産声
漆黒の闇夜に、幾億もの星が瞬く深夜。
馬車すら通らない荒野のど真ん中では、虫たちや動物、それを食べる為に魔獣までうろうろとたむろしている。
特に目立ったものもないその場所で、ピシリと土くれだらけの地面に亀裂が走る。
最初はごく小さな亀裂だったが、徐々に亀裂は大きく拡がり、亀裂の中へと砂が崩れ落ちていった。
同時に”ゴゴゴゴゴ”という雷とは比べものにならない轟音の地響きが辺りの空気を揺らす。
虫たちや動物、魔獣でさえも。
その轟音から逃げるようにその場から退散した。
鳴り止まぬその轟音の中心は、亀裂がさらに拡大し地面が波のように揺れ動く。
そして、地が割れた。
割れた先の暗闇から、粘りつくような黒い靄を伴って。
”ズズズ”と音を響かせながら、”それ”の頭が顔を出す。
地面の中から現れた”それ”は、地面の底から産まれ出るように迫り上がり、這い出づるようにその姿を現した。
”それ”がある程度まで迫り上がると音が鳴り止み、揺れも収まって周囲は静寂を取り戻す。
一見すると、”それ”はただの大きな岩山。
貴族の邸宅などよりも少し小さい程度のものだ。
そんなゴツゴツとした岩の塊の正面に、ボコリと音を響かせて亀裂が入った次の瞬間。
表面が崩れ落ちて、人が数人並んで通れる程の穴が姿を現した。
穴の内部は光の見えぬ黒に染まっている。
そして、その黒の中の大量の紅い眼光が光輝くように蠢いていた。
それが合図。
グランドキングダムの王都から近い荒野に現れたその岩山の正体は言わずもがなだ。
それは、冒険者たちの欲望の的だった。
◆
その日、二人の冒険者がグランドキングダムの荒野を何時ものように依頼を受けて歩いていた。
二人組は背が高くて痩せた男と、ガタイは良いが背は低く禿頭の男の二人組。
前者は「ニック」、後者は「ガリズ」という名の二人。
以前レクスに助けられた二人組は、肩の力を抜きながらとことこと慣れた様子で、依頼の場所へと歩を進めていた。
ニックが呑気に笑いながら口を開く。
「いやー、二人でも案外何とかなるもんっすね。アニキ。」
「ニック、いつ魔獣が出てくるかわかんねぇんだ。気を抜いてる暇なんざねえぞ。」
ニックを窘めるように眉を下げ、ちらりと目を向けるガリズ。
ニックは「ごめんっす。」と謝るが、やはり軽薄な感じが否めず、ガリズははぁとため息をつく。
ニックは軽い男ではあるが、ガリズからすれば信頼できる相棒であることに間違いない。
素直なだけの憎めない男だった。
女性二人が勇者のせいでパーティから抜け、かなり危うい場面もあった彼らだったが、レクスに助けられたあとも冒険者として何とか続けられていたのだ。
そんな二人は早朝の陽射しが照りつける荒野で、きょろきょろと辺りを見渡しながら進む。
その日の依頼は、小鬼数匹の討伐だった。
何処から現れるかわからない小鬼に備え、周囲を警戒しながら歩く二人だが、はっと何かを見つけたようにニックが目を拡げる。
「ん……アニキ、あれ何すか?」
「おう。なんかみつけたかよ。……どこが変だ?」
「ほら、あれっすよあれ。なんかぽこっと出てないっすか?」
「ああん?どれどれ……?」
ニックが指を指した方向に、ガリズは目を凝らす。
そこにあったのは、確かにちょこんと飛び出ている山のように、ガリズには見えた。
ガリズは不思議そうに首を傾げる。
「……なんだありゃ?昨日、あんなもんあったか?」
「覚えてねっす。……でもあったら気づきそうなもんっすけど。」
ガリズの問いに、ニックも知らないと首を振る。
実は二人は昨日も同じような依頼を受けていたのだが、昨日は特に違和感もなく王都に帰っていたのだ。
不審に思った二人は顔を見合わせて肯くと、ルートを離れて怪しげな岩山にゆっくりと近づいていく。
近づけば近づいていく程に大きくなっていくシルエットに、二人はごくりと息を呑んだ。
「こりゃ……相当でけえな。やっぱこんなもんなかっただろ。」
「そっすね……。一体なんなんすかこれ?」
「わかるかよ。……可怪しいもんならギルドに報告するだけだ。しっかし……こんなもんが急にできるかよ?」
「でも目の前にあるっすよ?」
「……まあ、そりゃそうなんだが。」
ニックとガリズは二人で話し込みながら、細かな砂利の音を立てて歩を進める。
