ただいま
目の当たりにした光景に、レッドは目を見開き開いた口が塞がらない。
ただただ自身の父親がいることに、レッドは立ちすくむ他なかった。
それも当然のことだろう。
家出したのは十数年も前であり、音沙汰もなかった父親が訪ねてきたのだから。
すると、理解の追いつかないレッドの後ろから、とたとたと急くように、木をきしませながら足音が響く。
「どうしたのーレッドー?……まぁ!あらあらー。おかえりーレクスー。」
レッドの側からひょこりと顔をのぞかせたマオはレクスをみるなり嬉しそうに微笑む。
「ああ。ただいま、母さん。……悪ぃ、ちょっと人数が多いけどよ。」
元気そうな母の顔に安堵したように口元を上げてにこりと微笑むレクス。
マオも合わせてにこやかに笑うと、ふるふると首を振った。
「いいのよー。こんなに大人数で帰って来てくれて嬉しいわー。疲れたでしょうー?早く上がってー。」
変わらないぽわぽわとした笑みにレクスは嬉しさから口元をほころばせ、こくんと頷く。
そんなマオを見て、四人の女子たちは少し目を丸くしていた。
「レクスさんのお母様……すごく若く見えますわね。」
「…二十くらい?…そんな訳はない。」
「おかあさんと比べても若く見えるんだけど……。」
「……若いのもあるですが、どことなくレクス様の好みがわかったような気がするです。」
学生服を着ていたとしても通用しそうなその外見と、大きく張り出した胸元に優しげな微笑み。
マオの姿に、女子たちは目を丸くしていたのだ。
女子たちの目線に気が付いたマオはくすりと口元を上げてレクスにちょいちょいと手招きした。
レクスも手招きに合わせ、マオに寄る。
「お嫁さん、いっぱい連れて帰ったのねー。おかあさん嬉しいわー。」
「かっ、母さん!?……ま、まだ違ぇよ……。」
頬を紅く染めて否定するレクスを、マオは変わらずに微笑みながら見つめていた。
そんないつも目を細く開けているマオの眼が、妖しく半分ほど開き、オレンジの目線をレクスに向ける。
何かを感じ取ったのだとレクスには気がついていた。
「あらあらー。隠さなくてもいいのよー。……あとで皆を紹介してねー?……わたしの義娘になるんですものー。」
「……はい。」
何を言っても無駄だと観念したレクスはため息を溢しながら渋々頷くしかなかった。
そんなマオは満足そうな顔を浮かべながら、レクスたちを手招きする。
「レッドー。そこにいちゃお邪魔でしょー?皆に入ってもらわないとー。……せっかくレクスも帰って来てくれたんだものー。」
「……マオ、でも……。」
「ふふふー。いいのよー。暑い中で立ちっぱなしもいけないものー。…わたしに、任せておいてー。」
レッドがマオに振り向き、どことなく不安を浮かべるように目元を細める。
しかしマオは譲る気などないようにレッドの腕を引いた。
そうして、レクスたちを眺めて嬉しそうに微笑む。
「みんなー。狭いけど入ってちょうだーい。」
浮足立ったマオの一言を皮切りに、レクスたちは診療所の中へと足を踏み入れた。
◆
変色した木のフローリングを踏む、多くのこんこんという硬い音が診療所に響き、シルフィは顔を上げる。
レッドを気にしてマオが玄関へと向かって行くことは見えていた。
何かあれば呼ぶだろうとシルフィは高をくくってレッドのもとには行っていない。
シルフィが紅茶に口を付けたそのときだった。
「さー、みんな好きなところに座ってねー。お茶を用意するわー。」
嬉しそうなマオの声が響き、シルフィは首を傾げる。
(何だ……?誰か患者ではないのか……?)
