成長と驚愕
シルフィは嬉しそうなため息を吐くと、ゆっくりレクスに歩み寄る。
レクスも振り抜いた剣を下ろすと、緊張の糸を切ったように息を吐いた。
「……よくやったな。レクス。よもやお前に負ける時が来るとは。……強く、なったな。」
「ああ。……俺だって色んな人に教えて貰ってんだ。俺だけの力じゃねぇよ。」
「謙遜するな。お前は十分に強いさ。胸を張れ、レクス。」
シルフィの言葉に、思わずにやけるレクス。
そんなレクスを見て、シルフィもつられたように微笑む。
だが、シルフィは内心驚いていた。
(……まさか、私が負けるとはな。全力でいったつもりだったが。魔法は使っていないとはいえ、私の腕が衰えたか?……いや、違うだろうな。)
レクスを見つめ、自身の衰えをシルフィは否定する。
シルフィ自身も名うての元冒険者であり、修練は欠かした覚えもない。
エルフであるが故、修練した時間も人間の比ではない。
それどころか村に襲来する魔獣の駆除も行なっているシルフィに、勘の鈍りなどあるはずもないのだ。
(レクスの動きが……村を出る前とはまるで別人だ。一体どういうわけだ?)
レクスが村を出る前に模擬戦を行なった時はレクスの動きにここまでの精細さはなかったのだ。
しかし今では、動きが全く違う。
元々アクロバットを多用するように戦っていたレクスの動きが洗練されたそれに変わっていた。
まるで、数十年も熟成させた戦士のそれ。
普通の修練や教科書的訓練でを数カ月続けただけでは、スキルもないと言われたレクスが辿り着くはずのない領域。
シルフィはそう思っていたのだから。
「……しかし、驚いたぞ。あれほどの動きが出来るんだ。いつも鍛えているのか?」
僅かに怪訝な顔で何気なく聞いた質問に、レクスは首を振る。
「いいや。修練してるのは傭兵の依頼がない時だけだ。依頼も結構時間がかかるからよ。」
「そうなのか?お前の強さは一朝一夕では身につかないものだと思ったのだが。……傭兵の依頼とはどういったものを受けているんだ?」
「冒険者ギルドとそう変わんねぇって聞いた。例えば……。」
レクスは少し顎に手を当てて考え始める。
シルフィが想像していた冒険者の依頼は、「魔獣の討伐」であり、それも少数を相手取るものだと考えていた。
それらは低ランクの冒険者でも十分にこなせるものであり、学生の小遣い稼ぎにはちょうどよいものだからだ。
そういった依頼で生活を立てる冒険者も、シルフィは知り得ていた。
しかし、レクスの口から語られた言葉に、シルフィは絶句することになる。
「小鬼二十五匹の巣穴討滅とか、擬飛竜の討伐だ。」
シルフィは目を見張る。
「何だと!?お前はそんなものを受けているのか!?」
あまりの衝撃に、シルフィは大声を上げた。
その変わりように、レクスもぎょっとしたように仰け反る。
それは、単独の冒険者にとって自殺行為にも等しい依頼だからだ。
基本的に冒険者が単独で討伐ができない擬飛竜や複数体の対応なら数の暴力で蹂躙される小鬼。
シルフィでさえそういったものは手こずるであろうものばかりで、耳を疑ったのだ。
驚愕しているシルフィに、レクスはコクンとおそるおそる頷いた。
「あ、ああ。……そんな驚くことなのか?傭兵ギルドの依頼はこれが普通だぞ?」
「……考えられん。私の知っている依頼とは危険度があまりにも違い過ぎる。……お前が生きているのが不思議なくらいだ。」
「そ、そんなになのか?冒険者ギルドでもこのくらいが普通だと思ってたけどよ……。」
事の重大さを分かっていないレクスに、シルフィは手を顔に当ててため息を吐いた。
「……レッドやマオには言うな。お前のしている依頼は冒険者ギルドの依頼ではかなり上位に値するレベルだ。二人が聞いたら失神するかもしれん。」
「そうなのか……俺は普通だと思ってたぞ……。」
納得いっていなさそうに首を傾げるレクスに、シルフィは絶句するほかなかった。
(バカな……。冒険者ですら躊躇するような依頼を単独でこなせる腕だと……?だが、先ほどのレクスの腕前を見れば、分からんことはない。しかし……。)
シルフィはちらりとレクスに目をやる。
その強さの出どころが、シルフィには分からなかったからだ。
「……傭兵ギルドは、お前のような強さのものがわんさかいるというのか?」
シルフィの問いかけに、レクスは嘆息しながら首を振った。
「いいや、違ぇよ。俺は傭兵ギルドの中でもかなり下の方だ。……いつも傭兵の先輩に、模擬戦で負けてばっかだからよ。」
「……お前よりも強い奴が、そこにわんさかいるということか。ははははっ……世界は、私の思った以上に広いのかも知れんな。長年生きてみるものだ。」
シルフィの口から、乾いた笑いが漏れ出ていた。
シルフィ自身、傭兵と関わったことは今までない。
しかしレクスの口から聞くことで、その組織の異常性と強さが垣間見えた気がしたのだから。
(レクスの強さを傭兵の誰かが見初めたのか、はたまたレクスがいきなり強くなったのか……。前者はともかく、後者は考えにくい。スキルも何も持っていないんだ。悠久の時の中で剣を振るったなら、話は変わるだろうがな。)
すると、レクスがシルフィの目を、紅玉ような目で憂いを持ったように、じぃっと見つめていた。
そして、意を決したように口を開く。
「なぁ、シルフィ母さん。……聞きてぇことがある。」
その静かだが真面目な雰囲気に、シルフィも真っ直ぐ視線を返した。
「……どうしたレクス?改まって。……何が聞きたい?」
「シルフィ母さんは……奴隷、だったのか?」
レクスが放ったその質問に、シルフィは観念したように目を伏せる。
シルフィ自身、「もしかしたら」という気もしていたのだ。
目をゆっくりと開き、レクスを見つめるシルフィ。
レクスもただ黙ってシルフィを見返すのみ。
ゆっくりと、口を開いた。
「……まあ、な。お前の言う通りだ。……私は、十五年前までは奴隷だった。この耳が、その名残りだ。」
シルフィがひらり、と。
翡翠がまるで糸になったかのような美しい髪の左側をかき上げる。
レクスは目を見開いた。
エルフの特徴の一つである長い耳。
シルフィの左耳は、半分に切り取られたように短くなっていたのだから。
「……お前には、話しておかねばならんのかも知れんな。」
真っ直ぐ見つめ通すようなシルフィの瞳に、レクスはゴクリと唾を呑み込んだ。
それは、忘れたくても忘れられない、心を許した友との永遠の別れ。
そして、友との約束を忘れぬための、墓標。
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