忍びよるもの
「…顔をみられた。…なら、あなたには消えてもらうしかない。」
すると少女は一瞬でレクスの前から忽然と姿を消した。
瞬く間の出来事にレクスは眼を見張る。
少女の影すら見えない。
レクスが辺りを見渡そうとした。
そのとき。
背後から鋭く突き刺すような殺気が、レクスの背中にゾクリと纏わりついた。
背後からの奇襲がレクスに迫ろうとしていた。
女の子のクナイがレクスの首を捉えきッている。
普通ならば躱す事はできない。……筈だった。
だが、レクスは依頼もこなし、修練を積んだ傭兵であることを、少女は計算に入れていなかった。
「…嘘?」
アンバーの瞳が大きく見開かれる。
少女は背後からのクナイによる一撃を、頸椎に打ち込んだつもりだった。
打ち込まれる寸前で、レクスは女の子の腕をしっかりと掴んでいた。
「クロウ師匠に比べたら遅ぇよ。」
普段、傭兵ギルドで修練を積むレクスはクロウたちと模擬戦をしている。
クロウの技に比べれば、黒装束の少女は動きがまだまだ拙かった。
「きゃっ…!?」
そのままレクスは前に倒れ込み、黒装束の少女を巻き込む。
倒れ込んだ拍子に一回転し、レクスは上から少女の方を馬乗りになって押さえつけた。
レクスは少女のアンバーの眼に眼光を飛ばす。
すると少女の目は、大きく見開かれた。
「何者だあんた?俺を狙ったってのはどういうことだ?」
「…かっこいい。」
「はぁ?」
レクスがよく見ると、少女の頬には朱が差していた。
眼は潤み、蕩けているようにもみえる。
黒装束の少女は「んぅ……」と大きく身動ぎし、もぞもぞと動く。
「ちょ……おい!?」
少女が動いた拍子、レクスはバランスを崩し、少女の胸元に頭を押しつけてしまった。
「あっ……んぅ……。」
喘いだような艷っぽい声と共に、レクスの頭は柔らかいものに包まれる。
すぅと鼻腔に香る、独特の花のような匂い。
カルティアと比べ少しだけ小さいそれは、同年代の中では十分、いやかなり大きかった。
レクスは急な事に顔を赤らめるが、それも一瞬のこと。
少女が忽然と姿を消したのだ。
「またか!?」
レクスは前方に顔を上げると、赤い顔で胸元をぎゅっと押さえた少女の姿があった。
しかしその瞳は熱に浮かされたようにレクスをちらちらと見ている。
「…やっぱりあなたは消さない。…すごく、かっこいいから。」
少女は呟くと、ぴょんと跳んだ。
そのまま建物の壁を蹴って上に登っていく。
(何だったんだ一体……?)
黒装束の少女の動きをレクスは呆気に取られながら見ていた。
顔を下ろすと目線の先にキラリと光るものが地面に刺さり込んでいる。
「何だ、これ?」
先ほど、レクスが少女に投げられた物だ。
レクスは立ち上がると、キラリと光に反射するそれに寄る。
「剣?でもねぇな?」
拾い上げると、なんとも奇妙な刃物だった。
ごく薄い刃物だ。
剣の先だけを十字に繋げたようなそれをレクスは見たこともなかった。
拾ったそれをレクスはポケットにしまい込むと、レクスは辺りを見渡す。
「……嘘だろ。」
レクスははぁと大きく溜め息をつき、肩を落とす。
駆け抜けていった男たちと、少女との取っ組み合いのせいでレクスが片付けた路地裏はまた散らかっていた。
レクスは無言で麻袋を手に取ると、うなだれたようにゴミ拾いを再開した。
◆
「こりゃ、「手裏剣」ってやつだな。」
レクスの持ち帰った刃物を見るや、クロウは刃物の名を告げる。
任務を終えて傭兵ギルドに帰って来たレクスは、ちょうど同じく帰っていたクロウに先程の出来事を相談していたのだ。
「手裏剣?」
「ああ。東の方に「大和」って国があるんだが、そこで使われてる武器だ。」
「「大和」?なんでクロウ師匠が知ってんだ?」
「ああ。俺の故郷なんだ。俺の妻も何人か大和出身でな。」
クロウは懐かしそうに、少し顔をほころばせる。
「なんで大和の武器が?」
「さあな。そこまではわからない。けど、これを使うのはある特定の職業だけだ。……瑠奈!」
