淫魔の戯れ
24
「……すまねぇ、コーラル。なんも進みやしねぇ。」
カルティアを寮に送った道すがら、忘れものを取りに来たレクスは学園の廊下をトボトボと歩きながら呟く。
コーラルから相談を受けたレクスだが、一週間は何の進展もなく、ただただ時間だけが過ぎていった。
コーラルから聞いた情報だけでは少女の特徴を絞り込めず、当てもないのだ。
ふぅと溜め息をつきながら歩いていると、レクスの脳裏にある人物が浮かび上がる。
「そういやあの人に聞いてなかったな。なんか知ってるかもしれねぇし。……行ってみっか。」
レクスは踵を返して、その人物がいるであろう場所へ向かう。
心当たりのある場所は生徒会室だ。
◆
(ん?なんだありゃ?)
レクスが生徒会室に向かう道すがら、奇妙なものが廊下を歩いていた。
それは黒い玉。
魔獣にも見えるそれの大きさはレクスの膝まで。
丸っぽい手足を持ち、書類を抱えながらぴょこぴょこと弾むように歩いている。
それが歩くと、黒く長い、マリエナにあるような悪魔っぽい尻尾がフリフリと揺れていた。
「ビッ!ビッ!」と鳴き声を発しながら歩いている姿は何処かシュールだ。
そのよくわからない生物のような、魔獣のようなそれをレクスは不思議そうに見つめていた。
(魔獣…?でもねぇよな?いたら誰かが対処するだろうしよ…。)
そのよくわからない黒いモノが向かう方向は、ちょうどレクスと同じ、生徒会室の方向だった。
レクスはその黒いモノを追うように、生徒会室へ向かう。
すると、黒いモノは急に立ち止まり、レクスに気付いたかのようにクルッと振り向いた。
「ビ?」
黒いモノはレクスをじっと見つめていた。
それは黒い丸に白い目が二つの一頭身。
口はギザギザに大きく開いている。
妙に可愛らしい黒いモノに敵意は無さそうだ。
そんな黒いモノは、レクスを警戒する素振りもなく、ただ不思議そうに見つめていた。
(…本当に、なんなんだコイツ?)
じっとレクスを見ていた黒いモノは再びクルッと正面を向くと、ぴょこぴょこと歩き出す。
するとその黒いモノは生徒会室の前で立ち止まった。
レクスもその黒いモノの後ろに着く。
「ビッ!ビッ!ビッ!」
「あービッくんおかえりー!開いてるよ!」
黒いモノが引き戸の前で鳴き声をあげると、レクスが会おうとしていた人物の明るい声が聞こえた。
生徒会長のマリエナだ。
マリエナの声が返ってくると、その黒いモノは小さい手を器用に引き戸に押し当て、ガラリと開ける。
「あーおかえりービッくん。待っ…て…た…」
「か…会長…。」
扉の先の光景に、レクスは絶句する。
部屋には確かにマリエナがいた。
しかし、その姿は着替えている途中だ。
下着姿のマリエナがそこに立っている。
マリエナの下着は花柄レースの可愛いデザインで、上下共に濃い紫色をしていた。
むちっとした太ももに下着から溢れんばかりのお尻とくびれたお腹。
そして両手でも支えきれないような大きさの豊満な胸。
カルティアがメロンだとすればマリエナはスイカのようだ。
男性の好みを溢れんばかりに詰め込んだ、情欲をそそる女神。
その下着姿を、レクスは目の当たりにしていた。
マリエナは目をだんだんと見開いてゆき、頬は瞬く間に朱がさしていく。
「れ……レレレレレクスくん!?」
「わ……悪ぃ!」
レクスが慌ててピシャリと引き戸を閉めるのと、マリエナが胸を押さえながらしゃがみ込むのはほぼ同時だった。
引き戸を閉めたレクスはくるりと回り、引き戸に背中を預ける。
心臓の鼓動がドクドクと大きく響く。
レクスの頬はだんだんと赤く、熱くなっていった。
(会長……スタイル良いし、本当にでかかったな。……って駄目だっての!)
