第8−2話
レクスは軋む身体でどうにか立ち上がると、自身が放り投げた背嚢へふらふらと向かう。
歩いているのも割と辛いレクスだったが、ようやく背嚢へたどり着いた。
背嚢の傍で、剣と拳銃を手離す。
カシャンと音がして剣と拳銃が地面に落ちるが、レクスもふらふらと倒れ込んだ。
「はぁ…きっつい。」
レクスはそう呟き、倒れたまま背嚢を手繰り寄せる。
どうにか背嚢を開け、中から袋を取り出した。
レッドに貰った薬品の袋だ。
袋の中をまさぐると、手に4つほどの小瓶が当たる。
袋の中は濡れておらず、瓶の欠片なども手に当たらなかったことから、激しく扱っても奇跡的に割れていなかったらしい。
レクスは一つの小瓶を取り出すと、コルク栓を開け中身の緑色をした液体を喉に流し込んだ。
流し込んだ瞬間に、身体の奥底が熱くなり、灼けるような熱さがレクスの全身を駆け巡った。
「がぁっ…はぁ…はぁ。さすが親父とシルフィ母さん謹製の薬。…すげぇな。」
レクスの全身から熱さが一気に抜けると、レクスの身体の痛みがすっかり消えていた。
レクスはゆっくりと立ち上がってみるが、痛みは何処にも感じない。
「…この薬作るのすげぇ大変だったろうな。材料も多分希少な奴だろこれ。…感謝、しなきゃな。」
レクスはレッドやマオ、シルフィの顔を思い浮かべながら、背嚢を背負い直す。
落とした拳銃と剣も拾い上げ、それぞれを収納する。
ふぅと息をついたレクスは、装飾のついた箱の方に向き直った。
(今度は何が入ってるんだ…?ま、貰えるものは貰っとくか。)
そんな考えでレクスは箱の方に近寄り、箱の前に腰を下ろした。
魔導拳銃の入っていた箱と比べれば、箱は少し小さいようにレクスは感じた。
そうしてレクスは両手で箱の蓋を持つと、そのまま開く。
レクスは箱の中のものを見るや、怪訝そうな顔を浮かべた。
「…何だこれ?武器…じゃないよな絶対。」
レクスは訝しみながらも、その中のものを取り出す。
形は円形で直径は握り拳大の金属製の物体だ。
物体の前面には雄牛のマークが刻印されている。
輪っかがその物体の側面に一つだけ、何やら小さな押しボタンと共に付いており、輪っかには金属製のチェーンが通っていた。
見ようによってはブローチに見えなくもない。
何気なくレクスは側面のボタンを押す。
すると物体の表面が下にパカっと開いた。
「あぁ…時計かこれ。…時間止まってっけど。」
レクスが手に持ったものは懐中時計だった。
短い針と長い針、細い針が中央から放射状に1本づつ伸び、1から12まである円形の文字盤のうち、3本とも12を指し示しているシンプルな時計。
レクスは何回かボタンを押してみるが、何も起こらない。
時計の針すらピクリとも動かない。
時計をぐるりと見回してみるも、他にボタンや開ける場所など、レクスには見当たらなかった。
時刻を合わせる螺子すら見当たらない。
どうやら蓋を開閉するだけのボタンのようにレクスは感じた。
ふぅと息を吐き、軽く眼を瞑りながら、レクスは懐中時計の蓋をパチンと閉める。
そうして、手にした懐中時計をぼんやりと見つめる。
「…死ぬ気で戦って、壊れた時計か。ま、王都なら直せんだろ。丁度時計なんてもん持ってなかったしな。」
そう呟き、レクスは自身のポケットに懐中時計を忍ばせる。
ついでに牛頭鬼の魔核も拾い上げた。
レクスは首と肩をコキコキと鳴らし、ゆっくり立ち上がる。
その目線の先には、牛頭鬼を斃した後に出現した扉が悠然と佇んでいた。
レクスは扉に向かい、真っ直ぐ歩き出す。
(さて、これが出口か、あるいはまたさらに通路の続きか…。行きゃわかるか。)
その扉は入るときの扉と比べ、一回りほど小さいものだとレクスは感じる。
木の扉に金属製の枠が着けられたものだった。
レクスはその扉を軽く手で押す。
すると意外にも簡単に扉は開いた。
「ん?通路じゃねぇのか。」
扉を開いた先でレクスを待ち受けていたものは階段だった。
それもしっかりとした石段づくりの階段が上に伸びていっている。
レクスはよくよく上を見ると、希望であるかの様に、光が射し込んでいた。
「…出口だといいけどな。」
レクスは呟き、扉から出て階段をゆっくりと登る。
コツコツと無機質な音が響き、レクスの眼に入る光はだんだんと眩しくなってゆく。
上がるにつれて、レクスは目を細くした。
(もしかして…本当に出られるのか!?)
