指を鳴らせば
クオンのベッドの側に駆け寄った制服姿の二人の瞳が、大きく見開かれた。
はっと息を呑み、クオンの身体をその瞳に映しているようにも見えた。
当然、というべきだろう。
クオンにあったはずの右腕が忽然と消失し、その上大きな傷まで負っている。
二人の想像していたクオンの姿とは異なっていたのだろうという事は、ゆうに想像できた。
「クオン……あんた……!? 一体どうしたのよ、その身体……!?」
「クオンさん!? そんな……事って……!?」
リナはベッドにドンと手を付き、クオンの身体を覗き込んだ。
カレンは驚きを隠せないように、口元を手で押さえていた。
遅れて、リュウジもクオンの姿をちらりと覗き込んだ。
クオンの顔と身体を目の当たりにした瞬間。
リュウジは慄いたように口元を引き攣らせ、顔を顰めた。
「うげっ……ひっど。何だよ……!? どうしたんだよ、その顔は……!? 腕もないじゃないか……!」
三人の反応は当然だろう。
クオンの右眼付近には、深く斬り裂かれたことで、大きく抉られたような傷痕が残っている。
傷そのものは既に塞がっているが、其の痕は生々しかった。
もう開くことはないだろうとさえ思えるように、その瞼は閉じきっている。
加えて右腕も斬り裂かれ、なくなってしまっている。
明らかな大怪我であり、クオンの容姿を大きく損なうものであることに間違いはなかった。
三様の表情を浮かべる三人に対し、クオンは心配をかけまいと。
柔らかく、微笑んだ。
「……ごめんなさい。リナお姉ちゃん。カレンお姉ちゃん。リュウジ様……ちょっと、ドジしちゃったのです。」
「ドジしちゃったって……だ、大丈夫なの!? 痛くないの?」
「もう傷は塞がっているのです。ちっとも痛くなんてないのです。」
クオンは大げさだというように、リナに語りかける。
嘘だ。
クオンの右肩にある切断面は綺麗に塞がっている。
だが、何故か存在しないはずの右腕の先端に、時折ピリピリとした痛みが走るのだ。
幻肢痛。
そう呼ばれるものであり、四肢を欠損した人間に起こってしまう痛みだった。
しかし、無い右腕の先が痛いと言っても、信じてもらえる訳が無い。
更に心配をかけさせる訳にもいかない。
だからこそ、クオンは嘘を吐いたのだ。
「クオンさん……。私たちがもっと気をつけていれば、こんなことには……。」
俯いたカレンの落ち込んだ声に、クオンはゆっくりと首を横に振った。
「お姉ちゃんたちのせいじゃないのです。……わたしが、ちょっと道に迷っちゃったから……なのです。」
「……道に迷った……? 脱出すると言っていたではありませんか。どうして……?」
「そ、れは……。」
カレンの言葉に、クオンは少し目を伏せ逡巡した。
言ってもいいものなのだろうか、と。
ノアが何らかの方法を使い、クオンを洞窟の中で迷わせたことが原因なのは、クオン自身もわかっていた。
しかし、ここで言ったところでリナやカレン、はたまたリュウジに信じて貰えるのかはわからない。
ノアはクオンを見て、にこにこと微笑んでいる。
顔は笑っているのだが、何故か得体のしれない悍ましさがクオンの頬を伝っていた。
「ノアのせい」と。
言ってしまえば何をされるかわかったものではない。
そんな雰囲気さえ、漂っていた。
目を泳がせ、言い淀むクオンを見てか。
リナが、僅かに苛ついたように声を上げた。
「もしかして……あいつのせいなの!? やっぱりあのク……。」
「違うのです! にいさんは悪くないのです!」
リナが貶すような口を開いた途端。
クオンが部屋に響く程の大声を上げた。
リナも、カレンも、はたまたリュウジも。
聞いたことのないクオンの大声に、ぎょっとしたように目を開き固まっていた。
「く、クオン……?」
