忍びの少女
25
レクスが「シノビ」の少女と相対した翌日。
優しげに晴れた空の下で、チュンチュンと小鳥の囀りが響く朝。ふわりとそよぐ風が、朝特有の涼しさをレクスの頬に運ぶ。
レクスは男子寮からゆっくりと教室へと脚を向けていた。
ふああと欠伸をしながら若干寝惚けた意識の中で、レクスは歩を進める。
(さて、今日もコーラルの探し人の情報でも……ん?)
レクスがチラと見た視線の先の人影に、レクスは眼を止めた。
人影を目に入れた瞬間、起きがけの頭が一気に覚醒する。
(あいつは……!)
朝の日差しが眩しい視線の先に立っていたのは、一人の少女。
その少女もレクスに気がつくと、くりっとした眼を大きく見開く。
「…あなたは。」
少女は制服を着用していたが、レクスは見間違いようがなかった。
背丈はレクスから拳一つ分は小さい。
瞳はアンバーのような黄色。
整った丸顔にクリクリとした瞳は、何処か小動物を思わせる可愛さがあった。
ライトブラウンのローツインテールが風にふわりと靡く。
カルティアほどではないがはっきりと主張している豊満な胸。
すらりとした美脚をスカートからさらけ出す美少女。
「あんた……昨日の。」
レクスの眼の前に立っていたのは、昨日レクスと戦った「シノビ」の少女だった。
「シノビ」の少女はゆっくりとレクスに向かって歩く。
向かってくる少女に、レクスは殺気を全く感じていなかった。
鞄を両手で前に持ち、真っ直ぐレクスを見ている。
何処か頬の赤い少女はレクスの前で立ちどまると、レクスの目を見上げた。
「…やっぱり、あの時の人。」
「あんた、どういうつもりで…。」
「…アオイ。」
「ん?」
「…あんたじゃない。…アオイって呼んで。」
「シノビ」の少女……アオイは、レクスの眼をじぃっと見ていた。何処か掴みどころのない雰囲気に、レクスは少し戸惑う。
マイペースさに戸惑いつつも、レクスはアオイに僅かに訝しむように目を向けた。
「アオイ。何のつもりだ?俺を消しに……?」
レクスの問いかけを遮るように、アオイはふるふると首を横に振った。
「…ううん。…あなたは消さない。…今日、昼に学園の3階、空き教室に来て。」
「昼に行けば良いのか?」
アオイはコクリと頷く。
「…あと、名前。…教えて。」
「レクス。アルス村のレクスだ。」
「…レクス。…レクスだね。…うち、覚えた。…またね、レクス。」
アオイはクルリとレクスに背を向け、スタスタと校舎の方に歩いていく。
唐突すぎるアオイに、レクスは困惑の表情を浮かべたままその場に立ちつくしていた。
「アオイって……一体何者なんだ……?」
その言葉に答える者はなく、晴れた空に消えた。
◆
王立学園の空き教室は生徒の出入りが制限されていない。
授業が終わった直後、レクスの姿はアオイに誘われた空き教室にあった。
窓からは暖かな陽が教室の中を照らし出し、室内の木目の色を際立たせる。
窓際に寄りかかるように立つレクスは、窓の外に広がる光景をぼんやりと眺めていた。
窓から見下ろす光景の中には、足早に食事へ向かう生徒や早めに実習の場所へ行こうと歩く生徒、冒険者ギルドへと向かう生徒がちらほらと見受けられる。
その中に、見慣れた姿もちらりと見えた。
冒険者ギルドへ向かうのだろうか。
赤いサイドテールや濡羽色のぴょこぴょこと揺れるツーサイドアップ、濃い青色のショートカットが風に揺れていた。
三人を見て感じる、どことない寂しさに、レクスはふぅと溜め息を一つ。
なお、用事があり今日は一緒に食事が取れないと、レクスはいつもの面々に伝えてある。
その際、カルティアは少ししょんぼりとしていたのがレクスには少し苦しく思った。
(あとでカティに謝らなきゃな……。来たか。)
空き教室の扉がガラリと開く。
レクスが扉の方に眼をやると、入ってきたのは、レクスの予想通りアオイだった。
アオイはレクスを見つけると、とことこと歩み寄る。
くりっとした瞳が、敵意なくレクスを見あげた。
その表情は、何処か安心したように微笑んでいる。
「…来てくれた。…うれしい。」
「そりゃアオイから呼ばれたからな。」
どうにもペースが掴めないアオイにレクスは戸惑う。