そうしてマオとレッドの姿が見えた途端に、シルフィは目をくわっと見開いた。
マオに引かれるレッドの後ろにいたのは、レクス。
そしてレクスに付き従うような可憐な女子たちと、老夫婦、そしてレクスと同じくらいの男子と十にも満たないような少女。
呆気に取られ、シルフィはカップをテーブルの上にこつんと音を立てて置くと、ゆっくり立ち上がる。
シルフィがレクスの姿を眼に映すと、レクスは苦笑しながらシルフィに目を合わせた。
「……レクス?これは……?」
「ただいま、シルフィ母さん。……後で説明させてくれ……。」
「まさかマオの言ったとおりになるとはな……。」
頭を押さえふぅとため息を吐きながら、シルフィは天井を仰いだ。
◆
全員が座ったダイニングはテーブルを囲うことができないほどに人が溢れていた。
シルフィはその多さに少し顔を引き攣らせる。
側に座っていたレッドは固い、後ろめたいような表情で老紳士を見つめている。
そんなレッドを見たことがなかったシルフィは、小さく呟くように声をかけた。
「……どうしたんだ、レッド?あの人は……。」
「……後で紹介するよ。……でも、心の整理だけはさせて欲しいんだ、シルフィ。」
「そうか。……ならば、今は深く聞かん。」
「……ありがとう。シルフィ。」
「よせ。私はお前の妻なのだ。このくらい当然だろう?」
レクスに付き従う四人の少女にレクスと同じくらいの年齢でよく顔の似た男子。年端もいかない少女といかない顔を浮かべた老紳士にその妻と思しき老婦人。
そして肩身が狭くして苦笑するレクスは、どうしていいかわからないように視線を彷徨わせていた。
えもいえぬ空気感が診療所内を支配している。
そんな空気を打ち壊すように、マオの声が響いた。
「おまたせ~。レクスがいっぱい連れて帰るから、少しお茶の用意に手間取っちゃったわー。」
上機嫌な声とともに、ぱたぱたとスリッパの足音を立ててマオがレクスの側まで歩いてくる。
ティーカップの乗った丸盆からは、白い湯気が立っていた。
「す、すまねぇ、母さん……。」
「うふふー。いいのよー。お母さん、嬉しくて張り切っちゃったわー。」
少しバツの悪そうに顔を上げるレクスに、マオは優しげに笑みを漏らすと、レクスの前に紅茶の入ったカップを置く。
そのカップはいつもレクスが使っていた、レクスお気に入りの赤いカップだ。
レクスにカップを手渡した後も、マオはそれぞれの前にカップを置いていく。
最早その光景は、シルフィにとってレクスの帰省というより何かの会合にも思えてしまう。
そんな中、えもいえぬ空気が場を支配していたが、顔を上げ、覚悟を決めたようにレッドが口火を切った。
「……父さん、母さん。……僕の診察室に案内するよ。……そこで、話がしたい。」
レッドの眼は真っ直ぐブレることなく、ブラックの方へと注がれていた。
レッドの言葉を聞くや否や、ブラックは静かにこくんと頷く。
「……わかった。お前のことも聞きたいと思っていたところだ。……行こうか、シアン。」
「ええ、あなた。レッド、今までのあなたのことをきちんと聞かせてちょうだいね。」
老紳士……ブラックが隣の老婦人にちらりと目を向ける。
老婦人は静かに首肯した後、真っ直ぐレッドを見返しながらも少し口元を緩めていた。
そうしてレッドがぎぃっと椅子を引き立ち上がると、ブラックと老婦人も合わせて立ち上がる。
「父さん、母さん……こっちだよ。」
レッドの手招きに応じるように、ブラックは老婦人の手を取ってレッドのもとに歩み寄る。
そのブラックの瞳は少し険しいようだがその口元は僅かに震えていた。
レッドに連れられてブラックと老婦人が移動すると、なんとも言えない静寂が満ちる。
そんな若干気まずい空気の中で、カップの紅茶にレクスがそっと口を付けた時だった。
にこりとやわらかな笑みを浮かべていたマオが口を開く。
「それでレクスー?皆を紹介してくれないかしらー?おかあさん、ずっと気になっちゃっているのよー。誰がレクスのお嫁さんなのかしらー?」
レクスが危惧していた質問が遂にマオの口から出たことに、レクスははぁと深いため息をついた。
マオもだが、シルフィもじぃっとレクスを見つめ、次の言葉を待っている。
観念したように、口を開いた。
「……話せば、長くなるけどよ。」
そう話すレクスの頬は、照れたように朱に染まっていた。
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