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Rain

 レクスとアーミアが食事を取っているのとほぼ同時刻。


 レインの姿は、とある屋敷の中にあった。


 メイド姿のレインは、扉をコンコンと叩く。


「レインです。お話があるです。」


「入りなさいな。」


 扉を開けて足を踏み入れると、中からムワリと淫靡な香りがレインを包み込む。


 室内の光景に、レインは息を呑んだ。


 目の前には、豪華なキングサイズのベッドが一つ。


 暗がりの部屋の中にはうっすらと魔導灯の明かりが灯っているが、それは行われていた情事のアクセントにしか過ぎない。


 レインの眼には、ベッドに横になり、上半身を起こした一人の裸の美女が映っている。


 その女性はサキュバス、メギドナだ。


 ベッドの傍には裸の男性が何も言わずに倒れ込んでいた。


 男は倒れたままで、ただ白目を剥いて口を開けている。


 事切れていた。


 原因は明白で、メギドナの吸精に耐えきれなかったことによるショックによるもの。


 レインはその姿を、苦々しく見つめることしか出来ない。


 レインにとっては何度も見ている光景だが、慣れることは出来なかった。


 何も出来ない自分への怒りを抑え込むかのように、歯を食いしばる。


「本当に……やるですか……メギドナ様……。」


「あらぁ?貴女が話したいことがあるって言うから時間を取ってあげたのに、言いたいことはそれだけかしらぁ?」


 メギドナはレインの発言に、眉を顰めて不機嫌に眼を吊り上げた。情事の後であることも含めて、明らかに人の話しを聞く態度ではない。


 しかし、レインはなんとか言葉を紡ぎ出す。


「マリエナは、もう、眷属は見つけられないはずです。レクスという男も、ただの身代わりです。メギドナ様が何もしなくても、マリエナがクライツベルンの跡取りにはなれないはずです。だから……。」