「…来てくれないかもしれなかったから。…昨日、怖がらせちゃった。」
「そんなことはねぇよ。とりあえず、なんで俺を呼んだか聞かせてくれ。」
「…うん。…昨日の誘拐犯は、レクスの仲間?」
「……誘拐犯?なんだそりゃ?」
レクスはアオイの言葉に首を傾げる。
誘拐をするような知り合いに、心当たりはない。
レクスの反応に、アオイは眼を見開き、心底驚いていた。
「…もしかして、違うの?…あの二人の仲間かと思った。」
「あの2人、そういうことかよ。」
昨日、アオイと鉢合う前に路地を通っていった二人組をレクスは思い出した。
あの2人はアオイから逃げていたのだ。
そう考えるとあのあとにアオイが襲いかかってきたことに合点がいった。
レクスはあの時、制服を着ていたにせよ、ボロボロの短いローブを羽織っていたのだ。
タイミングとしても、不審人物と思われて仕方がない。
それ以上に、黒装束のアオイが不審であったが。
「俺は誘拐なんざ知らねぇっての。」
「…そうなんだ。…ごめんなさい。」
アオイは素直に頭を下げる。
あまりの素直さに、レクスは拍子抜けしてしまった。
「……そもそもなんで誘拐犯なんて追いかけてたんだよ?」
「…みたの。…うちの目の前で女の子が誘拐されそうになってたのを。」
「アオイの目の前で?」
「…うん。…うちが見つけた。…女の子は助けたけど、犯人は逃げたから。」
「それで追いかけてた……と。」
アオイはコクリと頷く。
レクスの口から、はぁと溜め息が漏れた。
あの2人のせいでアオイに危うく消されそうになったことに呆れかえっていたのだ。
「…ごめんなさい。」
「謝るのは俺の方だ。……ごめんな、昨日腹を蹴ったりしてよ。痛かったろ?」
レクスの言葉に、アオイは眼をパチクリと瞬かせた。
「…意外。…昨日の諍いはしょうがないと思ってた。」
「俺はそうは思わねぇ。もしかすれば俺とアオイの諍いが起きなかったかもしれねぇじゃねぇか。それに、女の子に暴力振るうってのは趣味じゃねぇよ。相手が俺を殺す気なら話は変わるけどな。」
「…そうなんだ。…痛かったけど、しょうがないことだと思って、我慢してた。」
淡々と話すアオイが何処となく居た堪れなくなったレクスは、アオイの頭にポンと手を置く。
レクスの手は自然に受け入れられ、アオイは嫌がる様子もない。
その意味があまりわかっていないアオイはレクスにキョトンとした表情を浮かべる。
「…なに?」
「いや……本当に悪かったと思ってよ。ごめんな。」
レクスはアオイの頭を優しく撫でる。
レクスの手が心地よかったのか、アオイはなんとなく嬉しそうに目を細めた。
「そういや、アオイは「大和」って国の出身なのか?」
頭を撫でたままのレクスが放った何気ない質問に、アオイは目を丸くした。
「…レクス、大和を知ってるの?」
「俺の知り合いが大和にいた事があるらしくてよ。その伝手でな。」
「…そうなんだ。…別の国で、大和の名前が聞けてうれしい。」
アオイの表情は心底嬉しそうに口元が緩んでいた。
割と感情が顔に出る方であるらしい。
「アオイは……大和の「シノビ」なのか?」
レクスがアオイに聞いた瞬間。
アオイがすっと後ろに下がると、少し眼を吊り上げ、レクスを鋭い眼で睨みつける
「…誰から聞いたの?…「シノビ」は大和でも一部しか知らない。…レクスは何者?」
「……傭兵ギルドだ。傭兵ギルドの先輩から聞いた。」
「…なにそれ?…冒険者ギルドなら入学の時に登録したから知ってる。…傭兵ギルドなんて聞いた事もない。」
「基本的に冒険者と変わらないらしいけどよ。ほら、これが証拠だ。」
レクスは自身のポケットから、傭兵ギルドのライセンスを取り出すと、アオイの前に出した。
傭兵ギルドのライセンスを見たのは初めてらしくアオイは、傭兵ギルドのライセンスをまじまじと眺める。
「…ほんとだ。…傭兵ギルドって書いてある。」
「そこの先輩に教えてもらったんだよ。手裏剣なんて使うのは「シノビ」くらいだってよ。」
「…その傭兵、何者?…「シノビ」を知る者はただ者じゃない。」
「ルナさんって人。ルナ・シラヌイって名前だったはずだ。」
