからね。特に注意をしたほうがいいと思うよ。…なんせ、「魔獣」を「買ってる」なんて噂が立つんだ。火のないところに何とやらって言うしね。気をつけた方が良い。」
「わかった。…あとアラン、ちょっと頼みがあるんだが…良いか?」
レクスはアランに向かって、にぃっと歯を出して笑った。
その笑みにアランは苦笑する。
レクスはスープを掬うと、そのまま口に運んだ。
◆
ハニベアでの食事を終えたレクスたちは、一度学園に戻り、準備をすることに決めて、各々が別れる。
アオイが自分の寮の部屋に戻ると、窓際には少女が椅子に座って、なにやら物を広げていた。
それは、窓の外を眺めながらカンバスを拡げたクオンの姿。
絵筆をとって、木製の使い込まれたパレットを片手に、絵の具を紙に走らせていた。
出掛けていると思ったルームメイトの姿に、アオイは目を丸くする。
クオンは窓の外の光景を懸命に描いているようで、アオイが部屋に入って来たことに気がついていない様子だった。
アオイがバタンと扉を閉めると、ようやくクオンはアオイに気が付き、顔を向ける。
「あっ、アオイさん。お帰りなさいなのです。」
「…ただいま。…クオンは出掛けてなかったの?」
「今日は絵を描こうと思っていたのです。……他のみんなはリュウジとお出掛けなのです。」
クオンは何処か寂しそうに目を伏せた。
アオイはクオンのカンバスにゆっくりと歩み寄る。
紙の中には、窓から外を見た繊細なタッチの風景画が描かれていた。
木や建物が調和したように、一体として纏った水彩画だ。
色も工夫して使われており、淡い色彩が何処か素朴な印象を与える。
アオイから見れば、十分上手いと思える出来だ。
「…すごく上手。…私には描けない。」
「ありがとうなのです。……でも、リュウジ様からはまだまだって言われちゃったのです。」
クオンはあははと笑う。
アオイにその笑顔が、何処か無理しているようにも思えた。
「…勇者って、絵も上手いの?」
「わからないのです。描いているところを見たことはないのです。」
クオンはふるふると首を横に振るう。
「でも、もね?さんや、ふぇるめーる?さんといった方には遠く及ばないって言われたのです。リュウジ様は博識なのです。…でも、いつか褒められるようになりたいのです。」
力強く言うクオンだが、やはり何処か辛そうな雰囲気が拭えない。
事実、鼻高々に講釈を垂れるリュウジに、絵の心得はない。
アオイはふと、疑問が浮かんだ。
「…クオンは、なんで絵を描くの?…辛そうだよ。」
アオイの疑問に、クオンは苦虫を噛み潰したように眉を寄せる。
そのままぽつりぽつりと口を開いた。
「……私には、どうしようもないクソ義兄がいるのです。いいえ、義兄とすら呼びたくないゴミなのです。そいつに初めて描いた絵を褒められたのです。私はそれで嬉しくなって、風景画を描き始めたのです。……今となっては、ゴミなんかに褒められたのがなんで嬉しかったのかが全く理解出来ないのです。」
クオンは顔を顰め、忌々しげに言葉を紡ぐ。
話の中の「義兄」はレクスだと、アオイには容易に想像が出来ていた。
レクスのことを罵倒するクオンに、アオイは僅かに眉を顰める。
「あのゴミは何時も何時も私の邪魔をするのです。あのゴミを見ていると、ざわざわして落ち着かないのです。…ごめんなさい、アオイさんに言う話ではなかったのです。」
クオンはしゅんと顔を俯かせた。
アオイは首を静かに横に振る。
「…クオンの絵は素敵。…本当に上手い。…おそらく義兄もそう見ていただけ。…この絵は、誰から見ても素敵だと思える。」
「あ、ありがとうなのです。」
褒められることに慣れていないのか、クオンは恥ずかしそうに顔を染める。
そんなクオンの目を、じいっとまっすぐにアオイは見た。
「…義兄のことが嫌い?」
「はい。大嫌いなのです。あんなゴミ、二度と目にしたくも無いのです。…今はクラスが同じなので、仕方ないのですけど。」
一気に不機嫌な顔になったクオンに、アオイは顔を近づける。
少し口元を上げ、耳元でぼそりと囁いた。
「…なら、うちが貰うね。…クオンのお義兄さん。」
アオイの一言に、クオンは大きく目を見開いた。
「だ、駄目!……駄目なのです!」
アオイが顔を離すと、クオンは急に慌てたように大声を出した。
アオイは目を丸くして、クオンを見つめる。
「…びっくりした。」
「ご、ごめんなさいなのです。……でも、アオイさんみたいな美人さんがあのゴミとくっつくのは駄目なのです!アオイさんみたいに素敵な人は、リュウジ様がお似合いなのです!」
「…勇者は嫌。…なんで駄目なの?」
「な、何でと言われても困るのです!と、とにかく駄目なものは駄目なのです!」
あわあわと慌ててアオイの言葉を否定するクオン。
そんなクオンに、アオイは口元を少し上げて可笑しそうに微笑んだ。
「…冗談。…第一、うちはクオンの義兄のことをよく知らない。」
「……良かったのです。たちの悪い冗談はやめて欲しいのです。」
クオンはふぅと溜め息をついて、胸を撫で下ろした。
クオンは何処か安堵していたのだ。
その感情は表情にしっかり現れており、アオイは見逃すはずもなかった。
「…クオン、今日は夜まで出かけるから。…窓を開けておいて。」
「はいなのです。え……窓ですか?」
「…そう。…窓。…そこから帰って来るから。」
コクリと頷くアオイに、クオンは目を丸くした。
そんなクオンを気にせず、アオイはベッドの上に荷物をぽいと投げる。
「…水浴びしてくる。」
「あ、アオイさん!?ど、どういうことなのです?」
アオイは目を点にしているクオンを背に、ガチャリと戸を開けて、部屋から出ていく。
クオンはアオイの出ていった後を、呆然と見つめていた。
「……行っちゃったのです。」
クオンはふぅと溜め息をつくと、カンバスに向き直り、絵筆を取った。
絵筆に絵の具を浸し、紙を染めようとすると、ふと先程のアオイの言葉が脳裏に蘇る。
『…なら、うちが貰うね。…クオンのお義兄さん。』
アオイの言葉が頭にぐわんぐわんと反響する。
そして、どこか寂しいような感情、《《取らないで欲しい》》という気持ちが何故か心にずっと渦を巻いて留まっていた。
「……駄目……なのです。」
クオンは目を伏せ、絵筆を持った手をだらんと下げる。
クオンの言葉は部屋の中に、ただ静かに響くだけだった。
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