甘いひととき
イリアに案内されるがまま、レクスとカルティアは対面するようにテーブル席につく。
するとイリアはエプロンのポケットから手慣れたようにボードとペンを取り出した。
「ご注文をお伺いします。」
「お…おれは、このブラックコーヒーって奴とパウンドケーキを頼む。…カティは?」
「わ…わたくしも紅茶とパウンドケーキをお願いしますわ。」
「かしこまりました。ブラックコーヒーと紅茶、パウンドケーキがお2つですね。少々お待ちください。」
イリアは丁寧に礼をすると、カウンターの奥の厨房へ入っていく。
そんなイリアは、二人にとって新鮮で戸惑ってしまっていた。
「イリアさん…給仕までこなしますのね…。」
「本当、クロウ師匠の奥さんたちって何者なんだろうな…」
レクスはクロウの妻全員と面識があるのだが、その技量は全く知らない。うち数人に至っては普段の行動すらわからないのだ。
レクスがカルティアと顔を見合わせながら驚いていると、レクスたちのすぐそばのテーブルへ、イリアがかなり大きなスイーツを持っていっている姿が見えた。
「お待たせしました。スペシャルデラックススイーツ五の月版です。」
「わーおいしそー!」
それは聳え立つ山だった。
器の中にバケツで作ったようなプリンと、これでもかと盛られた季節のスイーツが大きな器に生クリームと共に、余す所なく盛られている。
「す、凄いものを頼まれる方もおられるのですね。びっくりしてしまいましたわ。」
「あ、ああ。そうだな…。」
少し引き気味のカルティアにレクスは相槌を打つ。が、そのスイーツを頼む人物をレクスは一人しか知らない。
「いっただっきまーす!」
薄紫のウェーブがかった髪をツーサイドアップにし、ベレー帽と丸眼鏡を着けたフリフリな私服の女性。
薄手のシャツとジャケットをかなり大きな胸が盛り上げているその人物を、レクスは知っていた。
(変装したつもりになってるけど…あれってどう見ても会長だよな…?)
レクスたちの通う王立学園の生徒会長。
マリエナが山のような巨大スイーツを美味しそうに頬張る様子がレクスの目に映っていた。
「あんなに食べられて羨ましいですわね…。わたくしなんてすぐに…」
美味しそうにスイーツを食べるマリエナに対し、しょぼんと眉を寄せるカルティア。
巨大スイーツを食べているのはマリエナだと、カルティアは気が付いていない様子だ。
(ま、楽しみ邪魔しちゃ悪いしな。)
レクスがそう思い、視線を外そうとした時だった。
「「あ」」
マリエナと目が、合った。
するとマリエナは少し頬を紅く染めて微笑むが、その威圧感はレクスに向けられている。
するとマリエナは口パクでレクスに何かを伝えてきた。
「言ったら許さないよ?」
レクスはマリエナの口パクをそう捉え、さっと目を逸らした。
するとイリアがトレーを持ち注文の品をレクスたちに運んでくる。
「お待たせいたしました。ブラックコーヒーと紅茶、パウンドケーキになります。どうぞごゆっくりおくつろぎください。」
イリアはカップとパウンドケーキを優雅にテーブルの上に置くと、整った礼と共にカウンターの奥へ戻っていく。
その所作はどこか良いところの貴族かしっかりと訓練されたメイドのようにも見えた。
「まぁ、美味しそうですわね!」
カルティアは自身の前に置かれたパウンドケーキに眼を輝かせ見つめる。
そんなカルティアを見て嬉しそうに笑いつつ、レクスはコーヒーを口にする。
コーヒー特有の香りと苦味、僅かな酸味がレクスの口いっぱいに広がり、レクスは僅かに顔を顰める。
(…やっぱ苦ぇな、これ。でもなんかこの苦味がクセになるんだよなぁ。)
レクスは最近コーヒーというものを飲み始めたのだが、何故かこの苦味が性に合ったのか、ハニベアに来るたびに頼んでいたのだ。
そんなレクスの顔を見たのか、カルティアがレクスを興味深そうに見つめる。
「あら、レクスさん。コーヒーが苦手ですの?」
「苦手じゃねえんだけど、この苦味が少しきついなと思ってよ…。少し飲んでみるか?」
「あら?いいんですの?…なら、いただきますわ。」
レクスは飲み差しのコーヒーをカルティアの方へずいっと押し出す。
カルティアは差し出されたコーヒーのカップを手に取ると口をつけて少しだけ飲む。
その仕草はとても優雅で洗練されていた。
「意外とスッキリとした味わいですわね。そこまで苦くありませんわよ?」