クロウの声に合わせ、クロウの傍に何処からか絹のような白髪をツインテールに結った女性が降り立つ。
「お呼びですか?兄さん。」
一枚の布を全体に羽織ったような衣装がひらりと舞う。所謂浴衣だ。
衣装を押し出す胸は大きく、健康的な太ももを曝け出していた。
女性は水縹色の瞳をクロウに向ける。
彼女は「ルナ・シラヌイ」。
クロウの妻の一人だ。
「瑠奈、これをレクスが拾ったらしい。」
クロウがルナに手裏剣を手渡す。
するとルナの眼が少しだけ見開かれた。
「手裏剣……ですね。これをレクスが?」
ルナが眼を向けると、レクスはコクリと頷いた。
「ああ。よくわかんねぇ奴が投げてきた。」
「なるほど。この手裏剣は大和の「シノビ」という職業の方々が主に使うんです。」
「「シノビ」?って何だ?」
「「シノビ」は大和の隠密部隊です。諜報や偵察、暗殺までする大和の特殊部隊。…私も、そこにいましたから。」
クスリと微笑むルナにレクスは驚いていた。
「ルナさんが、「シノビ」?」
「はい。といっても3年前までですけれど。……3年前に兄さんを追って抜け出しましたから。でも、よく無事に帰ってこられましたね。」
「消されそうにゃなったけどな。何とか追い返したって……言えばいいのかあれは。」
「顔を見なくて良かったですね。「シノビ」の者は顔を見られるのを嫌いますから。見られたら相手を殺しかねません。そのくらい隠密に特化した部隊です。」
「そ、そうなのか?」
安堵しているルナに、レクスは内心焦っていた。
何故なら顔布を剥いだときに、バッチリと顔を見てしまっているのだから。
(……大丈夫か俺?あの子が引いてくれたってことは大丈夫……だよな?)
そんなレクスをつゆ知らず、ルナは手裏剣を真剣にじっと見つめる。
「どうしたんだ瑠奈?」
「この手裏剣は大和暗部のものではないです。暗部以外の「シノビ」?そもそも何故グランドキングダムにいるんでしょう?」
ルナは手裏剣を見て訝しむように首を傾げた。
シノビの事は全くわからないレクスだが、ルナの話からただ事ではないと思い始めていた。
だがレクスはもう一つ、あることに気が付いた。
「……そういえばカティは?」
レクスが傭兵ギルドに帰ってくると、いつも出迎えてくれるカルティアが居ない事がレクスの気がかりだった。
するとクロウはちらりと螺旋階段を見やる。
「カルティア王女なら、地下だ。」
傭兵ギルドの地下修練場にて、的の前には制服を着て真剣に立つカルティアの姿があった。
カルティアはじっと的を見据え、集中する。
ふぅと息をゆっくりと吐き出し、右手を広げて前に出す。
眼を閉じて深呼吸の後、カルティアは眼を見開いた。
「シャインバレット!アッラルガンド!」
カルティアの指輪が光り、掌から光弾が射出される。
しかし、通常の光弾とは挙動が異なっていた。
光弾が的の寸前で分裂・拡散したのだ。
拡散した光弾が的を満遍なく穿つ。
カルティアは着弾を確認すると、安堵したようにふぅと息を吐いた。
「やるじゃない。さすが王女様ってとこ?」
カルティアを見ていたチェリンがパチパチと拍手をしながらニヤリと笑う。
「ありがとうございますわ。わたくしもここまで出来るとは思っていませんでしたけれど。」
カルティアもチェリンに対し優しく微笑みを返した。
「カルティア様は飲み込みが早いのよ。普通、「魔法は古語である程度操作出来る」って言っても誰もピンときやしないわよ。」
「ええ。わたくしも眼から鱗でしたわ。」
「でも、そこまで出来るのも「愛」かしら?」
「も、もう。誂わないで欲しいですわ…。」
カルティアはチェリンの言葉に頬を染める。
そんなカルティアは何故魔法の修練をしているのか。
それはカルティア自身がチェリンに申し出たからであった。
あの日以来、巨人に無様を晒したカルティアは、レクスの隣に立てるようにと努力していたのだ。
そんなカルティアにチェリンが歩み寄る。
