本能の欲求
「……いやぁ、舐めてたわけじゃねぇけどよ……。見てみるもんだな。」
演劇の鑑賞を終えた五人が座る、テーブル席の椅子に深くもたれながら、レクスは呆けたように独りごちる。
レクスたちは演劇を観たあと、食事を取るついでに感想を語ろうと近くのカフェに寄っていたのだ。
カフェの中はそれなりに人が多く、少し古風でつやめいた木のカウンター席には、貴族のようなタキシードを着た男性とドレス姿の女性がガヤガヤと話を立てながらコーヒーを啜っている。
アンティーク調に彩られた木の風合いに、ポロンと響くディスクオルゴールの音色は、落ち着いた店内の雰囲気を主張していた。
そんな店内で木の衝立を背に座るレクスたち五人のテーブルの上にはおのおのの料理が湯気を立てて並び、テーブルの中央ではビッくんがきょろきょろと料理を眺めている。
やはりエミリーの前にある料理は肉が山を成していたが。
レクスの言葉に、アランがうんうんと得意げに頷いた。
「レクスくんもわかったみたいだね!あそこは王都の中で幾多の劇団が憧れる場所さ。あの舞台で演劇ができることは劇団の実力の証明になるからね。」
「そうだったのかよ……全然知らなかったな。」
レクスが関心したように頷くと、隣のマリエナがキラキラとして、興奮冷めやらぬ様子でレクスを見つめていた。
「レクスくん、レクスくん!すごかったよね!私、もう感動しっぱなしだったの!」
「ああ!俺もあんなにすげぇとは思ってなかった。村に来る劇団もすごかったけどよ。龍の動きや王子の動きがまるで本物みてぇだった。ありがとな、マリエナ。誘ってくれてよ。」
「レクスくんも気に入ってくれたんだね!わたしの大好きな絵本が原作なの!気に入ってくれて……よかったよ。」
「お……おう。」
満面の笑みをにこやかに浮かべるマリエナに、少し見惚れて気恥ずかしさを覚えたレクスは頬をすこしポリポリと掻く。
すると、レクスの隣に座っていたアランが感嘆するように口を開けた。
「それにしても本当にいい出来だったよ!今日の劇団は演出もしっかりしていたし、役者さんも皆素晴らしい演技だった。そうは思わないかい?」
アランの言葉に、演劇を知らないレクスとエミリーも含め、一同はコクンと頭を振った。
「わたし、絵本を忠実に再現してたのはすごいと思っちゃったよ。お姫様と王子様があんなに華麗で、すっごく感動しちゃったよぉ……!また見ようかなぁ……。」
相変わらずマリエナはテンションが高く、胸の前で手を組み輝く瞳でトリップしていた。
そんなマリエナに同調し、目をるんるんときらめかせたエミリーもこくこくと勢いよく頷く。
「エミリーもそう思うのだ!お芝居ってあんなにすごいって初めてわかったのだ!王子様もかっこよかったのだ!」
「エミリーちゃんもわかったの!?かっこよかったよね!王子様!」
エミリーとマリエナは興奮を抑えきれない様子で互いに目を合わせながら感想を語り合い始めた。
そんな様子が何処か可笑しく思い、レクスはクスリと口元を上げて笑みを浮かべる。
するとカリーナもおずおずと顔を上げた。
「あ、あてもよかったと思う。王子様役もかっこよかったし、お姫様役も綺麗だったし。……あんなふうに「貴女は汚れてなんかいない」って声をかけるのもすごくじんときた。……ただ……。」
途中まで褒めていたカリーナが少し不思議そうに頸を傾げる。
その様子に話を聞いているアランもレクスもカリーナの言葉を待った。
「……あの王子様、レクスに似てなかった?」
カリーナが放った言葉に、レクスはきょとんとした様子で「そうか?」と首を捻る。
しかしアランは何処か納得した様子でポンと手を叩いた。
「確かに。言われてみればそうだね。髪も瞳もそっくりだし、どことなくレクスくんに似ているかもしれない。」
「そうか?俺は特にピンと来なかったけどな……。マリエナはどうだ……?」
どうも釈然としない様子でアランの言葉を訝しみながらもひょいとマリエナにレクスは顔を向ける。
そうして振り向いた視線の先のマリエナは……もじもじとしながら顔を熟れた林檎のように真っ赤に染め、図星を突かれたようにレクスから背けていた。
「マリエナ……?」
レクスが顔を覗き込むと、マリエナはかあっと目を見開き、今にも泣き出しそうなくらいに目を潤わせてレクスを見つめた。
そのマリエナの顔に、レクスは一瞬で頬を染め、胸をドキリと高鳴らせる。
「ち……違うからね!?わたしはレクスくんを……王子さま……だから好きな訳じゃないからね!?」
「お……おう。ありがとよ……。」
レクスは赤く染めた頬にどことなく冷たい空気を感じながら、気恥ずかしさにマリエナから顔を逸らす。
