第21話
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カルティアが闇の巨人に襲われた翌日。
カルティアは普段と変わりなく校舎への道を歩いていた。
行き交う学生は冷淡な王女だと噂のカルティアを避けるように追い越していく。
すでにカルティアは、そんな光景に慣れていた。
そして何時も通りに教室に入ると、何時も通りに騒ぐ勇者と女子たちの姿があった。
最初はリナたちだけだったが、今やクラスの女子のほぼ全員に増えている。
そこに居ないのはカリーナとエミリーだけだ。
「昨日は満足できましたか?リュウジ様?」
「ああ。最高だったよミアリィ。リュクスのご奉仕も良かった。」
「リュウジさまぁ。明日はわたしにもぉ。」
リュウジは昨日の夜の感想会を女子たちと行っている。
複数の女子たちがリュウジに媚を売るように身体を擦りつけ、しなだれかかっていた。
リュウジもニヤニヤと卑しい笑みを浮かべ、女子たちの身体を触っている。
カルティアは呆れ、大きく溜め息をつく。
(ノアさんに言っても無駄でしたわね。全く、あの方ときたら…どうしようもありませんわね。)
リュウジから視線を離すと、カルティアは自身の席へ向かう。
するとカルティアの前に、無邪気な笑顔を浮かべたノアが立っていた。
何時もリュウジの傍にいるノアがどんな気まぐれでカルティアの前に立っているのかはわからなかったが、カルティアは愛想笑いを浮かべつつ、ノアに挨拶を述べる。
「おはようございますわ。ノアさん。」
「うん。おはよう、カルティア様。」
カルティアがノアの横を通り過ぎようとした。
その時、底冷えするようなノアの声がカルティアの元に届いた。
「…あれぇ?なんで死んでないのかな?誰かわからない位、ぐちゃぐちゃになってると思ったのに。」
無邪気な笑顔からあり得ない言葉が出たことにカルティアは眼を見開き、息を呑んだ。
するとノアはニヤリと口角を引き上げる。
カルティアも見たことのない、邪悪な笑みだった。
「ノアさん…あなたいったい何を…?」
「カルティア様は一体どうやって逃げ出したのかな?誰も来ないところに飛ばして、その澄ました綺麗な顔をぐちゃぐちゃに潰してあげようと思ったのに。」
邪悪な笑みのまま話すノアは、普通の人間ではないようにカルティアの目には映った。
「ま、いいや。あんな怖い思いをしたくないならさ、私たちに下手なことを言わないほうがいいよ。じゃあね。」
そう言ってノアはリュウジの方へ駆けていく。
ノアの言葉はカルティアにはおぞましいものに見えた。
カルティアはその場で立ち止まっている。
昨日の出来事を思い出し、カルティアはすくみあがってしまっていた。
昨日の痛みが、昨日の絶望が帰ってくるような気がして、カルティアは全身を小刻みに震わせる。
再び、恐怖がカルティアを包み込もうとしていた。
その時。
そんな空気を打ち破るかのように、カルティアの後ろから声がかかる。
「よう。おはよう、カティ。」
「おはよう!カルティア様!」
「お、おはようございます!カルティア様!」
「おはよーなのだ!カルティア!」
カルティアが振り向くと何時もの4人が立っている。
四人の顔を見た瞬間。
不思議と身体のすくみはなくなっていた。
「おはようございますわ。皆さん。」
カルティアは優しく微笑みを浮かべ、友人たちに挨拶を返した。
ノアの言う事が気がかりではあったが、その恐怖はすでに消えている。
友人たちの笑顔が、カルティアの恐怖を打ち消していたのだ。
そしてカルティアはそのうちの1人、レクスを見て、心を決めていた。
その日の昼下がり、レクスは木漏れ日の降り注ぐ学園の遊歩道の下、ポツンと寂しく置かれたベンチに腰掛けていた。
前日の雨が嘘のような晴天がレクスの上には広がっている。
晴れているのに人通りが全くない遊歩道の中で、レクスはとある人物が来るのを待っていた。
すると、その人物は制服のスカートを揺らしながらゆっくりと優雅にレクスの前に現れる。
風がさらりと、プラチナブロンドの髪を揺らす。
誰をも魅了するような微笑みを浮かべ、レクスの傍に歩み寄る。
「お待たせしましたわ。レクスさん。」
「どうしたんだカティ?相談ってよ。」
レクスの待ち人はカルティアだった。
カルティアが傍に来ると、レクスは立ち上がる。
昼食の終わりに相談があると言われ、レクスはこの場所で待っていたのだ。
「ええ。実はお願いがありますの。でもその前に…。」
カルティアはレクスに向き直ると、深く頭を下げた。