「…ルナ・シラヌイ?。…もしかして、不知火瑠奈!?」
アオイの眼が大きく見開かれた。
驚いたせいか声も大きい。
「ん?アオイはルナさんを知ってるのか?」
「…知っているなんてものじゃない。…あの人は天性の才覚で、若くして大和の暗部の首領手前までいった人。…その腕は、大和のシノビでは「最強」とまで言われた人。…三年前に行方不明になったって聞いてた。」
その言葉に今度はレクスが驚きを隠せなかった。
レクスはルナに何度か会っているが、傭兵の一人でクロウの妻である事しか知らなかったからだ。
「そ、そうなのかよ。…そんな凄かったのか。ルナさん。」
「…ん。…うちは直接会ったことは無いけど。…とても美人だったって聞いたよ。」
アオイの言葉にレクスはふぅと溜め息をついた。
さらにはそんな人たちを妻にしているクロウは一体何者なのだということや、何故大和から離れているかなどの疑問も尽きなかった。
「そういやルナさんが言ってたけど、なんでグランドキングダムに「シノビ」がいるんだってな。……何でだ?」
「…本来なら言ってはいけない。…でもレクスには話す。…これが、うちなりの昨日のお詫び。」
アオイは瞬きをすると、再びレクスに近づく。
そして真剣な表情でレクスを見た。
「…私の使命は、勇者の監視。…それが、うち。アオイ・コウガの役割。」
「勇者の監視?ああ、リュウジの監視か。……あいつなんか監視して、意味あんのか?」
レクスの中では、リュウジは女の子のことしか考えていないようなイメージだ。
幼馴染たちがああなったのも、リュウジの所為とほぼ確信していることや、会うたびに「無能」と蔑まれるため、レクスはリュウジを苦手としていた。
カルティアに暴力を振るおうとしたことで、それは余計に拍車がかかっていた。
だからこそ、レクスの中ではあまり重要な人物というイメージがない。ほとんどが嫌悪感だからだ。
顔を僅かに顰めるレクスに、アオイは淡々と言葉を告げる。
「…魔王を倒すことの出来る勇者は、大和でも話題に上がってた。…でも当然、魔王を倒せるだけの人物かを各国が知りたがっている。…大和ではうちがその役目。」
「そういうことかよ。だからアオイは王立学園に入ってんのか。」
レクスの言葉に、アオイは強い意思を持った目で頷いた。しかし次の瞬間、アオイはふぅと大きく呆れたように溜め息をついた。
「…でも、勇者は勇者じゃないかもしれない。」
アオイの言葉に、レクスの眼が鋭くなる。
「どうしてだ?リュウジは「勇者」のスキル持ってるじゃねぇか。」
「…勇者は毎日乱痴気騒ぎ。…常に女性を変えて寮に呼んでる。…あんな人は勇者だと思いたくない。」
アオイは勇者の監視をしているということは、異様な乱痴気騒ぎをずっと監視していたという事だ。
レクスは見たことはないし、風の噂程度ではあるが、学食での光景を考えたら否定する要素が何処にもない。
この世の常識を捨て去ったような光景を毎日見せつけられていたらたまったものでは無いだろう。
「……よく耐えられるな。」
「…始まる前には逃げる。…見る気すら起こらない。」
アオイは呆れたように吐き捨てる。
レクスもリュウジの行動に呆れ返り、はぁと溜め息をついた。
(彼奴等も乱痴気騒ぎに加わってんのか……?おかしいことじゃねぇが、なんだかなぁ。はぁ……。あれがスキルによるものとして、どうやりゃ良いんだか。)
レクスは幼馴染たちや義妹まで加わっていると思うと、なんとも言えない複雑な気持ちだ。
幾ら分かっていても、実際に好きな人がそうなっていると思うと、レクスは大きなショックを受ける。どんなことをしているかなんて、考えたくもなかった。
「…それに、おかしいの。…握手したらどんな相手でも虜にしてた。…直前まで嫌っててもすぐに勇者に靡く。…あんなの絶対に勇者じゃない。」
苦々しく話すアオイの言うことを、レクスは真剣に聞いていた。
アオイの推論はカルティアとレクスの見解と全く同じだったのだから。
「…レクスは信じないと思うけど。」
「いや、信じるぞ。アオイは嘘を言ってねぇよ。」
アオイは驚いたようにバッとレクスの目を見た。
「…信じてくれるの?…なんで?」
