みなれないもの
その日、レクスは再び着慣れない燕尾服に袖を通し、とある屋敷の前に立っていた。
少し羊雲が湧き立つ気持ちの良い青空の下で、じりじりとした熱気の中、レクスは自身よりも高い門の前で人を待っていたのだ。
少し黒い外見から、妙に入りづらい雰囲気を醸し出すその屋敷は、マリエナの家。
つまりはアーミアの屋敷だ。
今日はマリエナとのデートの日。
レクスはマリエナに「屋敷で着替えてくるから待っていて欲しい」と頼まれ、屋敷の前で立ち尽くしていた。
やはり少しの居心地の悪さと、若干ごわつく襟の感触にレクスはきょろきょろと視線を彷徨わせながら、ほんの僅かに汗ばんだ手で魔導時計を開く。
ガラスの奥に見えた長針は、九時の十分前を指していた。
ふぅと小さく息を吐きながら、パチンと蓋をしめた魔導時計を、レクスは懐に仕舞う。
(……やっぱり慣れねぇなぁ。ここも、服もよ。…なんで、こうなったんだかな……?)
そう思いながらも、レクスは青い空を見上げ、マリエナを待つ。
空には小鳥が舞い、チュンチュンと鳴き声が聞こえるくらいの穏やかな陽射しがレクスを照らしていた。
すると、コツコツとヒールが石畳を叩き、レクスの方へ向かってくる足音が耳に入る。
(マリエナか?)
レクスはそう思い、くるりと門の向こうへ振り向く。
そこに立っていたのは紫色のドレスを纏った清楚とも淫靡とも言える、肉感的な美女。
「うふふ。レクスさん。ごきげんよう。」
「アーミアさん!?」
マリエナの母であるアーミアがクスクスと笑んでいた。
「いらっしゃい。レクスさん。……といっても、今日は娘とデートかしら?」
「あ、ああ。待ち合わせをしててよ。」
「そうなのね……全く、アタシの娘ながら殿方を待たせるなんて。あの子もまだまだねぇ。ごめんなさいね、レクスさん。」
ふぅと目を伏せため息を吐くアーミア。
しかしレクスは首を横に振り、アーミアを少し笑いながら見据えた。
「俺は気にしてねぇよ。マリエナを待たせるよりゃ俺が待ったがいいっての。……それに、マリエナだって準備があるだろうしよ。俺がそのくらいで文句言う訳にもいかねぇだろ。そんなのは俺が嫌だしよ。」
レクスの言葉に一瞬アーミアは眼を丸くしていたが、次の瞬間には満足そうに目元を下げ、口元をニヤリと上げていた。
「……うふふ。本当に娘はいい男の子を捕まえたわね。さすが、「婚約者」と言ったところかしら?」
「買いかぶり過ぎだって、アーミアさん……って、「婚約者」!?……レインも言ってたけど、本当だったのかよ!?」
素っ頓狂な声を上げ眼を見開くレクスに、アーミアは微笑みながらコクンと頷いた。
「ええ。アタシも納得しているわよ。……娘がレクスさんに「サキュバスベーゼ」を使ったことは知っているわ。その代償はレクスさんにしか払えないもの。……もちろん、聞いているわよね?」
その言葉に、レクスは真剣な眼で、静かに頭を縦に振った。
メギドナとの戦いでレクスがマリエナから受けた「サキュバスベーゼ」。
その代償により、マリエナは一生レクスからしか吸精できないことを、レクスはマリエナから告白されたときに聞いているのだ
「……ああ。俺もマリエナから聞いてる。俺も、マリエナを見捨てるつもりはさらさらねぇよ。マリエナが俺を信じてくれた証だ。裏切るつもりはねぇ。」
「あらあら。ここまで言ってくれる殿方が娘の相手なんて、少し妬けちゃうわね。本当、いい男ねレクスさん。……本当に、ワタシもレクスさんを襲っちゃおうかしら?」
「あ、アーミアさん!?」
「冗談よ。冗談。娘の婚約者を襲うわけにはいかないもの。」
相変わらずクスリと微笑むアーミアだが、どこかレクスには冗談に聞こえなかった。
アーミアの眼が、少しだけギラついていたのはレクスの気のせいとは思えなかったからだ。
アーミアの雰囲気に、レクスは少し苦笑いを浮かべる。
「アーミアさんの冗談、冗談に聞こえねぇんだけど……。」
「ふふっ。どうかしらね?……ねぇ、レクスさん。レインちゃんは元気かしら?」
からかうように笑っていたアーミアの表情が少し神妙そうに移り変わる。
その声色は、本心で気がかりにしているようだった。
「なんでレイン…ってそうか、レインは今……。」
「ええ。形式上はうちの使用人になっているわね。ワタシの意向でレクスさんのところに出向させている形になっているけど。」