カルティアはソーサーを押してコーヒーをレクスへ戻す。
「そんなもんか?」
レクスは戻ってきたコーヒーをもう一度口に含むが、やはり苦味を強く感じていた。
(あんま変わんねぇな…。あれ?これってカティが…)
レクスは少し頬を赤らめて、カップをソーサーに戻す。
明らかに間接キスだ。
カルティアの方をちらりと見ると、カルティアも気が付いたのか僅かに頬が朱に染まっている。
キスをした仲だがやはり気恥ずかしく、レクスは眼を逸らした。
眼を逸らした先に見えたマリエナは、手を口に当てて、アワアワと顔を赤くしていた。
レクスは気恥かしさを誤魔化すように、パウンドケーキを切り分けて食む。
レクスの口に砂糖の甘さと卵の風味、フルーツの酸味が程よく調和し広がりだした。
「…美味いな。このケーキ。甘さが俺に丁度いい。」
「ふふっ、レクスさんはこういった甘さが好みですのね。」
「ああ。母さんがよく作ってくれたクッキーがあってさ。あれに近いんだ。」
「そうでしたのね。…いつかわたくしも、レクスさんのお母さまに会ってみたいですわね。」
懐かしげな表情を浮かべるレクスと、レクスの家庭に興味津々なカルティア。
二人は微笑みながら、ケーキを食べ進めていく。
そんな二人をマリエナは横目でチラチラみながら赤い顔でアワアワしていたのだが、レクスとカルティアは気づいていない。
ケーキを食べ終わるころ、ふと、レクスは思い出したことがあった。
「…そうだ。カティ、悪ぃけどこの後寄りたいところがあるんだ。いいか?」
「構いませんわよ。今日は学園も休みですもの。どちらへ行かれるのです?」
「ちょっと剣の切れ味が悪ぃと思ってよ。ほら、エミリーのとこが鍛冶屋やってるから、そこに行こうと思ってよ。」
レクスはカルティアが鍛冶屋に興味はないだろうと思っていた。
しかしレクスの言葉に、カルティアはぱぁっと綻んだ顔をする。
「良いですわね。わたくしもお友達のお家に行ってみたかったんですの。」
「そっか。なら、丁度良かったな。」
レクスはそんなカルティアの様子に微笑むと残りのコーヒーを呷り、流し込んだ。
エミリーの鍛冶屋は王都の大通りから少し入った先に、人目を避けるかのようにこぢんまりと建っていた。
木造の建屋で今にも崩れてしまいそうだが、建屋の奥で甲高い”カーン”という鉄を打つ音が外にまで響きわたる。
煙突からはモクモクと天に向かって煙が立っていた。
「ここ…ですわよね?」
「ああ、教えて貰ったのはここで合ってるけどなぁ…。」
如何にも廃業寸前のようにみえる建屋のドアをレクスが開ける。
”ギィ”というドアの軋んだ音が鳴る。
店内もこぢんまりとしており、壁には剣や盾、槍などがところ狭しと立てかけられていた。
その量は一般の武具店に引けを取らない。
室内は外気より少し暑く、鉄の焼ける匂いが店の中に立ち込めている。
初めて来る鍛冶屋に、カルティアは嬉しそうに眼を輝かせていた。
ドアを開ける音に気がついたのか、店の奥から誰かが走って来る影を捉えた。
「おーお客さんなのだー!あ、レクスとカルティア!いらっしゃいなのだー!」
走ってきたのは浅黒い肌にかなり小柄な体躯、それでいて胸の膨らみははっきり主張している赤毛のドワーフの少女。
レクスとカルティアのクラスメイト、エミリーだ。
エミリーは胸にサラシを巻きつけ、下は長ズボンのへそ出しスタイル。
いかにも仕事中な服装のままに、アハハと元気よく笑っている。
「こんにちは、エミリーさん。」
「よ、エミリー。ちょっと剣を見て欲しくてな。」
挨拶をしたレクスは、背中に差していた剣を引き抜きエミリーに手渡す。
剣はキラリと光を反射して、エミリーの顔を刀身に映した。
するとエミリーはおぉ!と剣を見て眼を輝かせる。
「これがレクスの剣なのかー!おとーさーん!」
レクスの剣を持ちながらエミリーが大声を上げる。
すると店の奥から小柄な人影がのっそりと歩いてきた。
「エミリー!うっせぇんだよ!あ、何だ客か。」
声を荒げて出てきたのはエミリーより僅かに高い、髭をもっさり蓄えた厳つい顔のドワーフの男性だ。
エミリーと同じ浅黒い肌の赤眼で、頭に巻いたバンダナからは赤毛が少しはみ出していた。
上半身は薄手のシャツが汗で肌に張り付き、下は長ズボンを履いている。
男性はレクスたちに気が付くが、エミリーが持っている剣を見るやいなや目つきを変えた。
