目覚めた獣
「あっちか!?」
「ビッ!ビッ!」
何時もとは雰囲気の違う妖しい空模様。何時もとは違う陰鬱な遊歩道に、急ぐような硬い”コッコッ”という石畳を叩く足音が響く。
レクスはビッくんの指示に合わせ、ひたすらに急ぎ、石畳を駆けた。
レクスに抱えられたビッくんは、必死に小さな両手を伸ばし、レクスに訴えていた。
「ビッ!」
「ああ、わかってる!……絶対、助けなきゃならねぇ!」
道を指し示しながらも不安そうに涙のようなものをにじませるビッくん。
レクスはビッくんを勇気づけるが如く、コクリと頷いた。
走る最中も闇の人影がレクスを阻もうと湧き出ては、前に立ち塞がる。
突如前に現れる人影。
「ちぃ」と舌を打つ。
(……構ってる暇はねぇってのによ!)
今、この間にもマリエナが危ないかもしれないのだ。
戦っている余裕などはなかった。
レクスは僅かに身を屈める。
そこから地面を踏み抜いて。
跳んだ。
空中でぐるりと宙返りし、闇の人影を飛び越える。
生暖かく気持ち悪い風がレクスの頬を撫でた。
顔を顰めながらも、レクスはそのまま”トン”と石畳の上に降り立ち、すぐさま駆けた。
「ビッ!ビッ!ビィッ!」
あっちだと言わんばかりにちまい腕を伸ばし続けるビッくんを抱え、レクスは走る先を睨むように見据えた。
(無事で居てくれ、マリエナ!)
逸る気持ちを抑えず、ビッくんの指示に従い、レクスはマリエナの元を目指す。
そして……見えた。
コロッセオが如く佇む円形の魔法修練場。
その空に飛び回る、二人の人影。
蝙蝠の翼をはためかせ、高速で動き回っている。
闇の弾の弾幕を縫うように躱すマリエナが、そこに舞っていた。
「ビッ!ビッ!」
「ああ、急ぐぞ!ビッくん!」
マリエナを見たビッくんは、グイッと身体を伸ばそうとする。
レクスはそんなビッくんの動きに合わせるかのように、修練場の入り口を駆け抜ける。
修練場の中には、闇の人影の姿はない。
魔術の断片なのか、修練場だけ隕石が降り注いだように、クレーターで凸凹ができている。
その中に、ポツンと立っている影。
ただ動かず、身動ぎすらしない。
青銅の眼は、生気を喪いきっているように見えた。
「レイン!」
レクスが声をかけるが、全く反応しない。
(レイン……こういうことかよ!くそっ!)
レクスはレインが一昨日、会話したときの表情を思い出す。
ころころと変わる表情を見せたレインが、今やレクスの声に反応しない。
歯をギッと噛みしめつつ近付こうと思った。
その時。
「ああああああああああああああああああああ!」
絶叫。
マリエナの声が、レクスに届いた。
咄嗟にレクスは上を見上げる。
そこには、ボロボロになったマリエナが浮かんでいた。
何らかの一斉攻撃を食らったのは、想像に難くない。
そしてそのまま、ふらつき、堕ちた。
「ビィィィ!」
ビッくんが悲しそうな声を上げ、レクスの手の間からぴょんと抜ける。
レクスも自身の太腿を張らせ、脚を動かした。
あのままあの高さから堕ちたら、ただでさえボロボロなマリエナが力尽きてしまうのは想像に難くなかった。
駆ける。
ただひたすらに駆ける。
レクスの頭に浮かぶは、デートしたときの笑顔。
(あの笑顔を……守れなくて……喪って……たまるかぁぁぁぁぁぁ!)
手を、伸ばした。
そして。
落ちてきたマリエナを、レクスは全身を使って受け止めた。
マリエナは、既にボロボロだった。
制服はほぼ破け、下着姿も同然だ。
破れた箇所から覗く素肌も、アザだらけで艶めかしさより痛々しさが勝っていた。
豊かな胸は、僅かながら上下している。
生きている。
そのことにレクスは少し安堵して、息を漏らした。
すると、マリエナがゆっくり瞼を上げる。
「……大丈夫かよ。マリエナ。」
「……レクス……くん……。」
マリエナは弱々しく、レクスに顔を向けた。
「ごめんね……。私が、弱くて……。」
「構うかよ、そんなもん。……マリエナこそ、無茶すんなっての。」
レクスは、マリエナを安心させるように笑いかける。
すると、”バサリ”と音を立てて、レインの横に誰かが着地した。
ニヤつき、嘲るような笑みを浮かべたメギドナだ。
「あらぁ、アナタ。せっかくそこの売女をいたぶってあげようかと思ったのに。……やっぱり、魔眼にかかって無いのねぇ。本当、気に入らないわね。」
メギドナが口元を三日月に上げた。
その瞬間。
”ドン”と音が鳴った。
メギドナの右肩に衝撃が走る。
しかし、光弾自体は黒い靄のようなもので受け止められ、そのまま霧散した。
メギドナが眼を釣り上げ顔を歪ませ、レクスを睨む。
シュウと、レクスが左手に構えた魔導拳銃の銃口から煙が立ち上っていた。
顔は俯いたままだが、その前髪の隙間から、燃え盛る紅が覗く。
その瞳に、メギドナの心は激しくざわついた。
「躾がなってないわねぇ!アンタ、どういうつもりかしらぁ?」
「……そりゃテメェだろ。どういうつもりだ?」
底冷えするような、ドスの効いた声。
その声に、メギドナも、抱え込まれたマリエナさえも気圧されていた。
レクスは顔をゆっくりと起こす。
ちらりと、その燃え盛る瞳はレインを見た。
相変わらず生気を無くし、ただ立ち尽くすのみのレイン。
レクスの口が震えながら開く。
「レインを……」
視線が、ボロボロのマリエナに移る。
「マリエナを…」
そして、正しき怒りの薪が焚べられた瞳は、メギドナを見据える。
その瞳を、メギドナが見た瞬間。
「ひぃっ!?」
無意識に、声が出た。
畏れてしまった。
何か得体のしれない、絶対に起こしてはならないものを起こしてしまったような、そんな恐怖。
「この……学園の皆を危険に晒したんだ。容赦はしねぇ……。お前の好きになると思うんじゃねぇぞ!」
レクスの声は地の底から響き渡るような咆哮。
メギドナは、触れてしまったのだ。
絶対に犯してはならない、龍の逆鱗に。
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