優しい口づけを
露店をある程度回り、歩き疲れた二人は既に夕焼けのオレンジ色に染まった空を眺めるように、噴き上がる噴水の縁に腰掛けていた。
あたりは既に人通りもまばらな程に、コツコツと数人の足音が響く。
そんな中噴水の縁に並んで腰掛けた二人の姿は、噴き上がる水と夕陽のコントラストも相まって、何処か現実離れしているようだ。
レクスも、レインも。
焼けた夕空に照らされた顔は、何処か赤みがかるようだった。
そうして空を眺める二人だが、レクスがぽつりと口を開く。
「なぁ、レイン。」
「どうしたです?レクス様。」
その言葉にレインはレクスへ顔を向けるが、レクスは空を眺めたままだ。
「……今日は楽しかったか?俺も振り回したりしちまったし、自信がねぇんだ。」
「あちしは……楽しかったです。素敵な人や、素敵なお洋服に出会えたです。一緒にランチを食べて……パパとママのお墓参りまでついて来てもらえましたです。すごく、嬉しかったです。……でも……。」
「レイン?」
言葉に詰まったレインに、レクスはゆっくりと顔を向ける。
レインの顔は少しだけ沈むように俯いていた。
顔を覗き込むように少し近づくと、レインがか細い声で呟く。
「……すごく幸せで、夢じゃないかって思うですよ。」
「……レイン。…夢なわけ、ねぇだろ。」
「だって、あちしはこの前の事件で色んな人に迷惑をかけたです。メギドナ様も、止められなかったです。あちしがもっと自分をしっかりもっていれば、あんな事には……ならなかったはずです。そんなあちしが、こんなに幸せで良いのかなって……そう、思うです。」
ぽつぽつと紡がれる言葉。
レクスはそんなレインの言葉をただ黙って聞いていた。
レインはこの前の学園襲撃事件の主犯である、メギドナを止められなかったことを何処か悔いており、罪の意識に苛まれていたこと。
その思いを、レクスは言葉の節々から感じ取っていた。
そうして、レクスはふぅと小さく息を吐いた。
「仕方がなかった……とは言えねぇかもしんねぇな。でも、それは”たられば”の話だ。そんな事は俺だってあるし、思い返せばきりがねぇ。なんでそうしなかったか、こうすればよかったなんて後出しで言われても仕方がねぇ。……でも、だ。」
レクスは自身のポケットから、魔導時計を取り出す。
ボタンを押し金属蓋が上がると、時計の秒針がコチコチと音を立てて進んでいた。
「どう頑張ったって、時間は戻らねぇんだ。……仮に戻ったとしても、それで上手く行くかってそんな話でもねぇ。……だから、俺は今できることをやってくしかねぇって思ってる。……レインもそうだろ?」
「レクス……様……。」
にっとほほ笑んだレクスの顔を、レインは呆けたように見つめていた。
「だから、レインも今できることを選んでやってくしかねぇ……俺はそう思う。後悔があるなら、もう後悔しないように進むしかねぇよ。だから、レインも後悔してるなら、「もう後悔したくない」と頑張るしかねぇ。そのためなら、俺もいる。カティだって、アオイだって、マリエナだって、生徒会の皆だって、協力してくれるはずだ。」
「皆……そう思ってくれるです……?」
「当たり前だろ。……レインがもう後悔したくない、変わりたいって思うなら誰かが手を差し伸べてくれるはずだ。その手が俺でもいいなら、いくらでも貸すぜ。」
レクスの優しい笑みを見つめるレインの眦には、少しづつ雫が溜まっていた。
そんなレインの涙に気づかず、レクスは懐に手を入れる。
「……そうだ、レインにこれを渡さなきゃな」
「ふぇ……?」
レクスは握り込んだ手をレインの前で広げる。
その掌にあったもの。それは金の縁で彩られた、水色の石がはまったブローチだ。
レクスは先程、露店で見つけたこのブローチを、今のレインの服装に似合うのではと思い、購入していたのだ。
この水色の石は魔核でも魔力を持つ石でもなく「ターコイズ」という石なのだが、レクスは知る由もない。
レインの髪色とそっくりだと思い、レクスは買っただけなのだから。
レインはそのブローチに目を見開き、レクスに向けて顔を上げ眼を潤わせる。
「……きれい、です。あちしの髪みたいです。」
「だろ?レインに似合うと思ってな。」
レインの口から不意に溢れた言葉に、レクスは満足そうに目元を下げていた。
「……つけて、もらえるです?」
「ああ。お安い御用だっての。」
レクスはずいっとレインと肩が触れ合うくらいまで近寄る。
レインの首元にブローチを差し込み、ピンを止めた。
ブローチから手を離し、レクスはうんと納得したように頷く。
「似合ってるぞ。レイン。」
レクスが顔を上げたその時。
レインの潤んだ瞳、整った人形のような顔がレクスの目の前に迫っていた。
そして。
「……ちゅ…」
ミルクにも似た甘い香り。
レインの湿っぽい息づかい。
レクスの唇に伝わるのは柔らかなレインの唇。
思考が、追いつかなかった。
(レイ……ン……?)