レクスは階段を登る速さをあげた。
はやる気持ちを抑え、光に向かって歩みを進める。
するとある程度登ったその先に、光の正体が見えた。
「…外か!青空が見える!」
レクスは階段を駆け上がる。
そして階段の先の出口から、光のある場所へ出た。
青空だ。
レクスの見たその先には、雲一つない青空が広がっている。
間違いなくレクスが迷宮から脱したことを示していた。
「…い、やったああああああああああああ!」
レクスは歓喜のあまり、大声で叫んだ。
そうしてレクスは回りを見渡す。
回りは木々に覆われており、レクスが入った入り口のようなものは見受けられなかった。
(ようやくの外だ…。ん?外?今そもそもいつだ?)
レクスの中に一つの疑問が浮かぶ。
そして、それに気が付いたとき、レクスは顔から冷や汗が噴き出ていた。
(やっべぇ…もしかしてあの通路に入ってから結構な日にち経ってねぇか…?いや、そもそも俺は一体どのくらい通路に籠もってた?もしかして入学試験終わってねぇか?何とか入れてもらえねぇかな?いやでも…ん?)
そう考えていたレクスの耳に、ゴロゴロという音が後ろから聞こえてきた。
その音にレクスはバッと振り向く。
すると、先ほどレクスが出てきた出口が跡形もなく崩れ去った。
「よくわからねぇけど、もうこんな思いは御免だ。命がいくつあっても足りやしねぇ…。」
レクスは振り返ると自身のポケットから地図とコンパスを取り出す。
だがレクスは首を傾げた。
「…そもそも何処なんだここ?それすらわからねぇ…。」
レクスの周りは木に囲まれており、道標になりそうなものもない。
コンパスと地図があったところで、何処か分からなければ意味がなかった。
「ほんとにどうすりゃいいんだ…?また俺は道を探して彷徨わなきゃならねぇのか…!?」
レクスはその場に崩れ落ち、地面に手を着く。
すると、何処からかガラガラという音が聞こえてきた。
その音は先ほどのような何かが崩れるような音ではなく、何か車輪が動いているような音だ。
レクスは顔をあげる。
(…もしかして馬車か何かか?少なくともそっちに道があるってことじゃねぇか!?…行くしかねぇ!)
レクスはバッと立ち上がると、音の聞こえる方向へ駆け出した。
とにかく道に出たいという一心だ。
木々の間をかき分け、その方向へ駆ける。
走ったその先に、道が見えた。
そして、レクスが森の先へと脚を踏み出す。
そこには開けた道が伸びていた。
レクスは辺りを見回すと、1台の馬車がガラガラと音を立てて移動していた。
見たところ移動用というよりは商業用の馬車のようだった。
その馬車に向かい、レクスは駆け出す。
「おっ、おーい!おーい!」
レクスは馬車に向かって大声で叫びながら後を追った。
するとレクスの声に気が付いたのか、馬車は速度を緩めていき、止まった。
馬車の御者がレクスの方を見て馬車から降りる。
レクスもその馬車に追いつき、馬車に手をかけ息を整える。
「その…どうかされましたかな?」
「はぁ…はぁ…突然で悪ぃけど、今日が何日か教えてもらえるか?」
レクスを見て話しかけたのは白髪の老人だった。
レクスの問いかけに少し戸惑っているようだが、すぐに指で数え始める。
「ひぃふぅみぃ…ふぅむ。わしの記憶が正しければ、皇暦1405年の3の月、20分目のはずですじゃ。…君は…?」
「ん…ああ悪い。俺はレクス。アルス村のレクスだ。ちょっと王都まで行きたくて旅してんだが…え?皇暦1405年の3の月20分目!?本当か!?」
レクスは老人の言った日付に驚く。
なぜならレクスが旅に出た日にちも皇暦1405年の3の月20分目で間違いないのだから。
(え?あの通路で魔獣を倒し続けて1日も経ってねぇのか?いや、そんなはずはねぇだろ。それにまだ日も高えし。俺もよく覚えてねぇけどあんだけ魔物倒してりゃ少なくとも夕方くらいにゃなってねぇとおかしいよな…?)
