重なり合う力
いまだ黒く重い雲から降り続く雨粒が、パチパチと窓に当たる部屋。
多くの本棚が立ち並ぶアーミアの屋敷の書斎で、アーミアは机に向かい、書類に記名をしていた。
その時、ふっと。
直感が、アーミアの脳裏を駆けた。
それは、サキュバスとして、母親としてのものだったのかもしれない。
「……そう。あの娘は、あれを使ったのね。……本当、馬鹿な娘。」
アーミアは眼を細め、口元を少し上げる。
わかっていたからだ。
ーーサキュバスの禁忌
そしてそれを使った相手の事を。
「……その想いはそれほどに重いのね。……最初から、フリなんて必要ないじゃない。」
アーミアはゆっくりと立ち上がると、パチパチと雨の当たる窓へとゆっくり歩みよる。
窓の外に見える雲の隙間から、僅かに陽が差し込み始めていた。
アーミアは微笑みながら呟く。
「おめでとう、マリエナ。」
◆
レクスは、目の前で起こっていることが信じられなかった。
眼前には、マリエナの可愛らしく美しい顔。
マリエナの柔らかい身体に抱きしめられ、唇に当たる柔らかい唇。
ドクンと、レクスの心臓が跳ねた。
(ど……どうなってんだ……!?マリエナ……?)
戸惑うレクス。
しかし唐突に、それは起こった。
(……!?身体……が!?)
レクスの心臓の拍動が、一気に加速したのだ。
それは、普段の異性に対するドキドキとは全く異なるもの。
心臓が、爆発しそうなくらいに跳ね回っている。
身体が、燃え盛るように熱気を帯びていた。
(何……だ!?……これは……!?)
レクスの身体を包み込む異変は、レクス自身を焼き尽くさんと身体の隅々まで暴れまわっている。
(ああああああああああああああああああっ!)
壊れそうな身体のうずきに、レクスは苦しむ。
激しい頭痛に、全身を硫酸が流れるような責め苦。
気を抜けば一瞬で呑み込まれてしまいそうな力の奔流が、全身を駆け巡っていた。
それをレクスはなんとか持ちこたえることで精一杯になっていた。
しかし、ぎゅっと。
マリエナのレクスを抱きしめる力が強くなった。
何処にも行って欲しくない。
そう言わんばかりに。
そしてそれはしっかりと、レクスにも伝わっていた。
(……マリエナ。……何処にも行きゃしねぇよ。)
瞬間。
身体の疼きが嘘のように、レクスの身体に馴染んでゆく。
熱気はそのまま。力の奔流は、レクスの中に受け入れられていく。
そして、マリエナの唇がレクスから離れた。
「……レクスくん?大丈夫?」
「……ああ。なんとかな。一体……?」
その時、レクスの身体をふわりとした浮遊感が襲う。
マリエナの身体から、角も翼も消え失せていた。
落ちているのだ。
「きゃああああああああ!」
「マリエナ!」
マリエナの悲鳴に、レクスはマリエナを抱え込む。
ヒュルヒュルと渦巻く風が、レクスを包み込む。
《《そしてレクスは、翼を拡げた》》。
”バサリ”と聞こえた大気を切り裂く羽音。
地に叩きつけられる間際に、レクスは飛んだ。
地面の砂が払われ、天空に舞い戻る。
ふわりと天に躍り出たレクスは、異形となったメギドナの前に静止する。
その姿に、僅かに異形は威圧されたように身体を反らせた。
マリエナを抱え込んだレクスの姿は異質だった。
側頭部から突き出るは雄々しくもねじ曲がった一対の角。
背中からは自身を包み込めるほどに大きく、黒い蝙蝠の翼。
そして、その瞳は光り輝く紅と、愛を閉じ込めたような桜色のオッドアイ。
溢れ出す力が黒い霞となり、レクスの周囲に妖しく漂う。
サキュバスの特徴を完全に受け継いだレクスが、名状しがたき異形と対峙していた。
◆
マリエナは眼を開け、レクスを見る。
その姿に見惚れるとともに、息を呑んだ。
成功したのだ。
サキュバスの禁忌ーー「サキュバスベーゼ」が。
それはサキュバスの禁忌であり、禁じ手。
サキュバスは吸精により魔力を吸収する。
サキュバスベーゼはその全く逆を男性に行う方法だ。
そのサキュバスの全てを、男性に与えるもの。
それは、サキュバスの魔力、魔力適正、角や羽など、文字通り”全て”を相手の男性に与える。
ただし、それは十分間のみ。サキュバスの魔力や特徴を無理やり相手に適応させているだけだからだ。
リスクとして、男性が魔力に適応できず死んだり、魔力が暴走して死んでしまうことがあった。
ただし、これに耐えられるというのはとある「証明」になる。
サキュバスの吸精に”必ず耐えきれる”という「証明」。
つまりそれは。
(やっぱりレクスくんが……”運命の人”なんだ……!)
