乙女の盟約
”カラン”とアオイのクナイがテーブルに落ちた。
アオイの顔には、雫が垂れている。
「…うちには、できない。…うちには、カルティアを殺せない……。…初めての、ともだちだもん。」
アオイが涙ながらにボソリと呟く。
カルティアはそんなアオイを優しく微笑みながら見つめるだけだ。
「…カルティアは…ここまで視えたの?…うちがカルティアを殺せないところまで。」
「いいえ。そこまでは全く視えておりませんわ。触れたときと今とでは、全く違いますもの。それに…」
「…それに?…何?」
「貴女がレクスさんとの約束を破るとは思えませんわ。」
「…やっぱり、全部視えてる。」
アオイは目を伏せて、ふぅと溜め息をつくと、クナイを戻し、座っていた椅子に座りなおす。
優しげな笑みを浮かべるカルティアに、アオイは毒気が抜かれてしまっていた。
カルティアはカップを持つと、目を伏せて、少し紅茶を飲む。
そしてゆっくりとカップを静かに置いた。
「わたくしは、貴女の心の全てを見ましたわ。でも、わたくしを害するかどうかはその時まで分かりません。……わたくし自身は心を操るなんて出来ませんもの。」
「…そう。…カルティアは強いね。」
「強くなんてありませんわ。ただ、あの人の傍に居ることに相応しくあらねばならない、と思っているだけですわよ。」
「…あの人って…レクス?」
「ええ、そうですわ。あの人がわたくしを救ってくれたのです。レクスさんがわたくしを救ってくれたからこそ、今わたくしはここに生きていますの。……レクスさんに、わたくしの全てを捧げると決めていますわ。」
カルティアの眼は優しく、しかし覚悟を決めた様子は、アオイにはどこか眩しく見えた。
そんなカルティアを見て、アオイは顔を俯かせる。
「…そう。…羨ましいな。」
アオイは何故か、胸が苦しかった。
わけもわからず自身の胸元に手を添える。
レクスが自身を見てくれず、カルティアと笑い合っていることを想像すると、胸にきゅうっと痛みが走るのだ。
少し眉を潜めたアオイにカルティアは優しい口調で語りかける。
「わたくしは先程、少しだけ打算があると言いましたわね。…それは、レクスさんのためですのよ。」
「…レクスの…ため?」
「そうですわ。レクスさんに近寄る、悪意を少しでも跳ね除けられるなら、わたくしはこのスキルを惜しみなく使います。レクスさんがわたくしを守ってくれたように、わたくしもわたくしなりに、レクスさんを護りたいのです。」
「…カルティアは…レクスが好き…なの?」
アオイはその言葉を呟くように絞り出した。
「ええ、大好きです。愛していますわ。」
カルティアの言葉に、さらにアオイの胸がきゅうと締め付けられる。
アオイには、何故かは全くわからなかった。
ただ、この痛みが切なくて、苦しかった。
「それは、貴女もですわよね?アオイさん。」
「…え?…うちが?」
想像もしていなかった言葉に、アオイは呆気に取られ、顔を上げる。
しかし、その言葉はアオイの中にスッと入ってきた。
その様子にカルティアはふぅと溜め息を溢す。
「…気付いていませんでしたのね。あなたの中にレクスさんへの大きな好意がありましたもの。」
「…うちが、レクスを好き…。」
アオイが呟いた言葉は、アオイ自身の中にスッと、パズルのピースのようにかちりとはまり込んだ。
その時、ドクンとアオイの心臓が跳ねる。
頬が熱くなり、何処か心がソワソワと落ち着かない。
それはアオイにとって、初めての出来事だった。
「…うん。…うちは、レクスが好き…。」
口元が緩み、心臓がドクドクと跳ね続ける。
しかし、その鼓動は、アオイには何処か心地よい音色にも感じた。
「…これが、「好き」なんだ…。でも…。」
アオイはカルティアに目を向ける。
自身を見つめるカルティアを見ると、やはり胸が苦しくなる。
《《もう、そこに席はない》》。
そう思ってしまうと、アオイはその想いを封印するほかない。
「…カルティアがレクスを好きなら…うちは…いい。…うちは…カルティアみたいに…なれないから。」
アオイの表情が暗く沈む。
カルティアのようにはなれないからこそ、アオイは自身の想いを諦め、身を引いたつもりだった。
アオイは唇をかたく噛み締める。
しかし、カルティアの言葉はアオイの予想とは大きく異なっていた。
「いいえ。誰もレクスさんへの想いを諦めろとは言っておりませんわよ?」
「…え?…どういう…こと?」
「簡単なことですわ。共に愛すれば良いのです。この国では一夫多妻が認められていますもの。」
カルティアが当然のように言った言葉に、アオイは大きく目を見開く。
カルティアの発言が想像の斜め上で、アオイは度肝を抜かれたのだ。
「…カルティアは…良いの?」
「わたくしは良いのです。…むしろ、そうでなければレクスさんの傍にいられませんわ。」
「…?いってることが…分からない。」
アオイはカルティアにキョトンとした目を向ける。
