運命は廻りゆく
ブラックが乗り込んだ後、コーラルもレッドたちに一礼し、馬車に備えつけられた階段を上る。
その後は、レクスに着いてきた四人の婚約者たちがレッドたちの前に揃った。
四人ともとてもやわらかな笑みを浮かべている。
野次馬の村人すらも頬を染め、惚けたようなため息を溢す者さえ出るほどだ。
その笑みはとても魅力的で、美少女四人の存在感を際立たせていた。
「レッドさん、マオさん、シルフィさん。お話をしていただき、ありがとうございました。……また、お話を伺わせて欲しいですわね。」
「…お義父さんもお義母さんたちも。…お世話になりました。…やさしいひとで、良かった。…これからも、よろしく。」
「お世話になりました!……わたし、王都に帰ってからもう少し、料理の練習をすることにします。マオさんのお料理、また復習しますね!」
「お世話になったです。皆様。……レッド先生から借りた本で、あちしももう少し考えてみるです。会えて良かった、です。」
カルティアたち四人が敬々しくレッドたちに頭を下げる。
レッドは何処か照れくさそうに頭を掻きながら苦笑を滲ませていた。
「いやはや……レクスがこんなに綺麗な女の子たちを連れて帰るとは、僕も予想外だったよ。……こんな息子だけど、良くしてやってくれ。つんつんしてるけど意外と寂しがりな子だからね。」
「……一言多いっての。親父。」
レッドの言葉に反応してか、レクスが何か言いたそうな目を向ける。
その頬は染まり、恥ずかしげな様子だ。
「またねー。みんなー。いつでもうちにきていいわよー。もう、家族みたいなものだものー。」
そんなカルティアたちをマオはにこにこと花のような微笑みながら見つめていた。
「ああ。レクスを頼むぞ。皆。しっかりと尻に敷いてやってくれ。」
一方のシルフィはにやりと悪戯っぽい笑みを浮かべながらカルティアたちに声をかける。
「……だから、母さんたちも一言多いんだって。」
レッドとマオ、シルフィの言葉に一瞬きょとんとしたようなカルティアたち四人だったが、嬉しそうに目を細め、こくんと頷く。
そんな態度は王女や貴族などではなく、年相応の女の子のように、レッドたちには映っていた。
そうして四人の可憐な女の子たちはカルティアを先頭にしてキャビンへと乗り込んだ。
四人が乗り込んだあと、最後に馬車へと乗り込むのはレクスだ。
レクスは馬車の周りに集まった人たちの顔をぐるりと眺める。
元気良く笑っているバモスたちの顔や、心配そうにレクスを見つめるカイナたちの顔、そして、レクスを送った時と全く同じ表情を浮かべた、レッドとマオ、シルフィの顔。
(……あの時とは、違ぇな。)
レクスを見送る多くの人たちの顔は、あの時とは違う。
飛び出した時には、両親にしか伝えられなかった。
だが、レクスを心配してくれる人はここまで多いのだ、と。
その中にある期待や願望が綯い交ぜになった視線を、レクスはひしひしとその身に感じ取っていた。
レクスはひしひしとその身に感じ取り、レクスはふぅとため息を溢す。
視線を、レッドたちに戻した。
「親父、母さん、シルフィ母さん。……じゃあ、王都へ俺は帰るよ。心配しなくても、また帰って来る。……今度は、あいつらも連れてよ。」
レクスはにぃっと歯を出して元気そうに笑う。
レクス自身、幼馴染たちとどんな結末を迎えようとも、またこの村に彼女たちを連れ帰らなければならない、と。
そう思っていたからだ。
レクスの溌剌とした笑顔に、レッドたちも小さく笑みを浮かべる。
「レクス、気を付けて帰るんだよ。怪我もしないように。……命があることが、医者として、僕としても一番大事なことだからね。」
「ああ。わかってる。……親父もな。無理すんなよ。」
「もちろんだとも。医者の不養生なんて、情けないからね。」