「……わたしを助けてくれたのは、にいさんなのです。にいさんがいなかったら、わたしは今、生きていないのです。……いくらリナお姉ちゃんでも、にいさんを悪く言わないで欲しいのです。」
我慢が、ならなかった。
兄がいなければクオンはこの場に居ないだろう。
加えて、兄がダンジョンの中でクオンの心を支えるものになっていた部分さえある。
幾ら姉代わりのリナといえど、兄を貶されることをクオンは黙って許容出来なくなっていた。
「……そうだったのね。ごめん。」
クオンの意固地な表情に驚いたリナが素直に謝罪を口にした。
その表情は、悲しみを含むように口元を下げていた。
「でも、なんでクオンさんは……。」
「……ごめんなさい、なのです。わたしの、ほんの出来心、なのです。」
カレンの問いに、クオンは素直に頭を下げた。
本当の事は、言える訳もない。
元凶が側にいるのだ。
はぐらかすのは目に見えていた。
「……で、クオンはさぁ。結局、弓、撃てるの?」
そんな中、空気を読まないように、歯を出して不機嫌に顔を歪めたリュウジが口を出した。
腕を組み、苛つきを隠せないようにパタパタと爪先で床を叩いていた。
「ちょっと、リュウジ! クオンは……。」
リナが立ち上がり、リュウジを睨みつけて口調を荒げた。
そんなリナの態度が癪に触ったようで、リュウジは「ちっ」と舌を打った。
溜息を零しながら、引き攣ったような視線をクオンに向ける。
「リナは黙ってて欲しいな。僕はクオンに聞いてんの。……僕や王国にとって大事な問題なんだから。で、どうなのかなぁ?」
リュウジの質問に、クオンは一つしか答えを持ち合わせていない。
其れ、は。
既にクオンから断たれた道だからだ。
責め立てられるような声に俯きながら、クオンは答えた。
「……ごめんなさいなのです、リュウジ様。わたしは……もう、弓は引けないのです。」
◆
「……ごめんなさいなのです、リュウジ様。わたしは……もう、弓は引けないのです。」
寂しく俯くクオンの言葉を聞いた瞬間。
リュウジの中で何かがぷっつんと切れた。
ふぅぅと深い溜息を吐き出しながら、頭を掻く。
まるで人を見ていないような目つきでクオンを見ながら、口を開いた。
「あのさぁ、わかってんの? 僕たちは王国の為に力をつけてるんだよ? 集団行動も出来ないような奴は、僕も危険に曝すことになるって分かってるのかなぁ!?」
「ご、ごめんなさいなのです……。もう、しないのです……。」
怒りを抑えきれず、激しく声を荒げるリュウジに、クオンはびくりと肩をふるわせた。
俯いて、目を伏せながらリュウジの言われるがままになっている。
怒声に耐えるように、ベッドのシーツをくしゃりと握り締めていた。
だがリュウジの昂りは収まらない。
クオンの仕草や表情になど、目もくれない。
湧き上がる怒りの衝動を、ただぶつけるだけだった。
「おまけに「弓聖」とかいうスキルも使い物にならないだって? 弓が撃てなくなったら、スキルの意味もないじゃん。おまけに勝手にあの無能とダンジョンを攻略したんだって? 僕を差し置いて、何勝手な行動してんの? そんなに僕にアピールしたかったの?」
「……じゃ、ないのです……。」
「はぁ!? 何!? 聞こえ……。」
「にいさんは……無能じゃないのです! 死にそうだったわたしを助けてくれて、いろんなものを貰ったのです……! にいさんを馬鹿にしないで欲しいのです! いくらリュウジ様でも……それだけは譲れないのです……!」
叫びが、上がった。
ぷるぷると震えながら、クオンは伏せていた顔を上げる。
左眼の眦に光る物を携え、クオンはリュウジを睨んでいた。
反抗するようなクオンの物言いに苛立ち、リュウジはぴくりと眦を吊り上げる。
歯向かわれると思っていなかったリュウジは、わなわなと震えながらクオンの顔を睨みつけた。
