かぜとともにさりぬ
「キュエン!!」
ドサリと鈍い音とともに、キュエンの身体が緑に生い茂った草むらの上に落ちる。
シルフィは大急ぎで、倒れ込むキュエンに駆け寄った。
どくどくと肩と腹部から流れ落ちるおびただしいほどの流血は、緑の草を一瞬で真っ紅に染め上げている。
シルフィはキュエンの傍で屈み込むと、キュエンの上体を抱え上げた。
既にキュエンの目は虚ろに揺れ動いている。
明らかに致死量を超えた腹部からの出血に、シルフィの顔は一気に青褪める。
死ぬのも「時間の問題」とシルフィにははっきりと突きつけられたようだった。
「おい……!キュエン!しっかりしろ!」
「ごめ……しる……ふぃ……。」
シルフィの声にも、朧げにしか返さないキュエン。
そのいつも明るかった黄色い目は既に濁りかかっていた。
想像を超えた痛みを感じているはずのキュエンだが、力が入らないのか腕を動かす様子もない。
そんな中でひゅんひゅんと風を切り裂く音が聞こえ、シルフィはとっさにギルバートを見る。
ギルバートは嘲るように笑いながら、自身の剣を振り回していた。
その剣は、普通の剣ではない。
肉厚の刃が幾重にも分かれ、ロープのようなもので連結されたその剣は、まるで鞭が蛇のように撓るが如く長く伸びていた。
蛇腹剣。
パーティの名前にもなっているこの剣を軽々と器用に扱うギルバートは、伊達にSランクを名乗っていない。
今の自分では、到底敵わない。
シルフィはそう、感じとった。
普通の戦士ならば使いにくいであろう異形の剣を振りながら、ギルバートはシルフィに向けてせせら笑う。
「あっはっはぁ。残念だったね。君たちがいつ攻撃しようと、俺はいつでも反撃できたの。」
「この……下衆が!それほどの力がありながら、お前は……何故だ!」
怒りに満ちた眼でシルフィはギルバートを睨みつけるが、当のギルバートはどこ吹く風。
余裕を見せつけるように、蛇腹剣を縮めたかと思うと、ふぅとため息を吐いた。
「当たり前だよ。その方が楽に金を稼げるからさ。俺はSランクの冒険者だよ?ギルドマスターでさえ、俺のやったことは信じないだろうし。楽に金を稼いで楽しく生きる。至極当たり前のことじゃん。」
「き……っさまぁぁぁぁぁぁ!」
シルフィが唇から血が滲むほどに噛み締め、吼える。
その眦からは、とめどなく涙が伝っていた。
悔しかった。
昨日まで当たり前だった景色が呆気なく蹂躙される様が。
眼前の醜悪な悪鬼に、報いることも出来ない己が。
今目の前から消えゆく命の光を、ただ眺めていることしか出来ない自分が。
それほどまでに、キュエンの存在がシルフィを変えていたことに、今、この時までシルフィは気が付かなかったことが。
ザッザッザッっとシルフィの周りから音が響く。
見なくても、シルフィにはそれが誰かが分かっていた。
「オカシラぁ!早いことヤリましょうぜ!」
「そうよぉ!そのエルフの泣き叫ぶ顔も堪能出来たものぉ!」
響く声は、「鉄の蛇」のパーティメンバー。
嘲るように、可笑しそうに嗤う声は、シルフィにとって限りなく耳障りに聞こえていた。
(この……下衆共がぁ……!)
シルフィの心が、黒い泥炭のような憎しみに染まる。
「エルフの君は大人しく抵抗しないでくれよ。売り物に傷を付けたくないからさ。……ま、味見くらいはさせて貰うけどね。」
にたついた笑みに、シルフィは我慢の限界だった。
(お前たちに汚されるくらいなら……せめて一太刀浴びせて死んでくれよう……!)