マリエナの頬に、紅が差した。
下腹部に、灼けるような熱。
煩いくらいに跳ね回る心。
マリエナのトラウマを完全に打ち壊す「証明」だった。
◆
(……どうなってんだ。俺は?)
レクスは異形となったメギドナを鋭く見据えながらも、訝しく思っていた。
危ないと思っていたら、翼が生えて飛んだというのは、レクスにとっても信じられないからだ。
思い当たるとすれば、先程のキス。
あれで身体の様子がおかしくなったことを、レクスは覚えていた。
(よく、わかんねぇけど……。多分……)
ーーマリエナが力をくれた。
それだけは、レクスもわかっていた。
レクスがマリエナを見ると、信じられないという様子で、眼を丸くしていた。
しかし、何故かその頬は紅く、目も潤んでいる。
「レクスくん……大丈夫……なの?」
「ああ。なんとかな。」
レクスが一言返した瞬間だった。
”ヒュヒュン”と風を切り裂き、レクスに多数の触手が迫る。
レクスは冷静に迫る触手を見据え、上昇。
「きゃっ!」と悲鳴を上げるマリエナを守るように抱え込み、反転。
(……いける!)
それは、直感だった。
レクスの目の前に、闇の弾が生成される。
「ダークネスバレット!」
レクスの声に合わせ、弾が射出。
頬を撫でる爆風とともに、触手を相殺した。
その光景に、レクスはニヤリと口角を僅かに上げる。
嬉しかったのだ。始めて魔術が使えたことが。
しかし、それも束の間。
レクスはチラリと修練場の側を見る。
すると、レクスの見慣れた人物が、修練場近くまで駆けて来ているのが見えた。
レクスは大きく翼をはためかせ、その人物のところをめがけ、空を駆けた。
ひゅうと風を裂き、一瞬でその人物たちの元へ着く。
「レクスさん!?」「…レクス!?」
驚いた声。
カルティア、アオイ、チェリン、クリスがすぐ近くまで駆けて来ていたのだ。
レクスは音もなく、すたっと四人の前に着地する。
「レクスさん……その姿は……!?」
「…すごい。」
「カティ!アオイ!すまねぇがマリエナを頼む!……説明してる時間はねぇ!」
切迫したレクスの表情に、驚いていたカルティアとアオイは表情を変え、コクリと頷いた。
「マリエナちゃん!大丈夫ですか!?」
クリスが慌てたようにレクスに駆け寄る。
「副会長!マリエナを!」
レクスは抱え込んだマリエナをクリスに預ける。
クリスはすぐさまマリエナをレクスから預かり、肩に背負った。
クリスの肩にしなだれかかるように、マリエナはクリスの肩に掴まる。
「ビッ!」
ビッくんも、クリスの足元までやって来ていた。
マリエナは少し微笑みながら、レクスを見る。
「……レクスくん。レインちゃんも……お願い。」
「……ああ。止めてくる。レインも救い出して来るさ。……まだ、約束守ってねぇからよ。」
「行ってきなさい。レクス。アタシらにマリエナちゃんは任せときなさい。」
ぱちんとウィンクをするチェリンに、レクスはコクリと頷き、天空へと舞い戻る。
あの異形と、決着をつける為に。
お読みいただき、ありがとうございます。