はははと軽く笑い声を上げるレッドにつられるように、レクスも声を上げて笑う。
そんな中微笑みを浮かべていたマオも口を開いた。
「ふふふー。レクスが帰っちゃうなんて、お母さん寂しいわねー。……また、帰ってらっしゃいー。いつでも、待ってるからー。」
いつも通りの間延びした声だが、いつもより心配したように声のトーンが僅かに低い。
それに気が付いたレクスは、マオにもその溌剌とした笑顔を向ける。
「……まあ、気を付けて行ってくる。俺もまた、母さんの手料理食いてぇしよ。無理なことはしねぇ。約束する。」
「……そうなのー?……レクス、お願いねー。また、元気な顔を見せてー……。」
目元が緩み、光るものが流れたマオはレクスに寄ると、その腕で確かめるようにレクスを抱きしめる。
暖かな体温とやわらかな身体の感触は、レクスが幼い頃から変わらないように、レクスは感じとった。
レクスも母親の背中に腕を回し、ポンポンと背中をたたいて、その眦を下げる。
「母さん。……大丈夫だ。母さんを悲しませることなんざ、しねぇからよ。」
「……約束よー。レクスー。」
「……ああ。皆もいるんだ。絶対に悲しませねぇよ。」
レクスが力強く頷く。
それを合図にしたかのように、マオはレクスから離れる。
いつも朗らかなマオの眦からは、ほろりと透明な筋の通った跡が陽に輝いていた。
マオが離れると、シルフィがレクスに寄る。
その顔は、きりりとした笑みを見せていた。
「シルフィ母さん……。」
「レクス。胸を張って王都へ行って来い。私の義息子であり、私が認めた男としてな。……だが、無茶だけはするなよ?」
「わかってる。死んじまったら元も子もねぇし、皆を悲しませちまうからな。できる訳がねぇよ。」
レクスの返答に、シルフィは口元を上げながら納得したように肯いた。
「ならばいいんだ。しっかりと学び、やるべきことを成して来ればいい。……クオンを、頼んだぞ。」
「ああ。絶対に、また今度は一緒に帰って来る。」
レクスを信頼しているようなシルフィの言葉に、レクスも首肯する。
ちらりと、カイナとルエナ、リィンとジンバルの方に目を向ける。
縋るような視線を、レクスはしっかりと受け取っていた。
「……クオンだけじゃねぇ。カレンに、リナもだ。……じゃあ、行ってくる。また帰れんのは……学期末だろうけどよ。」
「ああ。いってらっしゃい。気を付けてね。」
「いってらっしゃいー。レクスー。」
「ああ。行って来い、レクス。」
親たちの言葉と村人たちの視線を背中に受け、レクスは馬車のキャビンへと脚を上げて乗り込む。
馬車の御者台には既にフィリーナが座り、栗毛の馬に繋がれた手綱を握っていた。
レクスが席に座ったことを後ろ目に確認したフィリーナは、馬車の向かう先を見据える。
向かう先に見えたのは、青い空の中に聳え立つ白い大きな入道雲。
草花が風に吹かれながら、そよそよと頭を揺らしていた。
緊張からか、ふぅと息を吐いて隣を見たフィリーナは、黒い何かが自身の隣に座っていることに気が付く。
「……えっと……なんですか?あなたは……?」
「……ビッ!」
御者席で、馬の手綱を握り込んだビッくんがそこにいた。
まんまるな身体に付いた小さな手でちょこんと手綱を掴み、「任せろ」と言っているような表情をフィリーナに向けている。
「……出来るのですか?」
「ビッ!」
フィリーナの問いかけに、ビッくんは自信満々に首肯した。
その様子が何処か可愛らしく、フィリーナは口元をほころばせた。
「では、片側を頼みましたよ。」
「ビッ!ビッ!」
気合十分といったビッくんから、フィリーナは再び馬車の前に視線を移す。
「ハイヨー!」
フィリーナのよく通る掛け声とともに、馬車はゆっくりと、静かに動き出す。