シルフィが剣を握りしめようとしたその時。
「しる……ふぃ……。」
「キュエン!?」
キュエンの弱々しい、掠れた声がシルフィの耳に届く。
急いでキュエンに目を向けるシルフィの目に映ったのは、目の焦点が合わないながらも微笑みを浮かべたキュエンの顔。
紫色に染まりゆく唇が、ゆっくりと動いた。
「あり……がと……。」
「もういい。喋るな……!」
「……い……き……て……。しる……ふぃ……。」
「キュエン……!おい……!……私を置いていくな、莫迦者が……!」
微笑んだキュエンの顔に、大粒の雫が滴る。
瞬間。
キュエンの身体がぽぅ、と微かに光った。
その光はすぐに収まったかと思えば、力の失いつつある瞳をシルフィに向ける。
「……に……げ…………て。」
「おい!キュエン…!キュエン……!」
声をかけ続けるシルフィを嘲笑うかのように、ギルバートたちはすたすたと血に染まった大地を踏みしめながら近寄る。
その足音には躊躇いなど一切シルフィには感じることができなかった。
物言わぬキュエンの頭を膝に乗せ、シルフィは奥歯を噛み締めながらぽたぽたとキュエンの額に雫を落とす。
ギルバートたちはシルフィを囲うように、意地汚い笑みを浮かべて立ち止まった。
「残念だよ。その女の子も可愛かったんだけど、仕方ないよね。そんな価値の無いものは放っといて、俺たちに従うんだ。君も死にたくは無いだろう?さもなくば……。」
ギルバートが口に出した、その時だった。
”ドドドド”という揺れが、シルフィたちを震わせる。
何か大きなものが向かってきているような地響きだ。
「な、何だ!?」
”ガゥゥゥゥゥゥゥゥ!”
”キェェェェェェェェン!”
ギルバートが驚きで目の色を変えた途端、魔獣たちの咆哮が四方八方から響き渡る。
はっとしたシルフィが上を見ると、上空を飛び回る擬飛竜の群れが旋回している様子が伺えた。
瞬時にシルフィは、キュエンのスキルを思い出す。
「誘引」。
人以外のものを引き寄せるスキルで、キュエンはこれに困りはてていた迷惑なスキル。
それを、最大に引き上げて使ったのだと。
囲んだギルバートたちは急いで辺りを見渡すと、ぞろぞろと森の中から魔獣たちが姿を現し始めていた。
「な、なんだなんだ!?どーなってやがる!?」
「お、オカシラぁ。ヤバいですよ……!?」
鉄の蛇の部下たちは突然の事態に、視線をギルバートに飛ばしていた。
ギルバートもおろおろと周囲を見渡すが、魔獣はずらずらと次から次へと現れ、森の中からその数を増やしていく。
到底、冒険者が対応出来るような数ではない。
「……すまんな。……キュエン。」
シルフィはキュエンの頭を地面に優しく下ろすと、素早く腰を上げて立ち上がる。
キュエンが最後の力を振り絞った突破口を、シルフィは無駄にするわけにはいかないのだから。
ちらりと足元に横たわるキュエンを目に入れる。
見るも無惨な状態ではあるが、その口元は上がり、何処かやりきったように微笑んでいるようにも見えた。
「……キュエン。……さよならだ。」
ぽつりと呟いたシルフィは、腿に力を込める。
悲しむ暇すらない。
シルフィが逃げ出せるのは、ギルバートたちが混乱し始めた今しかないのだから。
シルフィの脳裏に思い出されるのは、旅を共にした記憶。
キュエンの馬鹿に付き合った記憶。
宿屋で語り合った記憶。
それらを抱え、一点を見据えた。
『……い……き……て……。』
(ああ。わかっているとも。……それが、お前の望みなら。)
ふぅ、と息を吐いた。
(……エアエンハンス。)
シルフィは心の内で呪文を唱える。
エルフやサキュバスは、魔法の扱いに長けた種族であるが故に、ある程度習熟すれば口で呪文を唱える必要など無い。
魔法の媒体すら要らないのだ。
シルフィの足元に、ひゅるりと涼やかな風が纏わりつく。
”ドン”と、大地を蹴りぬいた。
その衝撃の勢いと風の魔術で、シルフィの身体は高く跳び上がる。
「おい、どこへ行く!」
耳に入るは、ギルバートの焦ったような声。
シルフィは気にも留めず、ギルバートたちの上を飛び越えると、すぐさま駆け出した。
キュエンを置き去りにしてしまうことだけが気掛かりだが、シルフィは悲しみを呑み込むように森へと駆け出した。
「……キュエン。」
最期の望みを聞き届けたシルフィの頬には雨が降りしきる。
嗚咽とともにぽつりと漏れ出た言葉は、森の音に掻き消えた。
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