衝動と悦楽
レクスの顔がマリエナの眼前に届いた瞬間。
マリエナは非常に戸惑っていた。
劇場の演劇で王子様とのキスシーンがレクスのキスと重なった瞬間、マリエナの吸精衝動が湧き上がってしまっていたのだ。
そうしてなんとか抑え込んでいた衝動は、アランたちと別れた途端に、揺り戻しが来てしまった。
マリエナ自身はサキュバスとして、今まで相手も居らず、こんな衝動に駆られたこともなかった。
しかしレクスがサキュバスベーゼの代償で認定されてしまったせいなのか、はたまたレクスなら「吸精に耐えきれる」とわかってしまったせいなのか。
メギドナとの戦いで、魔力をかなり使ってしまったせいもあるかもしれない。
マリエナのその衝動に、火がついてしまった。
自身の中に嵐のように吹きすさぶ奔流にどうにか抗おうとしてレクスに抱きつき、懇願した結果が今だ。
どこに行きたいかと問われ、マリエナが示したのは午後は誰もいない「生徒会室」と言ったのはとっさに思いついた場所がそこだったから。
マリエナは眼前に迫る大好きなひとの顔に、ただあわあわと慌てることしかできなかった。
きりりとしたレクスの、愛しいひとの顔が迫る。
(レ……レクスく……ん)
さらには顎に手を添えられ、マリエナの逃げ場はもうないと言ってよかった。
レクスの紅に染まった瞳の奥には熱いものを感じて。
「ひゃ……ひゃわわ……。」
その瞳を信じるがままに、レクスの唇をマリエナは眼を閉じて……受け入れた。
柔らかな感触と同時に、マリエナの鼓動が早鐘を打つ。
ふわりと感じるのは何処か清涼感のある匂い。
(……レクスくん。……キス、してくれてる。)
いつの間にか、あれほど渦巻いていた衝動は嘘のように消え失せていた。
「……ちゅ……んん……。」
啄むようにキスを続けるマリエナの身体は、ときおりピクピクと痙攣していた。
ただただ愛する男を欲し、求めるように。
感じているのは糖蜜を濃縮したような強烈な甘露と、全身を迸る蹂躙されるような圧倒的な快楽。
頭の中をゆっくり蕩かしてかき混ぜられるような感覚は、マリエナの思考を奪っていく。
(……レクス…くん。すごく…きもちいよぉ……。何…これぇ……?)
レクスの魔力が流れ込んできているのだ。
癖になりそうな、優しく全身を撫で擦られているようなこそばゆい感覚と同時に感じるのは、体内をぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような快感。
ふわふわとして定まらない思考に、マリエナはただ流れに身を任せる他なかった。
そして、唇が離れる。
半開きになった唇から、つぅとかかる唾液の橋が光を反射し、妖しく光った。
漏れ出る吐息が湿っぽく熱を帯び、指先がぴくんと痙攣している。
(きもち……いいよぉ……。)
既にマリエナの思考は、快楽でどろどろに蕩けきっていた。
ゆっくりと眼を開けると、マリエナの眼は焦点が定まらずにゆらゆらと揺れ動く。
それでもマリエナにわかったのは、顔を赤く染めつつ心配そうに見つめるレクスの紅い瞳。
「大丈夫か?マリエナ。」
聞こえてくるレクスの声にどうにか頷こうとした途端。
「うん……だいじょ……ぶ……。」
ぷつん、と。
蝋燭の火が吹き消えるかのように、マリエナの意識は暗転した。
◆
マリエナと唇を離したレクスは、不安げにマリエナを見つめる。
キスの最中、レクスは妙な感覚を覚えていたからだ。
(なんだったんだ……?さっきのは。……あれが”吸精”ってやつか……?)
明らかにレクス自身から何かを吸い取られたような感覚。
レクスが魔導拳銃を使う際に僅かに感じるものに酷似していたが、その感覚よりは数倍強いように感じていたのだ。
だが、レクスは特にそれ以外、身体の不調は感じていない。
それよりもレクスはマリエナの方が気掛かりだった。
まるで彫像のような美貌で、今まで眠っていたかのようにうっすらと瞼を上げるマリエナを、レクスは覗き込む。
「大丈夫か?マリエナ。」
何処か夢うつつなとろんとした瞳をレクスに向け、頬を染めたマリエナはコクンと頷く。
「うん……だいじょ……ぶ……。」
マリエナがそう呟いた瞬間、マリエナの身体がフッと力の抜けたように、レクスへと倒れ込む。
「おい!マリエナ!」
「ビィィ!」
レクスは慌ててマリエナを抱え込むと、マリエナの頭が垂れる。
ゆさゆさと揺さぶるが、マリエナは起きる様子はない。
ビッくんが心配そうにマリエナの顔を覗き込み、オロオロと眼を泳がせていた。
とっさにレクスはマリエナの手首を握り込んで脈をみると、確認したのはトクントクンと規則正しく打つ音。
どうやら気を失っただけのようだった。
(……よかった。大事はねぇみてぇだな。)
レクスは安堵して一息吐くと、ちらりとビッくんをみて目配せをする。
レクスの目配せにほっとしたように、ビッくんも「ビィ……」と安心したように眼を細めていた。
「……しかし、どうすっかな……?」
マリエナが気絶している以上、レクスはマリエナを放って置くわけにもいかない。
女子寮へ行ってカルティアやアオイ、レインに引き継いでもらおうかと考えていた、その時だった。
ガラッという音と共に、生徒会室の扉が開く。
「ふぃぃ……今日も暑いッスねぇ。なんでマリエナ会長いないッスか……?」
「全くですね。……今日はマリエナちゃんはレクスさんとデートですか。……ルーガくん。私たちも生徒会の活動を放っておいてデートしませんか?」
「……俺もしたいけどね。午前中に仕事が終わってれば良かったんだけど。」
「はぁ……今日はマリエナかいちょーはレクス様と演劇鑑賞……ずるいです。しかも「お姫様と黒い龍」の初日公演……あちしも行きたかったです。」
入って来たのは生徒会の四人。
暑さから少しげんなりしているようなヴァレッタに、呆れているのか額を指で抑えているクリス。
そんなクリスに同調してかため息を吐くルーガに、少々ふてているようなレイン。
「……あ。」
「「「「あ」」」」
そんな四人とレクスは目が合ってしまった。
四人もレクスとマリエナの姿に目を見開く。
レクスは燕尾服であり、マリエナは少し乱れたドレス姿。
マリエナは気絶しており、レクスに抱えられた状態だ。
《《なにか》》があったように見えてもおかしくない状況だった。
呆然としている生徒会のメンバーに、レクスは顔を引き攣らせながら苦笑する。
「……悪ぃ。すまねぇけどよ……、手を、貸して貰えねぇか……?」
おそるおそる四人にレクスは声を掛ける。
そんな言葉に、帰って来る言葉は一つ。
「「「「ここで何をやってる」っすか!?」んですか!?」んだ!?」です!?」
四人の叫び声が、生徒会室を飛び抜けて、廊下にまで響き渡った。
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