「……貸しな。こりゃ、良い剣だがだいぶ使い込んだな?よく手入れはされてるが……うん。ごく僅かに剣が曲がっちょる。あんたの剣か?」
ドワーフの男性は鋭い目付きのまま、レクスに眼を向ける。職人の目だ。
レクスは無言でコクリと頷いた。
「最近切れ味がわりーだろ。もっと早く持って来いってんだ。研ぎ直してから50年位ずっと使ってんだろ。よくここまで保ったな。」
レクスの剣をまじまじと確認し、男性は感心している様子でニヤリと口元を上げた。
しかしレクスは首を傾げる。
いくら元の持ち主がエルフと言えど、50年も使っていたとは聞いた事もない。
「その剣だけどよ。使い始めたのはだいたい1カ月ちょい前だぞ?50年も使ってねぇよ。」
「バカ言え!こんな使い込まれた剣は《《どう見積っても50年位ずっと振られてんだ》》よ!…エミリー、手伝いな。この剣、鍛えなおすぞ。出来るのは明後日だ。…こんな大仕事、久しぶりに腕が鳴るってもんよ。」
ドワーフの男性は声を荒げたが、その口元はニヤリと笑っていた。
男性はレクスの剣を大事そうに布で抱え込む。
「俺はグラッパってんだ。こんな使い込まれた剣を鍛え治すなんざいつぶりだってな!そういや、こんなボロい鍛冶屋に来るたぁ、てめーも変な趣味してんな!」
男性…グラッパはレクスとカルティアを見てガハハと笑った。
「おとーさん!レクスとカルティアはエミリーの友達なのだ!エミリーが紹介したのだ。」
「おお!何だエミリーの友達かい!ならなおさら丁寧にしなくっちゃならねぇや!…大仕事、ゾクゾクしやがらぁ。」
グラッパはあくどいような笑みを浮かべながら、剣を抱えて店の奥へ入っていく。
「レクス、カルティアもまたなのだ!明後日、学園で会うのだ!」
「ええ。また明後日ですわ。」
「ああ。またな。」
エミリーもたたたっとグラッパを追いかけるように店の奥へ走り去っていく。
レクスとカルティアが店を出ると、店内より涼しい風が、心地よく二人を吹き抜けた。
「鍛冶屋…少し暑かったですわね。」
「ああ。外が涼しく感じちまうな。」
外の風を感じながらぐいっと伸びをするレクスは、ふと隣のカルティアを見る。
カルティアは暑かったのか、胸元をパタパタと煽ぎ、ふぅと溜め息をついていた。
ついレクスは、カルティアの大きく豊満な胸の谷間を見てしまい、すぐにバッと顔を逸らした。
そんな頬の赤いレクスに気づき、カルティアはふふっと微笑む。
「何だよカティ…。」
「いいえ、レクスさんも男性なのだと思っただけですわ。」
「何だよそれ。元から男だっての。」
「気になっている男性の目線には、女性は敏感ですのよ?」
そう言って微笑むカルティアに、レクスはバツの悪い顔をする。
すると微笑んだままのカルティアは、何かを思いついたように口を開いた。
「レクスさんは胸の大きい女性はお嫌いですの?」
「ば…バカ言え!んなわけ…。」
レクスの語気が強まったのが答えだった。
カルティアはいたずらっぽく笑うと、レクスの手を取り、自らのとても豊かな胸元に抱え込む。
柔らかい感触にレクスは少し驚き、顔を赤く染めた。
「なら、わたくしはレクスさんの好みということになりますわね。嬉しいですわ。」
「…否定はしねぇよ。」
「うふふ。それが答えですわ。」
カルティアはそのまま、レクスと共に学園の女子寮に向かって歩き出す。
道行く人たちがレクスとカルティアをたびたび見る。美男美女の組み合わせは多少なりとも人の眼を集めていたのだ。
この嬉しそうに笑う少女を王女だとは誰も気が付かない。誰も夢にも思っていないだろう。
レクスの腕を抱えて、学園に入る手前までの間、レクスは少し恥ずかしそうであったが、カルティアは嬉しそうに眼を細めていた。
「…ここまでですわね…。」
カルティアがぽつりと寂しそうに呟く。
既にレクスとカルティアは、二人で女子寮の前まで帰ってきていた。
レクスは首を振りつつ微笑む。
「心配しなくても…また明後日会えるっての。」
「そうですわよね。…また明後日、お願いしますわね。」
「ああ、また明後日な。」
レクスはカルティアに背を向けるとひらひらと手を振りながら男子寮へと向かっていく。
そんなレクスを、カルティアは小さく手を振りながら幸せそうに微笑み、後ろ姿を見送った。
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