烈旋
レクスは陽も暮れ始めて薄暗い森の中を、がさがさと音が立つことも気にせず走っていた。
僅かに湿った苔に脚を取られないように、周囲を見渡しながら駆け抜ける。
木々の間に視線を飛ばしながら、レクスは足をひたすらに疾く動かす。
(カーク……マイン……何処だ……!?)
マインを連れているカークが帰って来ない事をコーラルから聞き取ったレクスは、皆で分担し周囲を探す事に決めたのだった。
カークは身勝手にマインを危険にさらすようなことはしないと、レクスはそう信じており、事実やんちゃなことはするが度を超えたことをした記憶はレクスにはない。
村で見当たらないないとすれば、村の外に出ている可能性が高いだろうと思ったレクスは、村の中の捜索をカルティアたちに任せて、魔獣の出る村の外はレクスが探す事にしたのだった。
もちろんレクスだけで村の外を探すのは不可能であり、範囲も広くなってしまう。
だからこそ、空から見える範囲はマリエナに頼みこみ、レクスは空から見えにくい森の中を探しているのだ。
時折聞こえる気味の悪い動物か魔獣かもわからないような叫びが響く森の中。
もしもの時を思い、レクスはローブを羽織り、「デイブレイク」を携えて木々の合間に入り込んでいた。
(……まずいな。陽が落ちてきやがった……!)
レクスは走りながら、ぎりぎりと歯を食いしばる。
夜が深まってしまえば、森の中の視界は完全に絶えてしまうからだ。
それまでにカークを見つけ出さなければ、レクスたちの打つ手は無くなる一方。
焦りを感じながらも、表には出さないようにレクスは耐えていた。
”焦ったら終わりだ。その判断が命取りになる。”
その言葉をレクスは訓練の時、二人の師匠からずっと聞き続けていた。
(焦ったらいけねぇ……か。シルフィ母さんにも、クロウ師匠も全く同じことを言ってたっけな。……それも、そうか。)
レクス自身、言われた言葉をあの迷宮の中で非常に痛感していたのだ。
「時忘れの無限回廊」で培われた経験と技術は、間違いなくレクスの中で芽吹いていた。
走りながらも目を動かし、僅かな音を逃さないように聞き耳を澄ます。
(……危険だが、声を上げるか?魔獣が気づくかもしれねぇけど……。そうすりゃカークたちも気が付くかもしれねぇ……。)
そう思い、足を止めた時だった。
”ガルゥァァァァァァァァァァァ!”
びりびりと肌に伝わる魔獣の咆哮。
レクスは考える暇などなかった。
大きく足を踏み込み、咆哮の聞こえた方へと身体を前進させる。
木に脚をかけ、身体を回し、ただひたすらに進む。
木の間を飛び移るように駆け抜けるレクスには、カークたちのことしか頭になかった。
そして、レクスの目の前で。
「あああああああああああああああ!」
泣きそうになりながら手を拡げ、蹲るマインを守ろうとしているカークの姿を、レクスは捉えた。
カークの前にいる魔獣は赤鬼。
成人男性の腕よりも軽く大きい、深紅の肌をした剛腕はカークに当たればひとたまりもないことは明白。
鋭い爪が、カークを斬り裂かんと振り下ろされた刹那の瞬間、レクスは叫んだ。
「……カーク!伏せろ!」
レクスの声にハッと気が付いたのか、カークはその場にしゃがみ込む。
その一瞬で十分だった。
背中の剣を抜くと、そのままカークと赤鬼の間に身体を滑り込ませる。
迫る剛腕に合わせ、レクスは剣を閃かせた。
刃を返し、燕が飛び上がるような剣先の軌道は、赤鬼の肩から先を軽く斬り抜く。
舞い散る緑色の鮮血が、葉の間から漏れ出る夕陽を反射する。
赤鬼は何が起こったのかわからないように、一瞬その生気の籠もらない眼差しを大きく見開いた。
「……すまねぇ、待たせちまったな。」
安心させるように、レクスはぽつりと呟く。
「レクス……にいちゃん……!」
カークの驚いたような声を聞いたレクスは、少しだけ安堵したように口元を上げて、目を細める。
