第20−2話
「あ…れ…?ここ…は…?」
カルティアがうっすらと目を開ける。
そこは何処かの部屋のベッドの上だった。
窓の外はすでに暗い。
首だけを動かし辺りを眺めると、沢山の本や棚に並べられた薬品のような瓶が見え、窓際には青々とした観葉植物が並ぶ。
部屋の中に一人、机に向かっている人物の長い銀髪がどこか異彩さを放っていた。
するとその銀髪の人物はカルティアが目覚めたことに気がついたのか、ゆっくりと振り返る。
(…綺麗な方…。)
銀髪の人物は白いシスター服を着た胸の大きい女性で、背が高かった。
瞳は綺麗な銀色で雪の輝きを思い起こさせる。
その人物は、柔和な表情でカルティアに微笑みかけた。
「目は覚めましたか?」
「は…はい。ここは…?」
「傭兵ギルドの医務室ですよ。」
「傭兵…ギルド!?」
その言葉にカルティアはバッと上体を起こす。
この場所にレクスがカルティアを運び込んだことは容易に想像出来た。
カルティアは自身の姿が制服から白い病衣に変わっていることに気づく。
カルティアは自身の手や身体をあちこち触って確認するが、傷や違和感は何処にもない。
女性はカルティアの様子を確認すると、カルティアの目を見つめ、にこりと微笑んだ。
「全身しっかり治しておきましたから、大丈夫ですよ。女の子の顔や身体に傷が残るのはいけませんから。」
「あ…あの…。」
「ああ、此方はイリア・イミューズ。イリアとお呼びくださいな。カルティア殿。」
「レ…レクスさんは…?」
「レクス殿は貴女を運び込んだあと、心配そうに見つめておいででしたよ。…傭兵ギルドの扉を蹴破って入ってこられた位ですもの。カルティア殿より怪我は軽いもので、今はギルドマスターの部屋に居られます。…よほどカルティア殿が大切な方なのですね。あのように鬼気迫る表情は始めて拝見いたしました。」
イリアは優しげにカルティアに語りかける。
そんなカルティアはレクスの行動を聞いた途端に頬が熱くなり、心臓がドキンと大きく跳ねた。
(…もう、隠す事など出来ませんわね。)
熱い頬に、カルティアは自身の想いを再び呼び起こした。
栓をした筈の想いだが、その栓はすでに粉々に砕け散っている。
再びの栓など、出来るはずもなかった。
イリアはコホンと咳払いをすると真剣な眼差しでカルティアを見つめた。
「あと少しでも遅ければ、カルティア殿は助かりませんでした。わたしの聖魔術でも、かなりの時間がかかってしまいましたので。ようやく繋がった命です。大切にしてくださいな。」
「…はい。そういたしますわ。」
あの時レクスに助けられなければ、今、自身の胸の高鳴りさえ感じられないことをカルティアは理解していた。
カルティアは自身の胸の中央に手を当てる。
豊満な胸の谷間で、ドクドクと命の鼓動が手の中に響いていた。
ふとカルティアはベッドの横に立てかけられた籠を見ると、自身の制服が綺麗に畳んで収まっている。
汚れなどは全く見えなくなっていた。
「制服は洗っておきましたよ。シミ一つ、残す訳にはいきませんので。」
「は、はい。ありがとう…ございますわ。」
カルティアはレクスに助けられた時の惨状を思い返す。
制服は吐瀉物や血に塗れていた筈だ。さらには失禁までしている。
あれだけ無様に汚れていたカルティアをレクスは嫌な顔一つせず抱え上げたのだ。
(わ…わたくしの…粗相までした…あんな姿を…レクスさんに…見られてしまった…!?)
