第19−1話
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レクスがカルティアと出掛けてから3日が経ち、その日はどんよりと曇った、生憎の雨模様だった。
空は暗く、ぴちゃぴちゃと地面に落ちた水が波紋を打っている。
「こりゃ…今日は濡れるなぁ。」
びしゃびしゃと校舎の出入り口から水が滴り落ちる様を傘をさしながらレクスは見て一人呟いた。
レクスは出入り口から歩き出すが、レクスの周りにいつもの友人たちの姿はない。
先ほどまではカルティアたちと一緒だったレクスだが、カルティアは用事で校内に残り、アランやカリーナは実習、エミリーは鍛冶屋の手伝いだ。
レクスはびしゃびしゃに泥濘んだ地面を転ばないように歩いていく。
もちろん行き先は傭兵ギルドだ。
レクスはちらりと校舎を振り返る。
「…カティ、俺を少し避けてんのかな。」
レクスはカルティアと出掛けた翌日から、なんとなくカルティアから避けられている気がしていたのだ。
もちろん話ぶりなどは変わっていないのだが、レクスから少し距離を置くような素振りが増えたように思っていた。
「胸とか…触っちまったからか?でも愛称で呼べって言われたから嫌われちゃねぇとは思うけどな…?」
レクスはカルティアが自身を避ける要因がそのぐらいしか思いつかなかった。
少し避けられている事実にはぁと溜め息をつきながら、レクスは重い脚を進め、傭兵ギルドに向かう。
校門から出ると、いつも賑わう大通りは雨のせいか人通りがいつもより少ない。
5の月も近く、歩きなれた大通りを慣れたように進むレクスは傭兵ギルドの建物に着くと油が塗られベトベトしている傘をたたみ、傭兵ギルドの扉を開ける。
傭兵ギルドはがらんとしていて、チェリンだけがカウンターに座っているいつもの光景だった。
「こんにちは、チェリンさん。みんな出てんのか?」
「あら、お疲れ様。レクス以外、今日は出払ってるわ。」
「そっか。ならクロウ師匠も居ねぇよなぁ。」
ふぅと溜め息をつきながらレクスはクエストボードに向かう。
依頼の紙が乱雑にピンで貼られたクエストボードには、幾つかの依頼が受注を待つように揺れていた。
レクスはクエストボードをざっと眺める。
その中で一つ、レクスは見慣れない依頼の紙を見つけた。
(何だこれ…排水溝の清掃…?…依頼料安っ!?)
レクスが見つけた見慣れない依頼は、王都の中に鬱蒼と佇む赤レンガの廃墟から流れ込む排水溝の掃除という依頼だった。
依頼料も安く、小鬼を2匹討伐すれば同じ金額になる程だ。
その額は6000Gとチェリンの字で書かれていた。
その他の依頼をレクスは眺めるが、他の依頼は全て大型魔獣の討伐など時間がかかりそうなものばかりだった。
(これしかねぇか…。)
レクスははぁと溜め息をつくと、クエストボードからその依頼書を剥ぎ取り、チェリンの待つカウンターへとことこと向かう。
古びたカウンターの椅子に腰掛けたレクスは先ほど見た廃墟から伸びる排水溝掃除の依頼書をチェリンにひょいと手渡した。
「チェリンさん。これ頼む。」
「わかったわ。ちょっと待ちなさいね…。ああ、この依頼受けてくれるのね。助かるわ。」
「…?どういう事だ?」
チェリンのあまり見慣れない反応にレクスは首をかしげる。
珍しい依頼だからだろうかと思うレクスだったが、帰って来た答えはレクスの予想外なものだった。
「うーん。単純にこういった依頼は人気がないのよね。ほら、依頼料だって安いし。あと、現状確認があるから即金じゃないのよ。」
「…ああ、なるほど。いつも見かけねぇけど、誰がやってんだ?」
「アタシの旦那よ。アイツ昔からこういう依頼ばっか受けるんだから…。」
「クロウ師匠が?」
レクスの中ではクロウは戦闘の師匠であり模擬戦をよくしていた事から、戦闘に強いイメージしかなかったのだ。
チェリンは頬杖をつき、懐かしむようにレクスを見やる。
「依頼があるってことは誰かが困っている事だってよく言ってるわよ?大物の依頼も多いけど、アタシの旦那は基本的に人気の無い依頼ばっか受けるんだから…。」
はぁと溜め息混じりにレクスに語るチェリンは何処か惚気ているようにレクスは感じる。
チェリンはレクスから受け取った依頼書に一通り目を通すと、「受理」と書かれた木印を紙にぽんと押しつけた。
「はい。受理完了よ。雨降ってるから身体を冷やさないようにしなさい。スコップとかは2階のロッカーにあるわ。」
「ありがとな。チェリンさん。…じゃ、俺行ってくるよ。」
レクスは椅子から立ち上がると、螺旋階段をトントンとゆっくり上がっていく。