「昨日は危ないところを助けて頂き、ありがとうございました。わたくしが今、生きているのも、レクスさんのお陰ですわ。」
「たまたまだって。俺があそこにいて誰かが死にそうだったから助けただけだ。…それでもカティを死なせたくはなかったし、間に合って良かった。」
レクスはカルティアに微笑みかける。
その顔に、カルティアは頬を朱に染めた。
すると、「あ!」とレクスが何かを思い出したようにポケットを探る。
「そういやこれを返してなかったな。」
レクスはポケットから髪飾りを取り出す。
それは昨日、カルティアが落としたスノードロップの髪飾りだ。
レクスは髪飾りをカルティアに差し出した。
「レクスさんが拾っていてくださったのですわね。…よろしければ付けて貰えませんか?」
「ああ。お安い御用だ。」
レクスはカルティアに近づくと、前髪の端に髪飾りをパチンと付ける。
カルティアは嬉しそうに眼を細めていた。
「ほら、これで良いか?」
「ええ。感謝いたしますわ。…レクスさん。わたくしは貴方にお伝えしないといけないことがありますの。」
カルティアは咳払いした後、レクスから一歩下がるとレクスの眼を見る。
その頬は紅潮し、つぶらな瞳は蕩かしたように潤む。
レクスのほうが高いため、自然とカルティアは上目遣いになる。
艷やかなカルティアの表情に、レクスは戸惑っていた。
「ど…どうしたんだ?カティ?」
「…わたくしは、貴方をお慕いしておりますわ。…どうか、わたくしの恋人になってくださいませんか?」
カルティアの言葉にレクスは雷に打たれたように眼を見開く。
レクスの心臓がドクドクと早鐘を打つ。
(カティが…俺を…好き…?)
レクスがそう思った瞬間に自然と頬が紅くなる。
カルティアはじぃっとレクスを見つめていた。
「お返事…聞かせて欲しいですわ…。」
「お…俺は…。」
レクスもカルティアの瞳を見つめる。
その瞳から、いろいろなカルティアの表情をレクスは想起した。
カルティアの笑った顔、嬉しそうな顔、真剣な顔。
全てがレクスには魅力的に映った。
しかし、同時に自身のやらなければならないことも思い出す。
渋るように、レクスは言葉を搾り出した。
「…悪ぃ。俺はカティの想いに応えられねぇ。」
「…そう、ですのね。」
カルティアは眉を下げ、落胆した表情をレクスに見せる。
レクスは気まずそうに言葉を続けた。
「勘違いしないでくれ。俺もカティが嫌いなわけじゃねぇ。俺だってカティが大切だし、魅力的だって思ってる。告白だって凄く嬉しかった。でも…俺には、やらなきゃならない事がある。」
「それは…何ですの?」
「俺は…幼馴染と義妹を追ってこの学園に来たんだ。あいつらには嫌われてる。でも俺はあいつらと、なんとか話してケリをつけなきゃならねぇ。…それまでは、俺はカティの想いには応えられそうもねぇ。ケリをつけなきゃ、カティを傷つけちまうから。」
レクスは苦々しく言葉を紡いだ。
これがレクスなりの誠意だった。
そんなレクスに、カルティアは眼を伏せ、しめやかな表情で溜め息をついた。
「…わかりましたわ。よろしければ、誰か教えていただけませんこと?」
「…リナとカレン。あとクオンだ。あいつらと話して区切りをつけなきゃ、俺は前に進めねぇ。」
「なるほど。あの方々ですのね…。」
カルティアの脳裏にさんざんリュウジと関わるように自分に言ってきた3人が思い浮かぶ。
正直、あの3人は何時もリュウジのことばかりを話しており、カルティアは苦手としていた。
「…相当、お好きなのですね。羨ましいですわ。」
「ああ。今でも好きだよ。…多分、届きゃしねぇだろうけどな。女々しいかもしれねぇけどよ。」
少し打ちひしがれたような表情で、レクスは空を仰ぎ見る。
昨日とは打って変わった、5の月になろうとしている青空が広がっていた。
「…だから、俺はカティとは恋人になれねぇ。身分もち…」
レクスはカルティアに顔を向け、申し訳なさそうに断ろうとした。
その瞬間。
「……ん。」
レクスの唇に、柔らかいものが押し付けられる。
眼前にはカルティアの美しく整った顔。
眼は閉じられていて、ふわりとフローラルな匂いが鼻をくすぐる。
カルティアはいつの間にかレクスの背中に手を回し、柔らかい身体を押し付けている。
レクスの思考は一瞬止まっていた。
カルティアに今、接吻をされているのだと。
そう理解するのに時間はかからなかった。
その一瞬をレクスはとても永く感じる。
カルティアはぷはぁと、艶やかな唇を離した。
「か…カティ…?」
レクスは戸惑いながら、紅い顔でカルティアを見つめる。