黒金剛石のように黒い瞳に映るクオンの傷痕。
腕を喪い、抉られたような右眼の傷痕は、リュウジからすれば「汚物」のように映っていた。
生々しくて気持ちが悪い、と。
そう思いながら、リュウジは失望を顕にしたように大きな溜息を零した。
黒い瞳の奥に渦巻く嫉妬と憎悪の念が、鎌首をもたげる。
「……へぇ、そういうことなんだ。君、あの無能に身体を差し出したんでしょ? 股を開いてまで生き残ってこのザマってことだよね。……僕には身体を差し出さなかったのに、あの無能クズにはいいんだ。……僕にはいい顔して、裏ではビッチだったってことだろ!……最低な屑女じゃん。」
「な、何を言ってるのです……!? リュウジ様! わたしは……。」
「五月蝿いな! 喋んなよ屑! 詐欺女! お前みたいな気持ちの悪い奴なんて、取り柄は身体位なもんだろ! ダンジョンであの無能とやらなきゃ守って貰えるはずないだろ!」
まくしたてるリュウジに対し、クオンは恐怖で目を見開き、身を縮こめていた。
リュウジは、許せなかったのだ。
この少女が、自分を差し置いて「無能」と蔑んだ男とダンジョンを攻略したことが。
リュウジは、理解出来なかったのだ。
この少女を守り抜いた、レクスの思いを。
リュウジは、悔しかったのだ。
操心を使っても「初めて」を貰えなかった上に、クオンが無能を選んだように見えたから。
自身の不甲斐なさや失態をクオンに押しつける意味もあったのかもしれない。
ディアンや他の冒険者たちを喪ったという責任から逃げ出したかった部分もあった。
苛立ちも相まって、縮こまるクオンを引っ掴もうとリュウジの手が伸びる。
しかし、リュウジの手がクオンに届く事はなかった。
何故ならば。
咄嗟にリナがクオンとの間に割って入っていた。
カレンも身を呈して、リュウジとクオンの視線の間に身体をねじ込む。
「リュウジ様、落ち着いてください! クオンさんが帰って来てくれた。それだけで充分ではありませんか! それに、クオンさんがそんなことをするとは思えません!」
「リュウジ! 流石に言い過ぎ! 落ち着きなさいよ! クオンだって苦しんでる。それにカレンの言う通り、クオンはそんなことしないわ! なんで分かってあげないの!? クオンの分はあたしたちが何とか埋めるから。それで良いでしょ!?」
二人は抗議するような目をリュウジに向けていた。
リナとカレンの、クオンを守るように取った行動。
だがそれも、リュウジの神経を逆なでした。
ちらり、と。
リュウジはノアに視線を向ける。
ノアはにこにこと笑ったまま、小さく肯いた。
「……そっか。君たちも庇うんだ。……へぇ。」
リュウジの口元が、大きく歪む。
その表情は、邪悪に笑ったようにも見えた。
リュウジの脳裏に、スライドレバーの付いた板のようなものがイメージとして浮かび上がる。
二人の矢印を、クオンへ向ける。
目の前の二人のスライドレバーを目一杯引き、目盛の一番下にスライドさせた。
(……あのクソビッチロリはいいや。あんな傷痕のある気持ち悪い女の子、誰も相手にしないだろうし。好意を持たれるなんて、虫唾が走るね。可愛い顔で伝説のスキル持ちだからハーレムに加えてあげようと思ったのに。……はぁ……ついてないや。)
ぐしゃり、と。
クオンの板を紙くずのように丸め、粉々に破壊した。
「……じゃあ、いいよ。……君、いらないから。」
親指と中指を合わせ、スッと持ち上げる。
リナもカレンも、そしてクオンも。
怪訝な顔で、リュウジの右手に視線を集めた。
ぱちん、と。
リュウジが指を弾くと、乾いた音は病室内に木霊した。
それが、実行の合図。
崩壊の、始まりだった。
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