弟分の頼み
朝になり、窓から明るい陽が射し込むとともに、小鳥の歌声や鶏の鳴き声が響く朝方のこと。
レクスたちは診療所のテーブルを囲み、マオの作った朝食を共にしていた。
その日の朝食はトーストに野菜と目玉焼きを挟んだもので、パンはマオが焼いたものだ。
そんな食卓を囲む傍らで、レクスにコーラルが小さな声で耳打ちする。
「レクス君……昨日、何かあったのかい?カルティア様やアオイさん、会長にレイン先輩の機嫌がすごく良いんだけど……。」
「……機嫌が良いなら、別にいいんじゃねぇか?」
「”何か”したんじゃないのかい?君は……。」
「……特には”何も”してねぇよ。」
「……そうなのかなぁ?それにしてもねぇ。」
コーラルは苦笑いするレクスを訝しんだように目を細め、首を傾げる。
そんなレクスとコーラルの正面には、如何にも機嫌が良いと言わんばかりに笑顔でパンをほおぼる四人の姿。
無表情な事が多いアオイですら、うきうきと気持ちが弾んでか、口元が緩みきっているのがわかる程だ。
レクスが四人に宣言した翌朝、明らかに四人の機嫌が良く、コーラルに不思議がられる程であった。
そんなコーラルから疑り深い目を向けられたレクスは苦笑を浮かべる他ない。
もちろん昨日は寝室はそれぞれ別であり、”そういうこと”は一切レクスもしていないし、出来る筈もない。
ましてやレッドに相談を持ちかけたほどなのだが、疑いの目をコーラルやフィリーナから向けられたことは確かだった。
”乙女の盟約”は今だに効力を発揮している。
またレクスも”そういうこと”に興味があることは間違いないが、今はまだそんなことをしているときではないとレクス自身も考えていたからだ。
レクスは昨晩のことをもう一度思い出す。
(……皆、あれで納得してくれてたら良いけどよ……。)
結局昨晩の結論は「保留」ということで納得しては貰ったものの、全員にキスはせがまれたレクスであった。
ちなみにその際、やはりマリエナは目を蕩けさせ、恍惚とした表情を浮かべて倒れてしまい、皆に介抱されていたのだが。
それでもカルティアたちは朝、にこにこと微笑みが絶えないほどに機嫌が良かったのは間違いがない。
その原因は昨日の「結婚してくれ」という宣言にあることは、疑いようのない事実なのは、レクスにとって明白であった。
(……まあ、言っちまったからよ。……皆に顔向け出来るように、俺も頑張らねぇといけねぇな。……傭兵として……結婚相手として胸を、張れるようによ。)
結婚を宣言してしまった以上、レクスは図に乗るわけにも、胡座をかくわけにもいかない。
自身の師匠であるクロウがやっているように、修練や今までやってきたことをを疎かにせず、ひたむきに向き合う事が、彼女たちの幸せに繋がると信じているからだ。
レクスはふぅと一息吐くと、トーストサンドに齧りつく。
ふわりとしたパンの食感と目玉焼きのコクが合わさったその味は、やはりレクスにとっての母親の味。
久しぶりのその味にレクスは舌鼓を打った。
◆
そのあとのレクスの一日は、あっという間に過ぎ去っていった。
先ずレッドの話を聞きたいと言っていたレインを、レッドの元へ連れて行ったレクス。
父親の医学の話を興味津々に聞き入るレインに、レクスは驚いていた。
変わり者だと言っていた父親とレインは意気投合していた事もレクスにとっては新鮮な思いだった。
その次にシルフィとの訓練をアオイと一緒に行う。
アオイの実力とレクスの成長に興が乗ったのか、途中から魔術も使い始めた訓練となり、何時もより苛烈であったことは間違いない。
カルティアは王族として村の実情を聞きたいとのことで、レクスは前日に引き続きカイナの家を訪ねる事となった。
王女ということは隠して「貴族のお嬢様」ということで通したのだが、その洗練された所作に何か感じとるものがあったらしく、顔を真っ青にしながら会話をしていた。