カルティアも紅い顔で、しかし妖しく微笑んでいた。
「わたくし、もう我慢しないと決めましたの。…レクスさんはハーレムをご存じですわよね?」
「あ…ああ…?」
「この国のハーレムは元々、優秀な殿方を囲うためにあるものですわ。つまり、主体は男性でありながら、主導は女性ですの。勘違いされている方が非常に多いのですけれど。」
カルティアの脳裏には、今まさに勘違いをしていそうな男のニヤけ顔が浮かんでいた。
「それに、女性同士の仲が良くないと成立しませんわ。…逆に言うと、それさえ満たせば、ハーレムはつくれますのよ?」
「…カティ、お前まさか…。」
「ええ。わたくしはリナさんやカレンさん、クオンさんと必ず《《仲良く》》なってみせますわ。《《御三方以外のレクスさんを好きな方とも》》。わたくしにここまでさせて、無様に倒れ、粗相をした姿まで見られたんですもの。…責任、取ってもらいますわよ?」
カルティアは妖しく、されど魅力的に、玉を転がすような表情でレクスに微笑む。
そんなカルティアにレクスはたじたじになっていた。
「で…でも身分とか違うだろ…?」
「気にする必要はありませんわ。そんなもの、どうにでもなりますもの。王家の為やグランドキングダムの為に、レクスさん以外の別の相手とのお付き合いなんて嫌です!…わたくしは、貴方がいいのです。貴方でなければいけないのです。」
カルティアの言葉は重くレクスにのしかかる。
王女という身分すらなげうつと言っているのだ。
そんなカルティアに、レクスは驚きを隠せない。
「今はまだ、わたくしを見ていなくても構いませんわ。でも、全てが終わったその時には、必ずわたくしの隣に立って頂きますわよ。レクスさんの傍に何人女性がいようと、その中に入ってわたくしは貴方の隣に立ってみせますわ。…わたくしの愛は、重いんですのよ?」
「は…はは…。」
レクスは苦笑いしかできなかった。
そんなレクスを見てか、カルティアはころころと玉を転がすように微笑む。
「貴方がいたから、わたくしは前を向けましたわ。貴方に救われた命ですもの。わたくしも、貴方にこの命を捧げる覚悟ですわ。」
「…とんでもねぇ王女様だな、全く。」
「ええ。悪い子だとは自覚しておりますもの。」
カルティアの決意の固さは、レクスに十分伝わっていた。
もし、今ここでレクスがカルティアを抱きたいと言おうものなら、カルティアは間違いなく頷くだろう。服すら脱ぎだすかも知れない。
しかし、それはレクスが許さない。いや、許せないのだ。
「…わかった。俺もカティの想いに応えなくちゃならねぇな。」
レクスは改めてカルティアのアイスブルーの瞳を見つめる。
その瞳はレクスを冀うように見つめ返していた。
「…約束だ。俺があいつらとケリをつけたその時に、しっかりと答えを出すさ。…その時にカティの心が変わってなけりゃな。」
「変わる筈はありませんわ。これが、わたくしですもの。…ん。」
カルティアはもう一度、レクスに唇を押し付ける。
それは、レクスと共に歩むと覚悟を決めた、カルティアの決意。その証明。
レクスはそのキスを受け入れる。
カルティアはレクスの暖かな体温を感じ取る。
それはレクスも同じ。
そしてどちらからともなく自然と唇が離れる。
「これから、よろしくお願いしますわね。レクスさん。」
「ああ、よろしくな。カティ。…幻滅させたらすまねぇ。必ず、あいつらとケリをつけてくる。待っててくれ。」
「するわけがありませんわ。…ええ。なるべく早めにお願いしますわよ。」
「そうだな。…今年中には、どうにかするさ。」
二人は身体を離すと、共に正面を見る。
二人の前には、誰もいない。
しかし燦々と照らす木漏れ日が、二人のゆく並木の間を照らし出す。
レクスとカルティアはどちらともなく手を繋いで歩き出した。
もちろん、カルティアにレクスの心は読めない。
だが、手から感じる体温が、レクスの心を示しているようにカルティアは思えた。
少し照れたようにそわそわしているのも、それを表している。
(スキルが効かなくてもわかりやすい方…でも、とてもまっすぐで、誠実で…わたくしの、だいすきなひと。)
カルティアの顔から優しい笑みが溢れる。
レクスは気恥ずかしさからか、カルティアから少し顔を背けた。
二人の向かう先は傭兵ギルド。
4の月終わりの青空は、雲一つなく鮮明に、二人の上に広がっていた。
これにて第二章 完結になります。
第二章まで読んで頂き、ありがとうございました。
明日からは第三章を早速投稿致します。
ご拝読いただき、重ねて御礼申し上げます。