「アッラルガンド、カノン、フォルテ、ピアノ……魔術に応用出来る古語は数多くあるわ。王都の魔術師の中ではあまり知られていないけど。」
この世界で一般的に古語とは、音楽を奏でる時の譜面に使われる記号や言葉の総称だった。
それらの言葉は普段の生活では全くと言って良い程に使われない。
しかし魔法で使われるのなら、学園で習うだろうし、王族の教育や修練などでも聞くはずだが、カルティアは聞いたことすらなかった。
カルティアは不思議に思いつつ、首を傾げる。
「そうなのですね。…何故ですの?」
するとチェリンは呆れたように溜め息をつきながら言葉を紡いだ。
「よりランクの高い呪文を放てば良いってのが蔓延してるからね。確かに、それだけで大抵解決は出来るわ。これがこの国の一般常識。でも、それだけじゃダメ。強い魔術は魔力を多く使うし、範囲が広すぎたり、ランクの高い呪文がない場合もあるもの。例えば「シャインホッパー」ね。」
カルティアは自身の使った呪文をよく考えて思い出す。
確かにその呪文には、ランクの高い互換呪文は無い。
考え込むカルティアに、チェリンは口元を上げた。
「あの魔法に補正をかけると強弱の調整や用途に応じての使い分けができるってわけ。それを補うのが「古語補正」。一流の魔術師ならこれが使えないと話にならないわ。うちに所属してる奴なら常識よ。」
「そうですのね……。わたくしも、まだ知らない事が多いですわね。」
「これから知っていけば良いのよ。…ほら、旦那さん、来てるわよ?」
ニヤリと口元を上げたチェリンが、螺旋階段の方に顔を向ける。
合わせてカルティアも螺旋階段を見ると、カンカンと音を立てて、レクスが降りてきていた。
「カティ、ここにいたのか。いつも迎えに出てくれるから何処に行ったのかと思った。」
「あらあら、心配されてるじゃない……良かったわね。」
「レ、レクスさん!?お、思ったより速かったですわね……。こ、来ないでくださいませ!その、汗をかいてしまっていますの……。」
カルティアは真っ赤な頬でレクスを止める。
「そ、そうか?わかった。じゃあ俺は……」
「レクス。ちょっとこっち来なさい?」
上に戻ろうとしたレクスをチェリンが呼び止める。
その表情は何処か楽しそうだ。
チェリンは手招きをしてレクスを呼び寄せた。
「チェ、チェリンさん!?」
「良いから良いから。……ほらレクス、ちょっと耳かしなさい。」
慌てるカルティアをよそに、チェリンはレクスに耳打ちする。
チェリンの話を聞いていたレクスは急に顔を赤くした。
「おい、そんなことしてカティ怒らねぇか……?」
「大丈夫よ。行ってきなさい?」
笑顔のチェリンに訝しむレクスは、そのままカルティアに歩み寄った。
カルティアは顔を赤くしてレクスから眼を逸らしている。
レクスもチェリンに言われたことで顔は赤いままだった。
「そ、その……あまり匂いを嗅がないでくださいませ……。」
「いや、いい匂いだけどよ……。チェリンさんから聞いたぞ。頑張ったってな。……その、だな。ご褒美をあげろって言われてよ。……嫌だったら言ってくれ。」
「え……?」
レクスが顔を近づけると汗の匂いは一切しない。
代わりにフローラルな少し甘い香りが漂う。
意を決したレクスはカルティアの前髪を優しく払うと、カルティアの額に軽くキスを落とした。
「ひゃうっ…!?」
キスされたことに気が付いたカルティアは、可愛らしい小さな叫び声を上げると、恥ずかしそうにプルプルと震え始めた。
「慣れてないわね。レクス。」
「うるせぇ。…カティ?」
カルティアの顔は真っ赤で、何処かぽーっと遠くを見ているようだった。
「あ、ありがとう……ございましゅわ……」
「お、おう……。」
真っ赤になった二人を、チェリンはクスクスと笑いながら眺めていた。
これはチェリンからカルティアに向けてのエールでもあった。
(ま、頑張んなさいよ。カルティア様。しっかりレクスを繋ぎ止めなさい。)
チェリンは軽く微笑み、小さく溜め息をついた。
お読みいただき、ありがとうございます。