レクスが2階に上がっていった事を横目で見ていたチェリンはふと窓の外を見る。
大降りではないものの、外はどんよりと暗く、窓に時折雫が弾け、ザーザーと絶え間なく雨が降り続いていた。
「…雨、止まないわね。」
その何気ない呟きは、雨音でかき消された。
◆
レクスが依頼を受けたのと同時刻、リュウジとノアの姿は他に誰もいない、少し薄暗く忘れ去られたような空き教室にあった。
「どうしたんだい?ノアが僕を呼び出すなんて珍しいじゃないか。」
「ごめんね。リュージにちょっと頼みたいことがあるんだ。」
ノアは蠱惑的な笑みを浮かべ、使い込まれた机に腰掛けリュウジを見つめている。
一方のリュウジはノアを見つめているようでノアの胸元や脚に視線を這わせていた。
ノアはそんなリュウジに気がついているのか、わざとらしく脚を組み替えるとリュウジの視線を誘導するかの如く、猫のように背を曲げてリュウジの目線に合わせる。
「私がリュージにして欲しいのは、魔王を倒すために必要な事なんだ。…多分、魔王との戦いにはみんなの力を借りなきゃいけないから。」
蠱惑的だが懇願するような目を、ノアはリュウジに艶かしく向ける。
リュウジはそんなノアを牛のように鼻息を荒くして、ノアの目を見つめた。
「な、何をして欲しいんだい?ノアの言う事なら僕は何でもしてあげるよ!」
「じゃあ、言うね。…冒険者ギルドの高ランクの女性をリュウジが集めて欲しいの。冒険者ギルドの勢力は偉大で、魔王を倒す時にも絶対必要になると思う。だから、なるべく多くの冒険者をリュウジの元に今のうちから集めておいたほうが良いと思うんだ。」
「確かにね。魔王って封印されてるけど万が一ってことがあるから仲間は多いに越したことはないよね。」
ノアの言葉に、リュウジはうんうんと頷く。
そんなリュウジをノアは上目遣いで見つめながら、口元を上げていた。
「リュージの力なら、冒険者ギルドの女性たちを多く集められるはずだよ。冒険者ギルドの男の人は…ちょっと怖くて。」
「なるほどね。僕に任せといてよ!冒険者ギルドの女性たちでハーレムを作って、魔王を討伐するときの力になってもらおう!いつもノアの言葉は僕を導いてくれてる。感謝してるよ!ノアが冒険者の男の人が怖いってのも大事なことだよね。…まあ、どのみち僕以外の男なんて僕のパーティには要らないし。」
「さすがリュージ。わたし、やっぱりリュージが勇者で良かったと思うよ。リュージ以外だと、わたし、怖かったと思うから。」
ノアは優しく微笑みながらリュウジの手を優しく両手で取る。
そんなノアにリュウジは激しく興奮していた。
ノアはリュウジの背中に手を回すと立ち上がり、リュウジの耳元に口を寄せる。
「今は駄目だよ?わたしがあとでいっぱいシてあげるから、今は冒険者ギルドに行って?」
ノアの言葉を聞くやいなや、リュウジはノアからさっと身体を離す。
「そうだよね!善は急げって言うしさ!先に行くよ!ノアもあとから来るんだろう?」
「うん、リュージが先に行ってて。」
ノアがニコリと微笑み、リュウジは教室から凄い勢いで走り去っていった。
ノアは妖しく口元を上げて微笑みながら、悠々と教室から出る。
すると、リュウジが行った反対側の廊下に、思いもよらぬ人物が歩いて来ていた。
「…ご機嫌よう、ノアさん。リュウジと会っていたんですの?」
ノアが振り返るとカルティアが、ノアを訝しむように見つめていた。
カルティアに気付いたノアは少し顔を顰めるが、すぐに普段通りのニコニコした笑顔になると、カルティアに顔を向ける。
「こんにちは、カルティア様。うん、リュージと話があってね。カルティア様はどうしたの?…まさか、カルティア様もリュージに用事?」
「いいえ。リュウジに用などこれっぽっちもありませんわ。偶々わたくしが寮に戻ろうとしているところで、教室から飛び出していくリュウジを見かけただけですわよ。」
「ふーん。そーなんだ。じゃ、わたしは冒険者ギルドに行くから。」
ノアはカルティアに背を向け、つまらなさそうに歩いていく。
しかし、カルティアの声がそれを止めた。
「お待ちなさい、ノアさん。少しだけ言っておきたいことがありますわ。」
「なに?わたしこう見えて忙しいんだけど?」
ノアは不機嫌そうに、首だけカルティアに振り向く。
カルティアはそんなノアに鋭い視線を向けていた。
「リュウジは王家の客人という扱いですわ。リュウジが、誰と一緒にいようがわたくしは気にしません。ですが、あまりにも妄りな行いは王家として品格に欠けていると思われてしまいます。ノアさんも、リュウジに口利きするような行為を控えるべきですわ。」