カルティアは今更ながら恥ずかしい気持ちが込み上げる。
赤い顔をするカルティアだが、イリアは口に手を当て、にこりと微笑みかけた。
「此方で身体の方もしっかりお清めしておきました。けれど、レクス殿は気にされる人ではありませんよ。…でも、乙女の失態を見たレクス殿にはしっかり責任を取ってもらって下さいな。」
「は…はい。そうしますわ…。」
カルティアが頷くと同時に、部屋の扉がコンコンとノックされる。
「アタシよ。カルティア様は起きてる?」
ドアを開けて入ってきたのは桃色の髪の美女。
チェリンだ。
入ってきたチェリンにイリアが不思議そうに顔を向ける。
「カルティア殿は起きて居られます。どうかされました?」
「おばあちゃんが呼んでるわ。起きてるなら連れてこいって。」
「なる程、それでは此方も参りましょう。カルティア殿、着替えましょうか。」
カルティアは何があったのか分からないまま、コクリと頷く。
イリアはそんなカルティアに一言だけ伝えた。
「ギルドマスターがお呼びですよ。」
一方、ギルドマスターの部屋にはヴィオナ、レクス、クロウの3人が集まっていた。
ヴィオナはギルドマスターの机に手を置き、椅子に腰掛けていた。レクスとクロウは机と対面するように置かれた椅子に座っている。
レクスはすでにカルティアを助け出した状況を話していた。
ヴィオナはレクスに、鋭くも呆れたような視線を飛ばしている。
「それで、依頼の途中にカルティア王女を見つけて助け出したって訳かい。…全く、バカだねぇお前さんも。死んだら何も残りゃしないよ。」
溜め息混じりにヴィオナがレクスを見据える。
ヴィオナの鋭い目に、レクスはバツの悪そうな表情を浮かべていた。
「で…でも婆さん…。」
「でもじゃないさね。今回はお前さんが生き残った。ただそれだけの話さね。次、生き残れるとは限らないよ。」
厳しい口調のヴィオナにレクスは肩を落とす。
クロウはただじっとレクスを見ていた。
「傭兵ってのは身体が資本さね。身に合わない事はしないのが極意さ。危険には近寄らず、命を惜しむのが一番さ…普通はね。」
含みを持たせた言い方が気になり、レクスは顔を上げてヴィオナを見る。
ヴィオナはレクスに変わらず厳しい眼を向けるのみだ。
「…傭兵が動くのは依頼料と己の心だけさ。お前さんが己の心に従ったってんなら、それでいいさね。それが、傭兵としてのあるべき姿だからね。」
「…婆さん。」
「お前さんが対価など求めず、お前さん自身の信念に従っただけだろう?なら、それはお前さんとしてあるべき姿さ。…胸を張りな!間違っていようと、正しく胸を張って、やるべきだったと言えるなら、それは間違いなんかじゃないよ!お前さんは傭兵として正しくあった、それだけのことさね。」
「…ああ。」
「忘れるんじゃないよ。対価を求めて良いのは依頼だけさね。こっちから何かを求めるんじゃないよ。…ま、向こうがくれるってんなら、そん時に考えな。」
ヴィオナはレクスを見据え、ふぅと溜め息をつく。
レクスはただ、ヴィオナを見ていた。
カルティアを救い出したのは、何一つ間違いではない。
そう言われた気がしていたのだ。
「…にしても、なんでカルティア王女がそんなもんに襲われてんだ…?しかも粘獣みたいに再生する巨人なんて聞いたこともないぞ。レクスを疑う訳じゃないけどな。」
今まで黙っていたクロウが訝しげに首を傾げた。
「俺もわからねぇ。そもそも魔核すらなかった。ありゃ魔獣って言っていいのか…?」
レクスも力なく首を振るう。
ヴィオナもただ目を閉じて唸っていた。
するとコンコンとノックの音が部屋に響く。
「おばあちゃん、アタシよ。カルティア様を連れてきたわ。イリアもいるわよ。」
「チェリンかい。入んな。」
扉が開き、チェリンとイリア、そして制服に着替えたカルティアが部屋に入ってくる。
