密談
レクスが生徒会室で悲鳴を上げているのと丁度同じ頃の時間帯。
窓から照らす陽の光とともに、傭兵ギルドのギルドマスターの部屋で、ぷかりと煙草の煙が浮く。
お気にいりの煙管をふかし、火種でオレンジに染まった丸めた煙草の葉。
椅子に座り、机に向かうヴィオナの唯一の楽しみが「煙管」だ。
しかしヴィオナは手元の報告書を、物憂げな顔で僅かに顔を顰めながら、口から煙を吹き出し、見つめていた。
火の消えた煙草を、コンコンと灰皿に叩いて落とす。
するとその音に呼応したように、部屋の扉のノック音が室内に響いた。
ヴィオナはそのノックが、誰のものか既にわかっていた。
「……よく来たさね。入んな。」
部屋の扉がガチャリと音を立てて開く。
入って来たのは、憲兵隊長のマルクスだ。
何処か疲れたような、顔は少しやつれ気味のマルクスに、ヴィオナは少し誂うように笑みを浮かべる。
「おや、お疲れかい?……偶には休んだがいいさね。」
「うっせぇ。……性分なんだよ。ったく、学園の事件も大詰めだってのに呼び出しやがって。」
ぶつくさ文句をこぼしながら、マルクスはヴィオナの前に歩み寄る。
その足取りは、一切疲れを感じさせないしっかりとしたものだ。
「……学園での事件の調査は順調かい?」
「ああ。お陰様でな。さっきもお前のとこのレクスに参考人を預けてきた。ありゃ何も知らねぇだけのただのメイドだ。……まぁ、何か知ってても俺が困るんだけどよ。」
「ほう?どういうことだい?」
「力の痕跡が何やっても出てこねえんだ。……あれほどの規模の力、おいそれと出せるもんでもねぇ。だが、下手人はどうやってもあれほどの規模の魔術は使えるほど魔力もねえときた。あのメイドもあんなに力は出ねえだろう。しかも適正は聖魔術。どうやっても無理だ。」
「……支援者がいたということかい?」
「そう睨んでるけどな。……だが。」
マルクスはヴィオナの机に、腰をもたれかけた。
「……下手人は、そこの記憶だけがぽっかりと抜けてやがる。」
その言葉に、記憶の欠如がピンポイントすぎると、ヴィオナは眉を寄せ訝しんだ。
「そうかい。嘘をついてる……ってことはないだろうね。お前さんのことだ。本当なんだね?」
「ああ。そもそも下手人は何処か魂の抜けたように素直なもんだ。あれだけの事件起こしといて、普通だったらもう少し言い訳するか、その真逆で狂いきってるか……ってとこだ。スキルなんざ使わなくてもわかる。……だからこそ、一番の詰めが出来ねぇ。」
「……真犯人、だね?」
「ああ。それだけが全く出てこねえ。……どうも、誰かと会って、姪を恨めしいと思う感情が増幅されたんだと。俺らも訳がわからねぇ。そんな魔術ねえってのに。」
はぁと吐き捨てるようにマルクスはため息を溢す。
そんなマルクスに、ヴィオナはニタリと悪い笑みを浮かべる。
知っているのだ。
マルクスがそうため息を吐く時は、さらに厄介なことで頭を悩ませていると。
「それだけじゃないだろう?いつもの癖が出てるよ、お前さん。」
「……ちっ、目ざといバァさんだこって。……ああ。ある意味、真犯人より面倒くせえよ。」
「お前さんの癖は昔から変わらんさねぇ。ヒヒッ。」
味をしめたような顔のヴィオナに、マルクスはバツの悪そうな表情で、視線を後ろのヴィオナに飛ばす。
「……あの下手人。ガキこさえてやがった。」
マルクスの言葉に、ヴィオナは眼を丸くした。
「ほう?それは……なかなか厄介だねぇ。」
「いろいろ魔術で検査するときにわかったこった。まだ自覚すらねぇ時期だ。……皮肉なもんだぜ。子供が欲しいと嫉妬したサキュバスが恨めしいと思って起こした事件だ。事件の前に吸精した時に出来てたと見て間違いねえだろ。……あれほどの事件起こしたんだ。当分娑婆には帰って来れねえだろうよ。」
「産むのかい?その下手人は……?」
ヴィオナの言葉に、マルクスは少ししんみりとしつつ、コクリと頭を下げた。
「……ああ。その事実を伝えた時に、泣き崩れやがったよ。当分、その子を抱きしめることすら出来ねえだろうし、ガキの成長を見守ることすら出来ねえ。そのガキも物心ついた時には、母親を恨むかもしれねえ。……でも、「産みたい」って言ってやがった。本当、何処で間違ったんだろうな、下手人はよ。」
「なるほど。そういうことかい。……父親に育てて貰うのかい?その子は。」
マルクスは力なく首を横に振った。
「いいや。父親はもう御陀仏だ。下手人の旦那は、吸精で全員死んでやがる。ただ、そこに手を上げた奴も居る。」
「……誰だい?」
「アーミア・クライツベルン。クライツベルンの当主だ。下手人の妹だな。」
「なるほどねぇ……。「クライツベルンの女帝」かい。」
クライツベルンの女帝。
それは貴族であり、色街の経営などを一手に任される手腕を持ち、彼女に逆らえる貴族など限られた一部しかいない。それほどに巧みな交渉術を備えた人物だとヴィオナは把握していた。
「ああ。「姉の不義はワタシが預かる」ってよ。あのメイドの後見人すら申し出たんだ。……いろいろ考えることもあったんだろう。だが、良い目をしてやがった。姉妹の確執も有るだろうによ。」
「……それは、本当に皮肉だろうねぇ。下手人にとってある意味、死ぬより重い苦しみだろう。母親にとっては、拷問にも近いさね。」
一瞬の静寂が、二人と室内を包み込む。
すると、ふと思い出したように、マルクスが首をヴィオナに向けた。
「そういやバァさん、何で俺を呼び出したんだ?……捜査の進展を聞くために呼んだんじゃねぇだろ?」
「ああ、そう言えばそうさね。……少し、情報を共有しておかなきゃならないと思ってねえ。」
ヴィオナが向けた突き刺すような真剣な眼差し。
ただ事ではないと感づいたのか、マルクスは目の色を変え、クルリとヴィオナに向き直る。
「……なんだ?おめぇのその眼、ただ事じゃないな。」
「……そうさね。これはまだ未確定だが、信憑性が高いと思ってるよ。いいかい……。」
溜めるような口調に、マルクスは僅かに苛立ちを覚えたように訝しむ。
しかし、次のヴィオナの言葉で、かっと目を見開いた。
「「勇者」は、既に「魔王」の手に堕ちてるさね。」
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