老人の言葉に首を傾げるレクス。
しかし老人はうむと首を縦に振った。
「間違い無いはずですじゃ。そうじゃろばあさん?」
老人が馬車の中へ声をかける。
すると馬車の中から「間違いないよ!」と女性の声がしたのをレクスは聞いた。
「すまねぇ。疑うつもりは無かったんだがちょっと驚いちまった。」
「ホッホッホ。誰にも見当違いはありますぞい。…それにしても、旅のお方。王都まで行かれるのですかな?」
「ん?ああ。王都で学園の入学試験があるってことで村から出てきたんだが道に迷っちまって…。」
レクスのその言葉に、老人はふぅむと少し考える様子をする。
そしてなにかを決めたようにうんと頷いた。
「レクスさん、と言いましたかな?丁度私たちも王都へ向かうところだったのですじゃ。一緒に来られますかの?」
「え?良いのか?…凄くありがたいんだが、俺は金とかあんまねぇぞ?」
「良いんですじゃ。旅は道連れ。今会ったのも何かご縁があってのこと。お金も入りませぬよ。それに…。」
老人はレクスの瞳をじっと見る。
「な、何だよ?」
「うむ。良い顔ですじゃ。失礼。ちょっと昔の出来事を思い出しましての。ホッホッホ。」
老人は笑うも、レクスは首を傾げていた。
「…言っちゃ何だが良いのか爺さん?俺が物盗りとかする奴かもしれねぇのに。」
「するのですかの?」
「いや、しねぇけどよ…。」
レクスの言葉に老人はホッホッホと笑う。
「では大丈夫じゃ。レクスさんはそんな人じゃないとわしの勘がいっておる。さぁ、王都まではもうしばらくかかる。徒歩だと大変じゃろう。乗っていきなさい。」
そんな老人に、レクスはバッと頭を下げた。
「ありがとう!爺さん。俺、何が返せるかわかんねぇけど…。」
「良いんですじゃ。若い人を助けてあげるのがわしらの役目じゃて。」
ホッホッホと老人はさらに笑った。
レクスは老人に案内されるがまま、馬車の御者席へ老人と一緒に腰かける。
老人もレクスと同じように御者席に腰かけると手綱を握った。
すると何かを思い出したようにレクスに顔を向ける。
「そうじゃそうじゃ。レクスさん。わしはクルジャと申しますじゃ。短い旅じゃが、よろしく頼みますぞ。」
そう言って、老人改めクルジャは右手を差し出す。
「…アルス村のレクスだ。よろしくな、クルジャさん。」
レクスはクルジャの手を握った。
ふとレクスは勇者リュウジの手を思い出す。
クルジャの手はリュウジの手と比べ、どことなく温かいようにレクスは感じた。
クルジャはレクスから手を離すと、馬の手綱を握り直し、「ハイヨー!」と叫ぶ。
馬たちが「ヒヒン」と啼き、馬車がゆっくりと動き始めた。
レクスは馬車が走り出すと、手持ち無沙汰から、なんともなしにポケットから懐中時計を取り出し、パカっと開いた。
(あれ?時計が動いてら…。勝手に時間も動いてるしよ。)
時計は1時半頃を指し示し、コチコチと秒針が進んでいた。
レクスが箱から取り出したときの様子とは全く異なっていた事に、レクスは僅かに驚く。
そんな様子を隣のクルジャはちらりと見ていた。
「おや、「ミノスの魔導時計」じゃの。珍しい。」
「え?クルジャさん知ってるのか?」
「うむ。わしも初めて見ますがの。「絶対に狂わず壊れない魔導時計」が「ミノスの魔導時計」ですじゃ。」
「そうなのか。魔導時計ねぇ。」
「レクスさんはそれを何処で?」
「魔獣倒したら拾ったんだよ。てっきり12時で止まってたから壊れてるもんかと。」
「ホッホッホ。それは大変珍しい逸品じゃ。収集家の間では金貨1000枚は下らんものじゃよ。魔獣から拾ったのも何かの縁じゃ。大切にしなされ。」
「金貨1000枚!?ほんとかよ…」
クルジャの言葉を聞いたレクスは、目の前で懐中時計をぶらりと垂らす。
時計に彫られた牛が、陽を反射しキラリと光る。
(ま、売らねぇけどな。なんか愛着湧いちまったし。)
レクスはその時計を見て、満足げに笑う。
その時計の秒針は進み続けていた。
まるで今、レクスの物語が始まったと言わんばかりに。
それを祝福するかのように、空は王都に向け、雲一つない青空が広がっていた。
ご拝読いただき、ありがとうございます。
一章はこれにて完結です。
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