しかし、安堵したままではいられない。
剣を振った勢いのままに、レクスは目の前の赤鬼の腹を蹴りぬく。
目の前の赤鬼は不意を突かれたのか、よろめいて後退った。
右手に剣を構えたまま、レクスはしゃがみ込む。
「カーク、マイン。無事か?」
「は……はい。ですの……。」
「れ、レクス……にいちゃ……。」
マインは赤鬼に怯えたように竦んでしまったのか、その言葉に快活さはない。
だが、レクスを見て少し安心したのか、こくりと頭を前に倒した。
一方のカークは安心したのか、目元には涙が溜まっており、今にも泣き出しそうだ。
「全く、心配したぞ。……さ、早いこと帰んねぇと皆心配すんぞ。」
レクスはにぃと口元を上げ、二人に顔を向ける。
だがその時、レクスは得も言えぬ感覚をカークの後ろから感じ取っていた。
「に……にいちゃん!もう一体……。」
カークが何か伝えようとしたその時。
レクスは持っていた剣を逆手に瞬時に持ち替える。
立ち上がると同時。
剣の先を殺気の大元へと勢いよく突き込んでいた。
レクスの手に伝わるのは、ぱきりとガラスが砕けるような、そんな感覚。
レクスの剣は寸分違わず、赤鬼の魔核を砕いていた。
そのまま剣を引き抜くと、ドスンと言う衝撃とともに赤鬼は後ろに倒れ込む。
ちらりとレクスは後ろを鋭い眼光で一瞥すると、ふぅとため息を吐いた。
「……邪魔すんじゃねぇよ。」
ぽつりとレクスが呟いた言葉には、カークとマインが黙り込むほどに怒気が籠もっていた。
再びレクスは前に視線を戻す。
そこには右手を失っても、まだ凶暴に歯をむき出しにした赤鬼が、忌々しくレクスを見つめていた。
”ガルゥァァァァァァァァァァァ!”
けたたましい咆哮に、「ひっ!」とレクスの後ろでカークたちが怯えた声を上げる。
だがレクスは動じない。
逆手に持った剣を正面に持ちなおすと、赤鬼に自身の紅い双眸で鋭く睨みつける。
”ガァァァァァァァァァァァ!”
赤鬼が雄叫びを上げ、レクスに向かって太い脚で大地を蹴り抜き、一直線に走る。
レクスもとん、と大地を蹴った。
「レクスにいちゃん!」
カークから見れば、それは無謀な突撃に見えたのだろう。
悲鳴のような叫びを背に、レクスは走りながら剣を寝かせた。
それは、一瞬の出来事。
レクスと赤鬼の姿が交錯する。
レクスが赤鬼の脇をくぐり抜けたその瞬間。
”ガァ……ァァァァァ……”
ドシャリと赤鬼の上半身が崩れ落ち、地面に叩きつけられる。
遅れて下半身もそのまま前に倒れ込んだ。
「……ふぅ。……これで一安心ってとこか。」
レクスは剣を振るって赤鬼の血を飛ばすと、そのまま剣を背中に仕舞う。
レクスは赤鬼の爪が当たるより先に手首を返し、すれ違いざまに剣を曵き切ったのだ。
通常の剣士や冒険者は剣を叩きつけて衝撃と重みで斬るのに対し、レクスは鋭い切れ味を最大限に活かして斬るという別方向のアプローチ。
これも、傭兵ギルドで学びとった技の一つだった。
レクスはくるりと踵を返して振り向き、一瞬で消滅した赤鬼の魔核を拾い取ると、二人に目を向ける。
(……怖がらせちまったかな。)
そう思い、避けられることを覚悟したレクス。
だが、二人の反応は違っていた。
「レクスにいちゃん!」
「レクスさま!」
二人はレクスに駆け寄るとその服をぎゅっと掴み、ひぐひぐと嗚咽を漏らす。
「こわかったぁ……こわかったよぉ……にいちゃ……」
「ふ……ふぇぇええええええん。」
泣き出した二人の頭に、レクスはぽんと手を載せた。
「頑張ったな。二人とも。えらいぞ。」
レクスの優しく語りかける口調に安心したのか、二人は泣き声を大きくする一方。
レクスは口元に安堵の笑みを浮かべながら、しばらく二人の頭を撫で、あやしていた。
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