二人に挟まれたカルティアはどこかそわそわした雰囲気だった。
そんなカルティアを、ヴィオナは見据える。
「カルティア・フォン・グランド第三王女だったね。始めて会うさね。あたしゃヴィオナ・ハウゼン。傭兵ギルドのマスターをやらせてもらっているよ。」
「お噂はかねがねお伺いしておりますわ。この度はわたくしの為にありがとうございました。」
カルティアが優雅に頭を下げるが、ヴィオナは溜め息をつきつつ、親指でひょいとレクスを指さす。
「感謝ならそこのレクスにしな。あたしらはレクスの頼みに応じただけさね。アタシがしたいのはレクスの話の確認さね。…レクスの話は本当かい?」
「…ええ。間違いありませんわ。わたくしが巨人に襲われているところを彼…レクスさんに助けていただきましたの。もし彼がいなければ、わたくしは今この場に立てておりませんわ。」
レクスの話を肯定するカルティアに、ヴィオナはゆっくりとレクスを見た。
するとヴィオナはニヤリと笑った。
「レクスの話とも合っているさね。別に疑っちゃいなかったが…。なる程、これが1人目かい。」
「1人目?何の事ですの?」
「こっちの話さね。まあ、確認は取れたから良いとしようかね。…クロウ!」
ヴィオナはクロウに視線を向けると、クロウはコクリと頷いた。
「情報の周知だな。わかった。傭兵ギルドの全員に情報を共有させておく。なるべく秘密裏にな。」
「頼んだよ。さてと…。」
ヴィオナは再びカルティアに眼を向け、ニヤリと笑った。
その笑みは何か面白いことを考えついたようだった。
「カルティア王女。お前さん…帰る時に護衛を付けてみるのはどうだい?また危ない目に遭うのは御免だろう?」
「…はい、一考いたしますわ。」
「ならうちに指名依頼を出すのはどうだい?」
「指名依頼…?なんですの?それは?」
「うちの傭兵の誰かを指名して発注する依頼よ。でも誰ができるのよそれ。カルティア様と予定が合うような傭兵なんていたかしら?」
ぽかんとしたカルティアの疑問にチェリンが答えると、チェリンはジトっとした目をヴィオナに向ける。
「そこにいるじゃないか。都合よく王女と行動出来そうな男が。」
ヴィオナはレクスを横目で見てニヤリと笑う。
チェリンは納得したように頷いた。
「なるほど、レクスを使うってことね。いいんじゃない?レクスなら一緒に行動してても不思議じゃないしね。男だから変な奴も寄り付かないでしょ。…カルティア様はどう?」
するとカルティアはレクスを見つめ、少し頬を赤らめつつコクリと頷く。
「…レクスさんであれば、わたくしも信用できますわ。おねがい…できるのですか?」
「ああ。支払いは気にしなくていいよ。出世払いでいいさね。」
カルティアの答えにヴィオナは満足げに頷いた。
しかし当のレクスは少し戸惑っていた。
「お…おい。カティを送るのは良いけどよ…他に傭兵の依頼とかあるだろ。どうするんだよ。」
「その時はカルティアをここに連れてきな。何、傭兵ギルドにはカルティア王女に手を出す馬鹿は居ないさね。」
「…わかった。カティがそれでいいってんなら俺はその依頼を受ける。」
「わたくしは…レクスさんが良いですわ。事情も知っていますもの。…お願い、しますわ。」
カルティアがレクスに頭を下げる。
レクスは腹を決め、ふぅと溜め息をしながら頷いた。
「…わかった。俺がカティを護衛する。」
「決まりだね。王宮には傭兵ギルドから通達を出すさね。…なら、早速送って…。」
「おばあちゃんちょっと待って。アタシが送って行くわ。こんな遅くに王女様が男と帰ったらいろいろ疑われるでしょ。」
「…それもそうさね。じゃあ、カルティア王女、レクスをしっかり使ってやんな。何かあったらしっかり言うんだよ。…もし、レクスに泣かされそうならあたしに言いな。地獄を見せてやるさね。」
「お心遣い、感謝いたします。ヴィオナ様。」
