父と父
「父さん、母さん。ここが……僕の診療室だ。」
レッドはブラックとシアンを連れて、診療室の木でできた簡素な扉を開ける。
扉を開けると、木造で簡易なベッドと机が備え付けられた陽の射し込む部屋がブラックとシアンを出迎えた。
酒や薬品の並んだ木の棚や、窓際の観葉植物。
簡素だが何処か暖かみのある室内の様子を、興味深くブラックたちはぐるりと見渡していた。
レッドが診察室に入ると、ブラックとシアンを中へと手招きする。
「父さん、母さん……二人とも、そこに座ってくれ。」
レッドは自身が使う机の椅子に近寄ると、くるりと振り返り、二人を見て診察するためのベッドを指し示した。
ブラックとシアンは静かに頷くと、レッドのいうように静かに室内に入り、ベッドに腰掛ける。
自身も椅子に腰を下ろすと、ふぅと深呼吸をしたレッド。
緊張したように拳を握り、力を抜く。
深呼吸を二回繰り返すと、改めて二人を見つめた。
ブラックとシアンもレッドをまじまじと見つめ返す。
しんとした室内で、先に口を開いたのはレッドの方だった。
「……父さん、母さん。ここへはどうやって来たんだ?」
「うちの所有している馬車だ。道中はレクスたちに護衛を頼んだよ。」
「……そうか。家からは父さんと母さんだけかい?バーミリオンは?」
「孫も一緒だ。せっかく遠出をするのだからな。バーミリオンは執務だ。」
ブラックの淡々とした答えが診療室に響く。
レッドは気まずい様子で、ブラックから顔を背けた。
「……なんで。」
レッドの口から、ため息のように言葉が漏れ出た。
しかしブラックは、レッドを静かに見つめ続けている。それは妻のシアンも同様だった。
「……なんで来たんだよ。」
「……息子の顔が見たかった。それだけでは駄目か?」
淡々と語るブラック。
レッドはその言葉に顔を俯かせた。
「なんで……!なんでなんだよ、父さん!母さんも!僕は……僕はヴェルサーレ家を捨てた人間だ!勝手に家を出て、勝手に暮らしてるだけの貴族の責任から逃げた人間だ!……僕のところに来る必要は無いじゃないか。……今さら、何なんだよ……。」
レッドは声を荒げる。
レッドにとって、ヴェルサーレ家からは逃げ出した存在。
そんなレッドは父親に何を言われるのか、怖かったのだ。
そんなレッドをシアンは悲しそうに見つめる一方で、ブラックはふぅと目を伏せ、ため息を吐いた。
まくしたてるように、レッドは続ける。
「僕は……僕は今、マオとシルフィ、二人の大切な人と暮らしてる!今さらヴェルサーレ家に戻って来いって言われても僕には出来ない!無責任な息子とでも軽蔑すればいいさ!長兄の家督をほっぽらかして自分のやりたいことをしてる僕に、父さんたちは今さら何の用があるって言うんだ!」
次々と放たれるレッドの言葉を、ブラックは受け入れるように、目を伏せて聞き入っていた。
「……レッド。……すまなかったな。」
レッドがまくしたてた後、ぽろりとブラックが溢した言葉。
それに気が付いてかレッドは顔を上げた。
レッドの眼前にあるブラックの顔はレッドが若いときに見た厳しい父親の顔ではない。
皺や白髪が増え、年相応に老け込んだ父親の顔。
何処か家出をする前に見た、父親の姿よりも小さく見えてしまっていたから。
「……父、さん?」
伏せていた眼をゆっくりと開き、ブラックはレッドに目を合わせた。
その眦は何処か潤んだようにも見えていた。
「レッド。儂は……臆病者だ。」
父親の放ったその言葉に、レッドは目を大きく見開いた。
信じられなかったのだ。
レッドが見てきた父親の発言とは、思えなかった。
「……儂も、お前に会うことが怖かったのだ。笑われるのは、儂の方かもしれん。」
「……父さん。それは……。」
「儂は、ずっと立派な貴族でなければいけないと思い込んでいたのだ。……高潔な精神を持ち、正しきことを押し進め、無理なものは矯正する……それが責務だとな。」
肩を落としたように語るブラック。
ぽつりぽつりと放たれる言葉に、レッドは息を忘れて聞き入っていた。
「だから、息子であるお前に儂の思いを継がせようと躍起になった。儂の考えを押し付けようとしていたのかもしれん。……その結果、お前が家を出て行くことになってしまった……。」
項垂れるブラックの言葉が、診察室に寂しそうに響く。
黙っていられなかったのは……レッドだった。
「……そんなことはないだろ!……これは、僕の問題だ!父さんは……悪くない!悪いのは僕だろう!?」
レッドは立ち上がり、声を荒げる。
その声に項垂れていたブラックは顔を上げてレッドを見た。
歯を食いしばって耐えているようなレッド。
しかし、その眦は今にも泣き出しそうに赤く腫れ上がっていた。
「僕は、父さんの思いを十分わかっていたよ!父さんは……僕の誇りだった!でも……僕は僕の夢とマオのためにヴェルサーレ家を捨てたどうしようもない人間だ!……父さんに向ける顔が無いのは、僕の方だ。全ての責務をほっぽり出して……好きに生きようとした僕は、恨まれて当然じゃないか……!」
「……レッド。お前は……。」
感情の奔流のように言葉を垂れ流すレッドに、ブラックはその赤い瞳を丸くして見つめ返した。
そうして言葉を吐き出した後、とんと椅子に落ちるように座り込むレッド。
しんとした無音が、部屋を支配する。
そんな静寂を破ったのは、今まで聞くことに徹していたシアンだった。
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