するとカルティアはカップを手に取った。
「本来はレクスさんから直接聞けば良いのでしょうけれど、レクスさんは、とある女の子たちを追って、学園まで来たそうですの。」
「…それは誰?」
「勇者の御付きである三人、と言えばわかりますわよね?」
「…伝説のスキル持ち。…なんで?」
「わたくしも言い表すことが難しいのですけれど…勇者と関わった途端に嫌われたと、そうおっしゃっていましたわね。もともと幼馴染と言っておられましたわ。……あの方たちは、おそらく勇者に良いように使われているだけですわね。」
「…そう…なんだ。」
アオイの脳裏には、同室のクオンの顔が浮かぶ。
何時もリュウジとの淫靡な行為を報告してくるクオンがレクスとの繋がりがあることは、アオイには意外だった。
「あの方たちと区切りをつけるまで、わたくしを恋人にはできないと言われてしまいましたわ。…レクスさんらしいですけれど。」
ふふふとカルティアは微笑み、紅茶を少し口にする。
何処かその口調は何処か惚気ているようだった。
「その時にわたくしは決めましたの。あの人がまっすぐ進むならその先をわたくしたちで囲ってしまえばいいと。……もちろん、信頼出来る方々に限りますけれど。」
「…うちは…信頼出来るの?」
その言葉に、カルティアはコクリと頷く。
「ええ。アオイさんは、レクスさんに対して純粋な好意しかありませんでしたもの。」
「…そう、なんだ。…カルティア、凄いこと言ってる?」
「ええ。批難されるかもしれませんわね。……でも、そうまでしないと、レクスさんはわたくしたちを置いて、何処か遠くへ行ってしまいそうですもの。……あの方たちを追って。」
カルティアはふぅと悩ましげな溜め息をつくと、何処か遠い目を浮かべていた。
そんなカルティアに、アオイは目を伏せ、溜め息をつく。
アオイの心は、既に決まっていた。
「…わかった。…でも、うちも条件がある。」
「なんですの?」
「…正妻は、うち。」
その言葉で、微笑んでいるカルティアの額にピシッと青筋が入る。
カップを持つ手が、わなわなと揺れていた。
アオイは表情は変えていないが、口元がピクリと上がる。
「…正妻はうち。…カルティアは二番目。」
「仰っしゃりたいことはそれだけですの?アオイさん。」
「…うん。…うちは譲れない。」
すると、カルティアはふぅと溜め息をついてカップを置いた。
そして、アオイの目を見つめ、不敵に微笑む。
「…そうですわね。では…正妻の座は、レクスさんに決めていただきましょう。」
「…うん。…それがいい。…うちは負けない。」
アオイはコクリと頷いた。
無表情のようだが、その眼はしっかりとカルティアの目を見ていた。
「あら?グランドキングダムの王女に敵いますの?ふふふふ。」
「…グランドキングダムは関係ない。…うちはうち。…負けない。」
微笑むカルティアと口をへの字にしているアオイ。
二人の間に火花が散っていた。
その背後では、激しく揺らめく炎とともに、竜と虎が見つめ合っているようだ。
しばらく見つめあっていた二人だが、どちらともなく、ふふふと二人に笑みが溢れる。
「…わたくしたち、良いお友達になれそうですわね。」
「…うん。…カルティアとは良い友達。…譲らないよ?」
「ええ。わたくしもですわ。…お覚悟は、宜しくて?」
アオイが頷くと、カルティアはスッと右手を差し出した。
アオイもカルティアの手をぎゅっと握る。
ここに、乙女の盟約が、当事者の預かり知らぬところで交わされたのだった。
そして、どちらともなく手を離し、互いを見つめる。
「…抜け駆けはなし。…いい?」
「ええ。そこは公平にいたしましょう。…期限はレクスさんが、幼馴染の方々と区切りをつけられるまでですわね?」
「…そうする。…でもレクスの方から求められたら。」
「その時は仕方がありませんわね。…でも、故意は許されませんわよ?」
「…カルティアこそ。」
カルティアは手を口に当て微笑む。
カップを手に取ると、紅茶が切れていることにハッと気が付いた。
「あら、お茶が切れてしまいましたわね。……注いで参りますわ。」
カルティアは席を立つ。
テーブルの上のポットを手に取り、湯を注ぎに向かった。
その後ろ姿をアオイは見つめる。
するとカルティアがふっと立ち止まり、アオイに振り返った。
「アオイさん。貴女の使命や目的はおそらく、レクスさんがどうにかしてくれますわよ?」
「…また、読んだの?」
「いいえ。わたくしの”カン”ですわね。」
「…なにそれ。…変なカルティア。」
カルティアはにこやかに微笑むと、そのまま前を向いて歩き出した。
そんなカルティアを見て、アオイも微笑む。
その後、カルティアとアオイは大和という国のことや学園のことについて夜遅くまで、話が盛り上がっていた。
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