「ふーん。でもハーレムは世界で認められているはずだけどー?」
「ハーレムを作られるのは一向に構いませんわ。ですが、今のリュウジはあまりにも度が過ぎています。それに、貴女がリュウジに口利きをして、女性を集めている姿を見たという王宮の方もおられますの。そういったことは、今後は控えていただきたいとわたくしは思いますわ。」
ノアは正面を向き、一瞬明らかに不機嫌そうに顔を顰めるが、すぐカルティアに向き直るとニコニコした笑顔をカルティアに向ける。
しかし、口元だけは僅かに歪んでいた。
「そっか。そう見られちゃうとリュージのことも悪く言われちゃうもんね。それは私もやだなぁ。…カルティア様、ありがとうね。わたしも少し、リュージに言ってみるよ。」
「お心遣い、感謝いたしますわ。ノアさん。わたくしも王家の人間として、リュウジとは程よい関係を築いていきたいと思っておりますの。…それでは、失礼いたしましたわ。」
カルティアはすました顔で一礼すると、スタスタとノアを追い越し、校舎の出入り口に急ぎ早に向かっていく。
ノアは離れていくカルティアの背中を忌々しく眉間に皺を寄せ、睨みつけるように見ていた。
「カルティア…王家の中で唯一リュージに靡かないクソ女。おまけに「読心」なんて持っちゃってさ…。わたしに指図するなんて、千年早いよ。ほんと…苛立っちゃう。」
ノアはいつもより低い声をして雨音だけが響く誰もいない廊下で忌々しげに呟く。
するとノアの影から3つの影が分かれた。
それは影ではなく、光の届かない、どこまでも黒い闇。
ノアの影から分かれたその闇は、ノアの周りを這うように周り出す。
「行って。」
ノアのその声に呼応して、3つの闇は意思を持つように這いずりながら校舎の出入り口に向かっていく。
その闇が行く先を見据え、ノアはニヤリと口元を上げ、目を見開く。
いつものノアの表情からは考えられない表情だった。
「明日、リュージが見つければいっか。郊外で王女の無惨な姿の死体が発見されて、王都のみんなが悲しめば、魔王討伐の機運も高まるだろうしね。そうすればリュージも動きやすくなる。…いけ好かない王女様には生贄になってもらっちゃおっか。おとなしくリュージに靡けば良かったのにね。」
ノアはただ無邪気そうにニコニコと笑う。
その昏い瞳で深淵を見つめるが如く、ノアはただ一人薄暗い廊下の先を見つめていた。
◆
一方、レクスが依頼で辿り着いた場所。
そこには鬱蒼と立ちそびえる赤レンガの廃墟が佇む王都の北側の地区だった。
一番大きな廃墟は気味悪く黒ずんだレンガで出来た倉庫を思わせる廃墟。
王都の中心とは打って変わって人気の一切ない、入り組んで誰も来ないような場所だ。
浮浪者のような姿すらない、正にゴーストタウン。
レクスの作業場はその大きな廃墟の直ぐ傍、雨水を排水する古びた排水溝でスコップ片手に泥をかく作業をしていた。
ザーザーと絶え間なく降る雨がレクスの全身をくまなくびちゃびちゃに濡らす。
冷えゆく身体でレクスはせっせと泥を搔いていた。
「…ここ廃墟だろ。排水溝掃除する意味あんのか?」
疑問を口にしつつ、レクスはふぅと溜め息をつく。
レクスが空を見上げれば、重い雲が青空を覆っている。
少なくとも今日中は晴れることはなさそうだった。
レクスは排水溝に目を戻す。
黒く重い土が溜まり、排水溝を埋めるように塞いでいる。
レクスはスコップを排水溝に溜まった土に突き刺し、土を崩していく。
(受けんじゃなかったかなぁ…でも、クロウ師匠の言う通り、困っている奴がいるんなら見捨てる訳にもいかねぇしよ…。)
そうしてスコップでの土かきに疲れたレクスがはぁと溜め息を吐いた。
疲れを取ろうと身体をぐいっと伸ばした。
その時だった。
”ドォン”と地を揺るがす何か大きなものが炸裂したような地響きが起こる。
レクスは咄嗟に屈んで周囲の様子を確認すると再び”ドォン”という炸裂音と共に地響きが起こった。
近い。
レクスにそう思わせる程に、大きく響きわたった。
(…傍の一番でかい倉庫か!)
場所を特定したレクスはスコップを置き、一番大きな廃墟に駆けていく。
黒く染まった赤レンガ倉庫は正面と側面に扉があり、レクスは左手に銃を構えて側面の扉に思い切りタックルした。
扉は傷んでいたのかいとも簡単に壊れる。
倉庫内を確認する間もなく、レクスは銃を構えて倉庫内に走りだした。
何故ならそこには。
倒れている人影。
その人影を潰さんと黒く巨大な拳を振り上げる、見たことのない闇を人型に固めたような異形の姿が、レクスの瞳に映ったのだから。
お読みいただきありがとうございます。