馬車の中からは、レクスが窓を開けて、身を乗り出すくらいに手を振っていた。
「じゃあ、また帰って来るからよー!」
そんなレクスの声に、村人やレッドたちも手を振り返す。
カルティアたちやコーラル、マインも馬車の中から村が見えなくなるまで、笑顔で手を振るっていた。
◆
馬車が見えなくなったアルス村で、マオはふぅと重いため息を溢す。
「……行っちゃったわねー。寂しくなるわー。」
「仕方がないさ。レクスたちだって用事があるだろうからね。……さて、僕たちもそろそろ行こうか。」
レッドが小さく笑いながらかけた言葉に、シルフィとマオはゆっくりと頷く。
「うむ。そうだな。あいつが大きくなって帰ってくることを信じるとしよう。」
「心配してもしょうがないものねー。行きましょうかー。」
見送りを終えた村の住人は、とことこと何時も通りの仕事や家事のため、広場を後にしていた。
レッドたちも自身の開院準備をするため、脚を診療所に向けた時だった。
「……シルフィ……さん!」
背後から響いた声。
レッドたち三人はその声に振り返ると、そこに立っていたのはカークだった。
レッドたちが向き直ったことを確認すると、カークはシルフィに視線を向けて、頭を下げる。
「おれに……けんをおしえてくれ!」
その剣幕に戸惑うレッドとマオだったが、シルフィは目を細めて腕を組み、カークに鋭い視線を注いでいた。
「……ほう。……どういうことだ。」
「おれは……あのおんなのこにむねをはりたいんだ!」
その言葉に、シルフィの視線は鋭さが増す。
だが、カークは続けた。
「つよくて、やさしい……レクスにいちゃんみたいに。そうなって、あのおんなのこにまたあったとき……おれが、レクスにいちゃんみたいに、あのおんなのこをまもりたいんだ!にいちゃんにおしえてもらうけど……がくえんにいくには、けんがふれなきゃいけないって、とうちゃんがいってたから。」
カークの懸命な声に、シルフィは目を伏せて嘆息する。
その雰囲気に、三人とも気がついた。
カーク自身、マインに一目惚れしていたのだと。
シルフィはつかつかと早足でカークに近づく。
「頭を上げろ。……お前は、レクスの弟子になると言っていたな。」
「……う、うん。おれも……にいちゃんみたいになりたいんだ。」
頭を上げたカークの目を、シルフィは鋭い目で見下ろす。
その気迫にカークは脚を震わせていたが、青い海のようなその瞳は、シルフィから逸らそうとはしなかった。
「……私にとっては、孫弟子、というわけか。……いいだろう。……ただし、途中で逃げ出せると思うな。私の剣は……。」
シルフィはしゃがみ込んで、カークと目を合わせる。
ゆっくりと腰から剣を引き抜き、カークにきらりと反射する、銀色の刀身が見えるように掲げた。
「憂いなく誰かを守り、己を守る剣だ。……その覚悟が、あるということだな?」
シルフィの問いかけに、カークは大きく頭を縦に振る。
その勢いに、シルフィの口元から小さな笑みが溢れた。
「……いいだろう。お前に、私の剣を教えてやる。」
「……シルフィ……さん。」
「先生と呼べ。お前が胸を張って剣を振れるように、しっかりと鍛えてやる。……覚悟はいいな?」
挑戦するようなシルフィの視線に、再びカークは大きく肯いた。
シルフィの口元が、嬉しそうに少し釣り上がる。
それは、レクスたちの撒いた種。
その奔流は、僅かづつながらも誰かを巻き込み、定められた運命を流転させる。
始めは蝶の羽ばたきのように小さかった風が、渦を巻いて大きな風となるように。
皇暦1405年 7の月 29分目。
レクスたちの運命は、静かに、だが確かに動き続けていた。
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