アーミアの言う通り、レインは今レクスの元に「メイド」という形で出向していると本人の口からレクスは聞いていた。
実際はレクスの手伝いという形は取っているものの、レインと共に食事を取ることや、暇なときに傭兵ギルドに付き従うことくらいしかしてもらっていない。
レクスの意向で生徒会の仕事を優先してもらっているし、レクス自身特に手伝ってもらうこともないからだ。
しかし会う頻度は非常に増えており、いつも明るく純粋な笑顔を向けてくるレインにレクスは癒されていた。
「……ああ。レインにはすごく助けられてる。本当、レインは俺なんかにゃもったいねぇって、俺自身いつも思ってんだ。」
レクスは軽く笑みながら語る。
既にレインはレクスのハーレムに入ると宣言している一人であり、レクス自身が守らなければならないと思っている一人なのだから。
「あらあら。あの子もレクスさんの「お手つき」の一人になってるのね。ふふふ。レクスさんになら、マリエナもレインも任せられるわね。マリエナはともかく、レインもワタシの娘みたいなものだもの。……本当、良かったわ。」
再びアーミアはレクスに向けてにんまりと笑んだ。
「「お手つき」って言い方はちょっと引っかかるけどよ……まだ恋人ですらねぇのに。……でも、俺は責任は取るつもりだ。どんな形でもよ。」
「うふふ。本当に幸せ者ね。レクスさんの「お嫁さんたち」は。……ねぇ、レクスさん。」
アーミアの「お嫁さんたち」という言葉にレクスは少し気まずそうに、しかし照れたように頬を搔く。
アーミアには、レクスの考えていることが全て筒抜けなようだった。
そんなアーミアはじぃっとレクスを見つめる。
「うちの娘とレインちゃん。いつでも、なんなら無理矢理でも、襲っちゃっていいから。」
「なぁっ!?」
アーミアの唐突な爆弾発言に、レクスは顔をトマトのように染め、飛び退くようにして眼を見開いた。
「なっ……何言ってんだ、アーミアさん!?」
「あら、ワタシは本気よ?レクスさんなら多分二人とも喜んで応じてくれるわよ。……それに、マリエナは吸精もしないといけないの。襲っちゃうなら早い方が良いわよ?」
「って言われてもよ……。まだ出来ねぇよ。お、俺の心の準備もあるし……俺も、まだしなきゃいけないことがあるからよ……。」
顔を真っ赤にして眼を逸らすレクスに、アーミアはいたずらっぽそうに笑っていた。
「お顔が真っ赤ね、レクスさん。ふふっ。……もう少しお話していたいのだけれど、もう時間ね。」
そう言ってアーミアはくるりと後ろを振り返る。
「うふふ、あの子ったら張り切っちゃって。」
たったったっと駆け足で急ぐように石畳を鳴らし、レクスへ向かう影が見えた。
薄紫のフリルの多いドレスは、以前レクスがデートしたときに着ていたものと同じ。
少しウェーブのかかった長い髪が、走りに合わせてふわりと舞う。
そんなドレスからこぼれ落ちそうに大きく実った果実は、走るのに合わせてたゆんたゆんと揺れていた。
頭の上の曲がった角には、おめかしのためかピンクのリボンが結ばれており、その角に掴まるように黒い玉……ビッくんが乗っかっていた。
「ご、ごめんね、レクスくん!遅くなっちゃって!」
慌てたように息を切らして、マリエナが門を挟んでレクスの前に立つ。
それは美しくも幼さを残す、可憐な美少女。
少し屈んではぁはぁと肩で息をするマリエナは艶っぽく、レクスは眼を丸くして見惚れてしまっていた。
(マリエナ……すごく綺麗だ……。)
レクスのゴクリと呑んだ息に、アーミアが可笑しそうに微笑む。
「あらあら、レクスさんたらマリエナに首ったけみたいね。鼻息が荒いわよ?」
「なっ!?アーミアさん!?」
からかうアーミアに、戸惑うレクスの声。
その様子に、マリエナの顔は一瞬でボンと赤く染まる。
「そ……そうなの?レクス……くん。」
「あ、ああ。やっぱ……似合ってんなって思ってよ。すごく……綺麗で。」
「そ、その……ありがと……ね。」
もじもじとする二人に、アーミアは微笑みを浮かべてため息を吐く。
「さ、二人ともいってらっしゃい。いつまでもそうだと、日が暮れちゃうわよ?」
アーミアの言葉に二人は静かにコクンと頷く。
やはりまだ、二人はアーミアに敵わないらしい。
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