しかし話が進むに連れてカルティアの手腕なのか、にこやかな表情も増え、最終的には仲良くなったようにレクスには見えていた。
その後はマリエナが料理の練習がしたいとマオに申し出て、レクスが味見をすることになった。
始めはぎこちない動きで危なっかしそうに包丁を動かしていたり、鍋の種類などもわからないようだったが、マオが優しく教えたことで上達したらしく、当日の夕食はマリエナが作っていた。
そんなマリエナを見て「かいちょーが……お料理作ってるです!?」と驚いていたレインの表情はレクスのいい思い出になった。
そうして、レクスの帰省の最終日の朝。
黒い馬車を取り囲むように、人だかりが出来ていた。
◆
その日の天気はところどころ雲が目立つが、澄んだ青空の見える気持ちのよい天気。
広場の真ん中に停まった黒い馬車の周りには、レクスたちを見送るために村の人々が集まっていた。
集まったのは全員、レクスの顔見知りだ。
バモスにモビーなどの村人にカイナにルエナの村長夫妻、少し後ろには赤い髪のリィンとその夫である男性、ジンバル。
もちろんレッドにマオ、シルフィもレクスたちを見送るために外へ出ている。。
村から旅立つ時は両親たちしか見送られなかったレクスだが、その時とは異なり多くの人々が駆けつけたことに、レクスは驚いていた。
「……俺、王都に帰るだけなんだけどなぁ。」
戸惑ってか苦笑を浮かべているレクスに、近くに立っていたレッドが微笑む。
「皆、心配なんだよ。レクスのことがね。リナちゃんやカレンちゃん、クオンが帰ってこなかった事もあるけど、村の皆はレクスをしっかり思ってくれているということだよ。……ありがたいことだ。」
「……それはわかってるんだけどよ……。大袈裟すぎんだろ。慣れねぇっていうか。」
少し照れくさそうに頬を掻くレクスに、「あはは」とレッドが笑う。
そんなレクスに、バモスが歩み寄ると声をかけた。
「レクスの坊主。これを持ってきな。」
「おっちゃん……これは。」
「約束だったろ。ほれ。」
レクスは驚きと共にバモスの持っている籠を見つめる。
中に入っていたのは艶めく色をしたトマトやピーマン、キュウリなどの野菜。
所狭しと大量に野菜や果物が詰め込まれていた。
「……良いのかよ、本当に。」
レクスが申し訳なさそうに尋ねると、バモスは「うむ」と首を縦に振る。
「レクスの坊主と約束したからのぅ。たんと食えば良い。儂からのお土産だ。遠慮すんな。」
にぃぃと歯を出し、笑うバモス。
レクスは籠を受け取ると、頭を下げた。
「……ありがとうな、バモスのおっちゃん。」
「良いってことよ。……本当、大きくなったのぉ。また、帰ってきな。」
「……ああ。もちろんだ。」
ただただその気遣いが嬉しかった。
スキルもないと言われるレクスに、ここまで篤くしてくれる、村人たちの心遣いが。
バモスから貰った籠を下ろすと、小さな人影がレクスに駆け寄る。
はぁはぁと息を切らし、レクスの前に立ったのはカークだった。
「レクスにいちゃん……また、おうとへいっちゃうのか?」
何処か寂しそうな目を浮かべるカークに、レクスは静かに頷いた。
腰を下ろし、レクスはカークと目線を合わせる。
「ああ。カーク。……俺は、王都の学校へいかないといけねぇからよ。……大丈夫だ。また帰って来る。……今度はカレンも、連れて帰ってやっからよ。」
なだめるように優しく眦を下げるレクス。
「……ねえちゃんのこともだけど……レクスにいちゃん。ほかに、たのみが……あるんだ。」
「ん?どうしたカーク。……にいちゃんできることがあったら言ってみろ。」
目を細め、歯を出してにこやかに笑うレクスに、カークは意を決したように、それを声に出した。
「……おれを……にいちゃんのでしにしてくれ。」
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