ただそれでも、レクスの心音は跳ね上がる。
そのままゆっくりと、レインの唇はレクスから離れた。
「レイン……?」
「レクス……様。あちしは、またレクス様に勇気をもらったです。だ……だから、今のキスは御礼……です。」
そう言ったレインの顔は、夕陽に照らされ真っ赤に染まりきっていた。
レクスの頬も既に林檎のように染まっている。
そんなレクスに向かい、レインは真っ直ぐな眼で見据えた。
「……あちしは、もう後悔したくないです。あちしも、レクス様の隣に立てるようになりたい……ううん。なるです。あちしも、レクス様が大好きです。」
「……レイン。」
「だから、あちしは決めたです。後悔しないように、あちしも頑張るです。あちしの……できることを。だから、見ててほしいです。レクス様。このブローチは、その証明です。」
そう言ったレインはブローチに手を当て、満面の笑みをレクスの瞳に映した。
その笑みは、レクスにどこか力強さを感じさせて。
「ああ。ちゃんと見てるよ。……レイン。」
レインにつられ、レクスもほほ笑んだ。
「はいです!」
気合いを入れるような、力強い声。
そうして二人は同時にクスっと笑いだす。
噴水の雫が光を弾き、キラキラ舞いながら。
笑い合う二人を包み込んでいた。
◆
それから僅かののち、レクスはレインと学園まで帰り着き、校門で別れた。
レインが別れる前にほんの少しだけ、惜しむように強めにレクスの腕を抱えている気がしたのはレクスの気のせいではないだろう。
男子寮へと入り、階段を登って寮の自室へと向かう。
ドアノブに手をかけると、レクスはあることに気がついた。
(……あれ?鍵が開いてるじゃねぇか。アランが帰ってんのか?)
レクスが帰って来た時間帯はまだ陽が沈み切る前。
アランが出かけているなら、もう少し遅く帰って来るとレクスはふんでいたのだ。
不思議に思いながらも、レクスはガチャリとドアを開ける。
するとそこには、ベッドに座り、ずぅんと重苦しい雰囲気で俯いているアランの姿があった。
「あ、アラン!?……一体どうした!?」
あまりの衝撃で大声を出したレクスに気がついたのか、アランがゆっくりと顔を上げた。
やはりその顔は暗く、どこか生気すら無いように感じられた。
(どういうこった……!?もしかして、二人をデートに誘うことが出来なかったのか……!?)
驚愕のあまり硬直するレクスに、アランはゆっくりと口を開く。
「やあ……おかえり、レクスくん。早速だが……聞いて欲しいことがあるんだ……。」
「お、おう。……何だいきなり……?」
「……僕は……カリーナとエミリーの二人に同時に告白されてしまったよ。」
「は?」
アランの言うことが信じられず、レクスはぱしぱしと眼を瞬かせた。
「しかもハーレムで良いって……レクスくん!教えてくれ!僕はどうすればいいんだろうか!?」
「……俺が知りてぇよ。」
レクスは顔を少し引き攣らせ、苦笑いを浮かべる。
少なくとも今夜はしばらく、アランの話を聞くことになるだろうと、レクスは悟った。
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