レクスは脳裏に張り付いたマリエナの姿をかき消すように首を振るう。
幼馴染たちやカルティアに申し訳が立たない気がしたのだ。
しかし熱い頬は、なかなか冷めてくれそうになかった。
「……もう、入っても良いよ。レクスくん。」
「あ……ああ。入るぞ?」
生徒会室の内側から声がかかり、レクスは頬を赤く染めたまま、気まずそうに引き戸を開ける。
部屋の中には制服を着て、奥の席にモジモジしながら顔を赤くしたマリエナが座っている。
そのマリエナの傍には、先程の黒いモノがちょこんと机の上に座っていた。
「レクスくん。見たよね?」
レクスが部屋に入るやいなや、マリエナがレクスに声をかける。
何をと聞くのは野暮だとレクスもわかっていた。
「あ…ああ。悪い…。」
「そ…そうなんだ。…み、見られちゃったんだ…。」
マリエナはぷしゅうと頭から湯気を上げ、俯いてしまう。
隣の黒いモノは無邪気にマリエナとレクスを交互に見ていた。
レクスも頬を赤くしながらも、気まずそうに目を背け、頬をポリポリと搔く。
「会長……すまねぇ。俺が悪かった。」
「う……ううん。レクスくんのせいじゃないよ。わ……わたしがビッくんだけだと思っちゃったのも悪いし……。」
気まずい空気が流れる中、ビッくん呼ばれた黒いモノだけは無邪気にキョロキョロと回りを見回している。
「そ……そういえば、わたしに何か用があったのかな?」
部屋の空気を変えるように、マリエナは顔を上げ、レクスを見た。
しかしその頬はまだ赤いままだ。
「あ、ああ。ちょっと話を聞ければ良いって思ったんだけどよ。」
レクスも赤い顔のまま、マリエナに話を切り出す。
レクスがマリエナにコーラルの話を伝えると、マリエナは少し悩んだ顔をするが、すぐに首を横に振った。
「……ごめんね。ちょっとわたしも心当たりがないや。」
「そうか、会長でもわからねぇのか……。」
「いちおう学園生の顔は一通り覚えてるからね。伊達に生徒会長をやってないもの。でも、コーラル君が言っているような学園生はいないかなぁ……。アラン君の言う通り、学園生じゃないかもね。」
「悪かったな会長。急にこんなこと聞いてよ。」
「ううん。わたしは生徒会長だもん。学生が困ってることがあったら、なるべく力になってあげたいから。」
マリエナはにこりと笑うと、隣のマスコットのようなビッくんを撫でる。
ビッくんはぼーっとマリエナを見ているようだった。
「……さっきから思ってたんだけどよ、その……「ビッくん」って何だ?」
レクスはマリエナが撫でているビッくんを指さした。
その不思議なモノが何なのか、見た時から気になっていたのだ。
するとマリエナは立ち上がり、ビッくんを抱き上げる。
「この子は「ビッくん」。わたしの闇魔術、「ダークネスサーヴァント」によって出来た…お友達?かな。いろんなことをしてくれるんだよ。」
「ぬいぐるみみてぇだけど。魔獣……なのか?」
「「ダークネスサーヴァント」の呪文は特殊で、自分の眷属を召喚する魔法なんだけど…わたしが使ったらこの子が出てきちゃったの。魔獣の一種らしいけど…一応、友達…かな?…うーん…わかんないや。」
「そ、そうなのか……。魔獣って言っちまって悪かったな。」
決まりが悪そうに視線を逸らすレクスに、ビッくんはきょとんとした顔をしていた。
そんなレクスを見て、可笑しかったのかクスクスとマリエナは微笑む。
そんなマリエナを横目に、ふとレクスはポケットから時計を取り出し、パカッと開いた。
時刻は6時前を指し示し、陽もだいぶ傾いている。
(そろそろ帰るか。明日は誰に話を聞けば良いかねぇ。)
レクスはふぅと溜め息をつくと踵を返し、顔だけをマリエナに向けた。
「じゃ、会長。邪魔して悪かったな。」
「ううん。レクスくんも人探し、頑張ってね。……あ、そーだ。」
「……?どうしたんだ?会長。」
マリエナは何かを思い出したように手をパンと叩く。
すっと立ち上がると、ビッくんを置いて、レクスの方にゆっくり歩み寄った。
そしてレクスの前に立つと目を潤わせ、上目遣いでレクスの眼を見る。
その顔はレクスを愛おしむようだ。
「ごめんね、カルティア様。」
「……会……長!?」
「ねぇ……レクスくん。わたしの眼を見て。」
マリエナに言われるがまま、レクスはマリエナの眼を見る。
するとマリエナの桃色の瞳が揺らめき、僅かにピンク色に光が灯った。
「わたしのものになってくれるかな?レクスくん?」
潤んだ瞳は魅惑的で。
マリエナの玉を転がすように囁くような声が、レクスの脳を震わせる。
カルティアより大きな果実が、レクスの胸板に柔らかく押し付けられる。
細い腕がレクスの背中にしなだれかかる。
彼女の非常に整った顔が、レクスに近づく。
艷やかな唇はレクスの唇に重なろうとしていた。
そして。
「えっ……?」
レクスはマリエナを軽く突き飛ばし、後ろに離れた。
その頬は朱がさして、息ははぁはぁと荒い。
しかしその表情は明らかに戸惑いを示していた。
「な、何いってんだ会長!?お、俺は別に会長のものじゃねぇぞ!?」
レクスに突き飛ばされたマリエナは眼を見開き困惑している様子だ。
しかしレクスの顔を見ると、口に手を当て、クスクスと笑い始めた。
「…なーんてね。冗談だよ。レクスくん、赤くなっちゃっておかしいんだ。」
「か、誂うんじゃねぇよ!本気にしたらどうすんだ!」
「でも、ドキッとしたでしょ?」
「そりゃ…そうだけどよ…。」
レクスの胸は未だにドキドキと鼓動が響いていた。
「レクスくんを見てたらちょっと誂いたくなっちゃった。さっき着替えを見られたことのお返しだよ。ごめんね?」
マリエナはクスリと微笑み、レクスに向かってウィンクする。
その仕草も様になっていた。
レクスは朱が差したまま、生徒会室を出る。
「…じゃあな。会長!頼むからもう誂わないでくれよ!心臓に悪いっての!」
「うん。じゃあね!レクスくん!」
マリエナの声を背にして、レクスは男子寮へ歩いていく。
胸に手を置くと、レクスの胸は未だにドキドキと早鐘を打っていた。しばらく収まりそうにはない。
(会長も美人なんだからよ……。本当、心臓に悪ぃ……。)
そのままレクスが廊下を歩いていくのを、マリエナは頬を染め、微笑みながら眺めていた。
「……行っちゃった。……やっぱり、レクスくんには効かないんだね。わたしの魔眼。」
マリエナはボソリと呟く。
その表情はどこかレクスに見惚れているようで。
「レクスくん……あなたなら、大丈夫なのかな?」
マリエナは足元に来ていたビッくんを抱き上げる。
ビッくんはキョロキョロと、なんとなく辺りを見渡しているように見えた。
「あなたなら、きっとおかあさんも認めてくれるよね。」
マリエナの呟きを聞いているものは、腕に抱えた友達だけだった。
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