「うるっさいわねぇ!!」


 メギドナの苛ついた怒号に、レインはビクリと肩を震わせる。


 メギドナの眼は、怨嗟のこもったように濁り、吊り上がっていた。


 歯を食いしばるようにレインを睨みつける。


「貴女、何様のつもりかしらぁ?今、貴女が学園に行けているのも、何不自由なく暮らせているのもアタシのお陰よ?……そんな貴女が、アタシに口答え出来るのかしらぁ?」


「そ……そんなつもりはないです!でも、マリエナを手に掛けようというのは、やり過ぎだと……。」


「それが口答えって言うのよ!貴女……もしかして、マリエナに情が移ったとか?あの似非な清楚で可憐ぶった売女の、何処がアタシに勝ってるっていうのよ!」


「そ……そんなことは……ない……です。」


 震えて俯くレインを、メギドナは忌々しいように睨みつけていた。


 ◆

 レインは、元は平凡な商家の生まれだ。


 裕福でなくても、優しい両親の元に生まれた一人娘で、玉のように可愛がられ、育てられていた。


 商家の看板娘として、近所でも評判だったレイン。


 家の手伝いをして、休日には広場へ両親と出かけ、家では暖かく食卓を囲む。


 マリエナと同じ絵本が好きな、ごく普通の幸せな家庭の、そんな女の子。


 しかし、ある時にその状況は一変する。


 一瞬の衝撃が、レインの乗っていた馬車を襲った。


 馬車が横転して車輪が空回りし、自身から離れて頭から血を流す両親の光景を、レインははっきりと覚えている。


 レインの両親が、馬車との事故によって帰らぬ人となってしまったのだ。


 両親はレインを庇う形で犠牲となり、レインのみが生き残った。


 相手の馬車の主が、メギドナ・クライツベルン。


 賠償金も支払われたが、メギドナはなんの気まぐれか、その際にレインはメギドナのメイド見習いとして雇われた。


 とはいえ、メギドナの屋敷にメイドはレイン一人きりだったのだが。


 任された仕事のうち、給仕や清掃は当たり前であり、それらはレインの苦ではなかった。


 そして、メギドナのメイドとしての仕事をしていくうち、レインは「地獄」を目の当たりにする。


 レインの新たに任された仕事。


 それは、吸精が終わったあとの男性の「処理」。


 吸精が終わったあとの男性は、ほとんどが死にかけていた。


 一般的なサキュバスの吸精でここまで搾り取ることはほとんどない。


 男性が死んでしまっては、元も子もないのだから。


 メギドナの吸精が、何故か苛烈すぎるのだ。


 吸精が終わった、奴隷のような男性に聖魔術をかけて回復させる。


 それが新たにレインに任された「仕事」だった。


 その仕事で聖魔術で回復させることが出来るのであれば御の字であり、大抵は「最期を看取る」ことが多かった。


 その後に、看取った男性を葬儀屋に手配する。


 レインは、幾人もの男性の最期を看取ってきたのだ。


 そんなレインのスキルは、「子守唄」。


 精神に干渉するスキルではなく、ただただ相手に寝てもらうだけだ。


 聞かせたい人を想い、相手の側で歌うことで、相手を寝かせるというただそれだけのスキル。


 レインは聖魔術でも手の施しようがない男性に、それを使っていた。


 なんの役にも立たなそうなスキルだと思っていたレインは、これだけには感謝している。


 何故なら、苦悶の表情を浮かべていた男性が、安らかな顔へと変化するのだから。


 それを使うレインは、自身の聖魔術の無力感にずっと苛まれていた。


 だからこそ、聖魔術を使わない治療法に、何処か憧れを持っていたのだ。


 そんな中で決まったのが、レインの学園への入学。


 その使命は、マリエナの動向をメギドナに報告することだった。


 ◆

「あ……あちしは、それで学園全体を巻き込みたくないだけです。……いくらなんでも、やり過ぎだと思うです。」


 睨みつけるメギドナに、レインは声を震わせながらも、なんとか言葉を紡ぎ出した。


 しかし、メギドナはそんなレインに対して、いかにも不機嫌に口元を曲げる。


 だが、直後。


 不気味にメギドナは口元を吊り上げた。


「そんなことはないわよぉ。ようやく、アタシの悲願が叶うの。あの売女をこの世から消して、学園の男子生徒は、皆アタシの眷属になる。そしてアタシはクライツベルンの当主に返り咲くの。とってもいいことじゃない。アタシの眷属になれるなんて、光栄なことよぉ?」


 狂っている。


 レインは素直にそう思った。


 数日前から、メギドナの吸精回数が異常に増えていたのだ。


 さらには、以前からマリエナを恨むことはあれどここまで露骨なものではなかった。


 それが今、マリエナへ復讐するかの如く殺気立っている。


 何故かは、レインにすらもわからなかった。


 メギドナはベッドから立ち上がると、ベッドの傍にあった服を纏う。


 その間も、倒れ込んだ男性は放って置かれたままだ。


「レイン、明日は予定通りにやるわよぉ。あの売女がいる限り、クライツベルンの当主はあの売女になってしまうもの……そうだ、アタシの魔眼が効かなかったあの餓鬼も一緒に葬ってあげましょうかしら。アタシのものにならないなら、消えてもらうしかないものねぇ。」


 その言葉に、レインはビクリと身体を震わせて眼を見開く。


 レクスのことであるのは、火を見るように明らかだ。


「れ……レクスも、ですか?」


「当たり前じゃない。それに愛するマリエナと一緒に天に召されるなんて、ラブストーリーでは定番じゃないかしらぁ?……ええ、それがいいわねぇ。」


 何処か納得したように薄ら笑うメギドナに、レインは何も言えなかった。


 言ったところで、無駄だとはわかりきっている。


 言い返したら、燃えている火に高度数の酒を注ぐようなものだ。


 余計に煽ってしまうことを、レインは恐れたのだ。


「それに、万が一の備えもあるもの。うふふ、明日が、あの女の最期よ。……あの女の子も、良いものをくれたわぁ。」


 メギドナが服から何かを取り出す。


 それは、どす黒い闇が濃縮されたような液体を封じたアンプル瓶。


 メギドナは不気味な笑みを浮かべながら、楽しそうにその瓶を見つめると、服の中に戻した。


 それからメギドナはレインを《《何時も通り》》に見つめる。


「《《後片付け》》お願いねぇ、レイン。アタシは少し、寝てくるわぁ。明日のためにも、魔力は温存しておきたいものねぇ。」


 ふぁぁと欠伸をしながらレインとすれ違い、部屋を出ていくメギドナ。


 ドアがバタンと音を響かせ閉じられたのち、レインは倒れた男性に歩み寄る。


 覗き込むと、男性は白目を剥き、もう息は無い。


 ぽたりぽたりと、レインの瞳から雫が落ちる。


 何も出来ない虚無感が、レインの中から湧き上がる。


 すると頭の中で、誰かの声がふと、蘇った。


『大事なのは、贖罪の意思だ。それがありゃ、少なくとも俺は文句を言わねぇよ。』


 昨日の、ひっそりと憧れている人の言葉だった。

 そしてレインは口を開く。


「〜〜♪〜〜〜♪」


 レインの子守唄が、狭い部屋に響きわたる。

 するとみるみるうちに、男性の顔は眠るように眼を閉じた。


 これが、今のレインの精一杯の贖罪。


(レクスさん。ごめんなさいです。あちしは、《《約束、守れそうにないです》》。だからせめて…皆を、助けるです。それが、あちしに出来る、唯一の贖罪です。……例え、あちしの居場所が潰えようと。)

 

 その歌は、まさに鎮魂歌。


 部屋に響く歌声は、何処か悲しげに、切なげに。


 それでもレインは歌うことを止めない。


 これが無力な自分への、戒めだと信じているから。


 ぽつぽつと、雨が窓に当たる音が部屋に加わる。


 それはやがてザーザーと降りしきる雨音に変わった。


 窓の外には、重苦しい雲が黒く聳え立っている。


 空にはまだ、晴れ間は見えそうにはない。


お読みいただき、ありがとうございます。

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