そうして、岩山の手前にまで近寄るとその巨体にあんぐりと口を開けながら、その頂点を見上げた。
近くまで来るとその大きさの全貌が二人にも確認できるようになる。
それは荒々しい灰色の岩肌を纏った、それなりの小山だ。
高さにしては冒険者ギルドの建屋程もありそうな小山を前にして、二人は絶句する。
「こんなでっけぇもんがあったっすか……?オラたち気が付かなかったっすよね昨日……。」
「昨日今日でこんなもんがあるたぁ思わねえよ……。一体なんだこりゃ……?」
二人は小山の外周を沿うようにぐるりと歩き始める。
硬そうな岩肌を見つめながら、反対側に回った時だった。
「こ……こりゃあ……!?」
「な……なんすかこれ……!?」
二人は目を見開き、その光景に冷や汗を垂らす。
小山の反対側に回った二人の視線の先には、大きな洞穴が暗闇を内包して聳えていた。
洞穴から吹き付ける風は生暖かく、何処か血なまぐさいような匂いすらも孕んでいる。
穴の中からは空洞音が不気味に響くその様に、ニックとガリズは慌てて顔を見合わせた。
「な、なんっすかこれ……?気持ち悪いっす……。」
「わっかんねえ。……待てよ、こりゃ……ダンジョンってやつじゃないか?」
「こ、これが……?」
思いつきで口に溢したガリズの言葉に、ニックは半信半疑で岩山に視線を戻す。
圧倒的な存在感を持ったその岩山の洞穴は、ダンジョンという言葉を体現するには十分だった。
「こ、これがダンジョン……?オラたちが一番ってことっすか!?……早く入るっすよ、アニキ!」
だんだんと目の色を興奮に染めていくニックが、ガリズに浮足立った声をかける。
だがガリズはたらりと冷や汗を流し、引き攣った顔で首を横に振った。
「……ニック、帰るぞ。ギルドに報告だ。」
「えぇ!?何でっすか!?折角オラたちが一番乗りっぽいのに……。」
「馬鹿野郎。……二人だけで何の装備もなしに、ダンジョンに飛び込むなんざ自殺行為だ。ダンジョンってのはそんなに甘いもんじゃねえ……。考えてもみろ、常に魔獣が襲いかかってくるんだ。気の休まる暇があるかよ。」
「それは……確かにそっすね。……死んだら元も子もないっすから。」
ガリズの言葉を反論しようとしたニックだったが、神妙な顔でこくりとガリズに肯く。
ニックとガリズはレクスに助けられてからというもの、なるべく怪我をしないように、危険の無いように低ランクの任務を引き受けるようになっていたのだ。
またあの少年が助けてくれるとは限らない。
自身の身は自身で守らなければならないと、あの時痛感していたのだから。
ふぅとため息をつきながら、ガリズはくるりと踵を返す。
ニックも惜しそうに洞穴へと目を向けながらも、ガリズに付き従うように踵を返した。
「……残念っすね。一生に一度会えるかのダンジョンだってのに。」
「ああ。だが命あっての物種だ。……今の俺たちにゃ、到底無理だろ。」
惜しむように肩を落としながらも、二人は荒野の砂利を鳴らしながらその足を速める。
ダンジョンの近くにいれば魔獣が飛び出てくる危険性すらあると、二人は感づいていたからだ。
「そーっすねぇ……。ギルドもダンジョンの報告の謝礼に、報奨金とかくれないっすかね?」
歩く最中に軽薄な笑みを小さく浮かべたニックに、ガリズも小さく笑みを返す。
「ばっきゃろう。くれるかよんなもん。……ま、くれたらそんときはいい酒でも飲むとしようぜ。」
「いいっすね。そのときはいい飯屋に行くっすよ。もちろん、アニキの奢りで。」
「馬鹿か!おめえも出すんだよ!……まったく。」
軽くぱしんとニックの背を叩き、ガリズは笑いながら王都へと足早に歩く。
ニックも「すいやせん」と笑みを溢しながら朝の早い陽射しの中を、二人揃って王都の門へと歩みを進めた。
そんな遠ざかりゆく二人の背中を、洞穴の暗闇から無数の瞳が伺い見つめる。
二人の姿が見えなくなるまで。
血に飢えた数多の瞳は、好機を見定めるようにその視線を放っていた。
その日の朝、ニックとガリズが報告したことにより、冒険者ギルドは火に油を注いだように喧騒で埋め尽くされることとなる。
十六年前に現れてから今まで姿を見せなかった、ダンジョンが再び現れたのだと。
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本日より、第伍章スタートです。