「似たような話を聞いたことがあってな。俺もそうだと思ってるからよ。」
「…レクスはいい人。…うちのこともわかってくれる。…すごくいい人。」
アオイはレクスを見て朗らかに微笑む。
レクスもそんなアオイを見てつい微笑んだ。
「俺がいい人な訳ねぇだろ。アオイみたいな女の子も蹴っちまうし…大切な子たちも守れなかったしな。」
レクスの脳裏にはリナたちの顔が浮かぶ。
もしあの時リュウジの力を見抜いていれば何とかはなったかもしれない。
しかし、そんなことは出来る筈がない。
いや、出来たとしても。
「…レクス、寂しそう。…辛いの?」
「ああ。少しな。…でも、俺も友達がいるからよ。そんな寂しくねぇんだなこれが。」
アラン、カリーナ、エミリー、そしてカルティア。
彼らはレクスがこの学園に来たからこそ繋いだ縁だ。
さらにクロウ、ヴィオナに加えて傭兵の仲間の顔すら浮かぶ。
だからこそ、レクスは悩ましいのだ。
学園に来たから、王都に来たからこそ繋いだ縁が、レクスには多いのだから。
「…そう?…うちにはわからない。…うちは、友達なんて必要ないから。」
アオイは事もなげに呟く。
しかしその表情は、何処か寂しさを感じさせた。
「いねぇのか?友達?」
「…要らない。…そもそもうちが学園にいるのは任務の為。」
「そりゃ、寂しいだろ……。」
「…うちは慣れた。」
レクスには、そんなアオイがカルティアと重なって見えてしまっていた。
あのトボトボと歩く入学当初のカルティアの姿が、今のアオイとそっくりなのだ。
レクスはどうも、こういった女の子に弱いらしい。
ふぅと溜め息をつくと、レクスはアオイの目を見つめた。
「…何?」
「昼はいつもどうしてるんだ?」
「…これ。」
アオイは制服のポケットから黒くて丸い、親指ほどの物体を取り出す。
何かの破片のようにもみえるそれは、レクスには到底食べ物には見えなかった。
「これは…食べ物なのか?」
「…うん。…美味しいよ?…兵糧丸。」
「ひょうろうがん?」
「…ん。…食べてみて。…毒じゃない。」
レクスはアオイから差し出されたその丸いものを手に取ると、しげしげと眺めた。
黒いものを固めたようなそれは、道の小石と言われても納得出来る程だ。
レクスは意を決して、それを口に放り込んだ。
口の中でほんのりとした甘みが広がり、ピリッとしたスパイスの刺激が伝う。
不味くはない。
美味しいとは言えるだろう。
だが、毎食食べるようなものではないだろうとレクスは思った。
「…美味しいでしょ?」
アオイは無垢な瞳で、コテンと首を傾げた。
「…確かに美味いけどな。でも、ずっとこれか?」
「…うん。…あまり気にしてない。」
「一応聞くが、好きな食べ物とかあんのか?」
「…この国には無い。…おでん。…大和以外では、ずっとこれ。…お金もかからない。…楽。」
「アオイはお金がないのか?」
レクスの疑問に、アオイはブンブンと首を振る。
ローツインテールが合わせて波打った。
「…違う。…お金は十分に貰ってる。…使う機会がないだけ。…その方が、楽。」
アオイの声を聞いたレクスの行動は速かった。
すぐさまアオイの手を取ったレクスは、そのまま教室の扉へと向かう。
「ふぇっ!?」
アオイは急な出来事に頬を染め、小さくあどけない声を上げる。
そんなアオイにレクスは振り向き、歯を出して微笑んだ。
「アオイ、紹介したい奴らがいるんだ。」
「…誰?…友達なら要らない。」
「それは、会ってから決めても遅かねぇと思うぜ?」
「…そうなの?…レクスがそう言うなら。」
にこやかなレクスに手を引かれ、アオイはレクスの後ろを着いていく。
いつもならば触られるのを拒否するアオイは、何故かレクスに触れられるのは嫌ではなかった。
アオイの胸は何故か早鐘をうち、ドキドキとレクスを見つめている。
何故か、昨日のレクスの真剣な顔を見てから、アオイはずっと《《こう》》なのだ。
その感情が何なのか、アオイには全くわからない。
そんなアオイを差し置いてレクスが向かう場所。
それはレクスの大切な者が集う場所。
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