子は子
「……レッド。私は……あなたにずっと会いたかったのよ。」
シアンはぽつりと、しかしレッドに向けて言葉を口に出す。
そんなシアンにレッドは難しい表情を浮かべながら目線を返した。
「なんだよ……母さんまで。」
「あなたが家を出て行った後、私たちはそこまで深刻には思っていなかった。どうせ諦めてすぐに帰って来るだろう……そう思っていたの。貴族の暮らししかしたことのないあなたが耐えられる訳がない……そう思って。」
シアンはふぅとため息を溢し、眉を悲しげに落としてレッドを見つめた。
口を一瞬噛み締めるように噤むと、シアンはぎゅっと手を握り締める。
そして、ゆっくりと再び口を開いた。
「でも、あなたは帰ってこなかった。何日経っても。何ヶ月経っても。とても、心配だった。あなたが変わり果てた姿で帰ってくるんじゃないか……そう思って。あなたが何処かで野垂れ死んでいる……そんな夢を何度も見たものよ。」
「母……さん。」
シアンの呟くような、感情を孕む声にレッドは押し黙る。
その気持ちはレッドも味わったことがあるものだからだ。
レクスとクオンが家を出たその時から、ずっと心に覗いていたその感情。
レッドにとって、全く同じだった。
「何度も「冒険者に頼って連れ戻そう」と私は言ったわ。……でも、この人はそれを頑なに拒否したの。何度言っても、「その必要は無い」の一点張りだった。……薄情だと幾度となく思ったことか。だからある時に聞いたのよ。「レッドが心配じゃないのか」って。」
「……父さんは、何て?」
「「レッドの選んだ道だ。連れ戻さずともいい。責任は儂にある。」……その一言だったわ。正直、気が狂ったんじゃないかと思ったものよ……でもね。違ったの。」
ぽつりと出た母の一言に、レッドはゴクリと息を呑む。
ブラックの言葉は自身を突き放したようにも聞こえる言葉。
シアンの次の言葉を、レッドは待った。
「……この人は、レッドを心配していない訳じゃなかったの。あなたの選んだ道を、尊重しようとしていたわ。……あの後、マオさんとの結婚も認めていたほどだもの。」
「父さんが?……嘘だろ。あれほど反対していたじゃないか……。」
レッドの脳裏に、ブラックの元へマオを連れて行ったときの光景が思い浮かぶ。
あの時、レッドはブラックに散々結婚を反対されたことは、今でも忘れることができなかったからだ。
「……いいや、本当だ。家督はバーミリオンが継いだが、万が一お前が王都に帰って来たとき、帰る場所がないのは困るだろう。……その心配は今はないようだがな。」
「父さんが……僕を認めていたってことかい?」
ぽつりぽつりと紡がれる言葉に、レッドは驚くことしかできなかった。
ブラックは頬の深い皺を撫でるように掻く。
「……それとこれとは話が違うがな。だが、お前の息子からお前の居場所と無事を聞いたときは嬉しかったよ。お前が生きていて、また会えると。そう思ったのだからな。」
レッドには、その言葉が父親の口から出たことが信じられなかった。
呆気に取られたような表情で、ブラックの次の言葉を待つ。
「少なくとも、親として子の幸せを願わぬ者は貴族として失格だと思うだけだ。……それに、お前は曲がりなりにも気高くなっていると儂は思ったよ。この診療所が、お前の誇りの証だろう?」
「……父…さん。」
レッドは初めて見る父親の姿に、眦が熱を持つ。
そんなレッドを、ブラックは深いため息を吐きながら見据えた。
紅い瞳は、潤んだせいかゆらゆらと水面のように揺らめいて見えている。
「……立派になったな、レッド。」
「……あ、あり…がと…父……さん…。」
耐えきれなくなったのか、レッドは目頭を押さえた。
その言葉は、無意識にレッドが聞きたかった父親の言葉なのだから。
そんな二人を眺め、シアンは手で口元を隠しながらも、目を細めくすくすと微笑んでいる。
「変わらないものね……。あなたも、レッドも、レクスちゃんも。」
「……そんなものか?」
「ええ。みんな仕草が一緒だもの。あなたもレッドもレクスちゃんもしっかり血筋ね。」
ころころと嬉しそうに微笑むシアンに、ブラックは僅かながらも怪訝な顔で首を傾げる。
一方のレッドは、その頬にうっすらと雫が伝っていた。
ブラックはふぅと息を吐きつつ、レッドを見据えて口を開く。
「……後で改めて儂に紹介をしてくれ、レッド。お前の家族は儂にとっても家族なのだ。お前が家を捨てたからといっても、それは変わらんからな。」
ブラックの言葉にレッドは顔を上げ、白衣の裾でごしごしと目を拭う。
そして、「ああ」と頭を縦に振って首肯した。
「もちろんだとも。……僕の大切な家族たちだ。後で改めて父さんと母さんに紹介するさ。僕の、とても大事な家族をね。」
はははっと少し照れたように口を上げて頬を掻くレッド。
ブラックは充足したようににぃっと歯を出して笑う。
そんな三人を見守るように、窓際の観葉植物が陽光を浴びて輝いていた。
「……しかし、不思議なものだな。」
ぽつりとブラックが呟いた言葉に、レッドは首を捻る。
「どうしたんだい?父さん。」
「……王都で初めて、お前の息子と出会った。その息子にバーミリオンの息子は助けてもらったとな。初めて見たときは、お前にそっくりだと思ったものだ。全く……縁とは奇天烈なものだと思ってな。」
「ええ。レクスちゃんはまるで私たちとレッドを再び繋いでくれたように思うわ。……不思議なものよね。」
「連れていた娘たちも一癖二癖ある娘たちだ。……お前に似たのか?レッド?」
しみじみと語るような二人に、レッドは口元を上げてにぃっと微笑む。
「そりゃそうだよ、父さん、母さん。なんたってレクスは……。」
レッドの言葉は、どことなく自慢するような浮ついた声。
「自慢の息子だからね。」
その言葉に、ブラックもシアンもにこやかな笑みを浮かべ、おおいに頷いていた。
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