それはマリエナも同じだったようで、マリエナも赤い頬のままにレクスとは反対に顔を逸らす。
そんな光景に、アランたち三人は目を丸くしながら顔を見合わせていた。
「ねぇ……これって本当に恋人じゃないのかい?」
「あ……あても、わかんないよぉ……。でも、凄く親密そうだけど……?」
「……エミリーのとーちゃんとかーちゃんもたまにこんな感じなのだ。」
三人はぼそりと話すと疑り深い目をレクスとマリエナに向ける。アランたちの視線を何処か針のように感じながらも、レクスとマリエナは互いに頬を染め合い、食事に手をつける。
そんなレクスとマリエナをビッくんはどこか微笑んだようにニコニコと見つめていた。
◆
「邪魔したな。アラン。」
「それは僕の台詞だよ。クライツベルン会長の機嫌を損ねないようにね。」
「うっせぇよ。それこそ俺の台詞だっての。」
食後カフェから出たところで、アランとレクスは互いに誂うように、しかしニヤリと口元を上げ、気安く笑い合う。
「しかし、クライツベルン会長とはね。てっきり君のことだからカルティア様とそういう関係だと思っていたよ。」
「……それがな、カティもなんだよ。……全員で四人だ。」
「は!?……四人!?どういうことだい!?」
目を丸くするアランに力ない様子で「いろいろあってな」と微笑むレクス。
そんな二人を横目に、レクスの傍に立つマリエナにカリーナとエミリーが向かい合っていた。
「会長。あ……ありがとうございました。」
少しまだ緊張が残るカリーナに対し、マリエナはクスリと目を細め笑いかける。
「ううん。お礼を言うのはわたしのほう。カリーナちゃんのこともよくわかったから。カリーナちゃんもまた良ければ見に来ようね。」
「は、はい。クライツベルン会長。その時は是非に……」
「硬いなぁ……。マリエナで良いのに……。」
やはり何処かぎこちないカリーナにマリエナは眉を下げて苦笑していると、ぴょんとエミリーが跳び上がる。
「マリエナはいいやつだったのだ!エミリーはマリエナとも友達になりたいのだ!」
「わたしと?……うん。いいよ。エミリーちゃんとわたしは友達だね。」
笑顔のエミリーにつられるように、マリエナも少しかがんで笑顔で手を差し伸べると、エミリーは嬉しそうにマリエナの手を握り、ぶんぶんと振っていた。
そしてマリエナは手を放すと、自然と隣に立っていたレクスと手を繋ぐ。
ちなみにビッくんはぴょんと飛んでマリエナの頭に掴まり、じぃっとアランたちを見据えていた。
「レクスくん。それでは僕らはここらでお別れとしよう。……また寮でね。クライツベルン会長と楽しんで来給えよ。」
「ああ。アランもな。エミリーとカリーナを楽しませろよ?」
「フッ……もちろんだとも。……そうしないと、二人に失礼だしね。」
にやけて誂うように微笑むレクスに、アランは軽く笑って返した。
「そ、それではクライツベルン会長!ま……またお会い出来れば光栄です!」
「マリエナもまたなのだー!」
「うん、またね。カリーナちゃん。エミリーちゃん。」
レクスとマリエナは笑顔で小さく手を振るった。
そんな二人の前でアランたちは踵を返す。
アランは後ろ手に手を振り、エミリーはレクスとマリエナの方を向いてぶんぶんと勢いよく手を左右に振っていた。
カリーナはレクスたちの方を向いてぺこりとお辞儀をすると、すぐにアランの隣に駆け寄る。
ビッくんもマリエナの上でぶんぶんとちっこい手を忙しなく左右に動かしていた。
広場へと続く石畳の回廊をコツコツと音を立てて去るアランたちをレクスたち見送ると、レクスはマリエナに向き直る。
「じゃあ俺たちも行こうか。マリエナはどっか行きたいところとかあるか?」
レクスがにこやかに微笑み、マリエナに尋ねる。
すると、マリエナの様子がどこかおかしいことにレクスは気が付いた。
頬は赤く紅潮し、眼は潤みきったようにピンク色の瞳がゆらゆらと揺らめいている。
どこか呼吸も荒く、何かを抑え込むように、しかしレクスに求めるように少し身体をもじもじと震わせていた。
「マリエナ?」
レクスが覗き込むようにマリエナに声をかける。
レクスの声が届くや否や、その瞬間。
マリエナはぎゅっとレクスの腰に抱きついた。
「お、おい!?マリエナ!?」
いきなりのハグに戸惑いを隠せず、マリエナの身体の柔らかさにレクスの心音が跳ね上がり、頬が熱を帯びる。
すると、マリエナがぽつりと言葉を口にした。
「……ごめんね。レクスくん。……頼みがあるの。」
「な、何だ……?」
蕩けきったピンクの瞳が、レクスの紅玉の瞳に媚びるように向けられていた。
「……吸精、させて?」
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