カルティアはもう一度頭を下げるた後、くるりと身を翻してドアに向かう。
カルティアの後ろをチェリンとイリアがついて行った。
「…レクスさん。今日はありがとうございました。また、明日ですわ。」
「ああ、また明日だ。」
去り際のカルティアの声に、レクスは何時も通りの笑顔で返した。
レクスの言葉にカルティアは僅かに微笑む。
そのままカルティアたちはギルドマスターの部屋を後にした。
するとヴィオナがレクスにニヤリと笑った。
「…?どうしたんだ婆さん?」
「いや、何でもないさね。…さて、遅いしレクスも帰んな。明日からしっかり護衛するんだよ。」
「言われ無くてもやるっての。またカティが危ない目に遭って欲しくねぇしよ。…じゃあな、婆さん。」
レクスはすたすたとギルドマスターの部屋から出ていく。
残ったのはヴィオナとクロウだけだ。
ヴィオナはちらりとクロウに目を向ける。
その眼は熟練の兵士のような鋭いものだった。
「クロウ。勇者の動向を追うように瑠奈に言いな。アタシゃどうもきな臭い予感がするさね。」
「ああ。わかった。俺のほうでも少し調べてみる。…師匠、何が視えたんだ?」
「碌でもないことさね。…あと、レクスにも注意しな。」
「レクスを?アイツを疑うのか!?」
ヴィオナを糾弾するようなクロウに、ヴィオナは首をゆっくりと横に振る。
「視えたのはただ一つ…死相さね。」
その言葉にクロウの眼は見開かれる。
ヴィオナの「占い師」は結果が変わることはあれど、外れたことは無い。
「どういう…事だよ…。」
するとヴィオナはふぅと溜め息をつき、手で「6」を示した。
「7人。「7人の娘と心を通わせた時、死が訪れる。」…アタシの占いでは、そう見えたさね。これが変わるならいいんだけどねぇ。」
ヴィオナの言葉に、クロウは唇を噛み締めるように俯いた。
傭兵ギルドを出たカルティアとチェリンは共に人気のない学園への道を、二人並んで歩いていた。
ところどころ魔導具の街灯がともり、二人を静かに照らす。
カルティアはチェリンと話す事なく、静かに歩いていた。
話す内容をカルティアは思いつかなかったし、特に話す事でもないと思っていたのだ。
しかし、チェリンがその沈黙を破った。
「ねぇ、カルティア様。」
「…なんですの?」
「アンタ…レクスに惚れてるでしょ?」
チェリンのその言葉に、カルティアは頬を染め、愛くるしく俯いた。
その仕草が答えだった。
そんな様子のカルティアに、チェリンは微笑む。
「惚れてるなら、何をしてでもアイツを手に入れなさい。それがアタシからの助言よ。…それが出来なさそうなら、囲んでも良いかもね。」
「囲む…ですの?」
きょとんとしているカルティアにチェリンは頷く。
「ええ。おそらくアイツは何人も女を惚れさせるわね。アタシの旦那と同じ。だから、ふらふらしないうちにこっちで固めちゃえばいいわ。信頼できる人たちでね。」
「そ…そのようなことが…できるんですの?」
「ま、頑張んなさい。アタシからはそれだけよ。」
カルティアが気がつくと、二人はすでに学園の女子寮の前に来ていた。
優しく灯る寮の玄関の灯が二人を照らす。
すると奥から小太りの夫人が二人に気づき駆け寄って来た。
彼女は女子寮の管理人だ。
「カルティア様!王族と言えど門限ギリギリですよ!」
怒ったような管理人の前に、チェリンが立つと、傭兵ギルドのライセンスを見せた。
「傭兵ギルドのチェリンよ。ちょっとカルティア様が道に迷ったところをウチで保護してたの。カルティア様は悪くないわ。」
「そ…そう?それならいいのです。」
そう言って管理人はカルティアを招き入れる。
カルティアが振り向くと、チェリンは背中を向け、ひらひらと手を振っていた。
カルティアもチェリンに小さく手を振り返す。
カルティアにとって怒涛の1日がようやく終わったのだった。




