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マリリーズは平穏無事な学園生活を望んでいたけれど、どうやらそうはいかないらしい。なにせエリク、王子というだけでなく、わりと容姿も整っている。女子生徒からとても人気がある、ということをマリリーズは先日初めて知った。
「エリク殿下に易々と近づくのは規則違反ですわよ」
数人の女子生徒を従えてマリリーズの前に立ちはだかった彼女は、エリクと同じ学年の侯爵家のご令嬢アネット。エリクには親衛隊というか、ファンクラブのようなものがあるらしく、彼女はそのリーダーなのだそうだ。なんだその組織。
そしてエリクの学園生活を邪魔しない、というのが規則にあるらしく、マリリーズがそれに違反しているという。
マリリーズはその組織に加入した覚えはないし、入っていない以上、規則を守る必要もないはずだ。その前提を踏まえた上でも、言われていることはおかしいと思う。
「わたくしからは近づいていませんよ」
「そのような言い訳は見苦しいですわ。エリク殿下と一緒にいるところをたくさんの方が見ていますのよ」
そりゃ見られているだろう。なにせ彼、目立つから。
だけど、今言っていることはそれではない。マリリーズは自分から近づいているわけではなく、エリクから近づいてくるのだ、と言った。マリリーズから寄っていっているわけではない以上、近づくなと言われてもどうしていいかわからない。
「エリク様を見たら毎回逃げろと、そういうことをおっしゃっているの?」
「まあ、そんなことは言っていないでしょう。易々と近づくのはよろしくないと、そう言っているだけではありませんか」
だから、こっちからは近づいてないっての!
そう言っているのに、彼女たちは聞く耳を持たない。
人の、話を、聞け?
この学園はエリクを筆頭に意思疎通できない人ばかりなのか?
「それから殿下のことを蔑むような目で見るのは不敬でしてよ」
「はあ……?」
「まあいやだ。自覚がないのかしら。まるでハエを見るかのような目でエリク殿下を見ているではありませんか。殿下はハエではありませんわよ」
言い方がイラっとしたので、同じように返してやる。
「まあいやだ。エリク殿下のことをハエに例えるなんて、それこそ不敬ではございませんこと? さすがにわたくし、殿下をハエだと思ったことはありませんわよ」
蚊かと思った、と言って、はたいたことならばあったけれども。
「やあ、賑わっているみたいだけど、何の話だい?」
颯爽と現れたのはエリク。ご本人登場である。
親衛隊の皆がパッと顔を赤らめた。本当に人気あるんだなこの人、と思わずエリクを上から下までじろじろと見てしまった。
「なんだよマリー。何かついているか?」
「ご安心ください、カブトムシもカナブンもついていませんよ」
「そりゃよかった。で?」
「エリク様に近づくな、と言われていたところです。ということで、わたくしはこれで」
「まてまてまて」
さっさと去ろうとしたら、腕を掴まれた。
そういうことをするから、親衛隊の皆様に睨まれるのでは? とさすがのマリリーズも思った。
エリクは親衛隊のほうを向くと、にっこりと微笑んだ。
「君たちにはいつも助けられているよ。ありがとう」
「いっ、いえっ、そんな」
彼女たちは息も絶え絶えといった顔をしている。エリクってすごいんだな、ともう一度彼をじろじろと見てしまった。
こうしてみると、たしかに王子らしいかもしれない。いや、どうだろう。
きっと彼女たちはエリクの本性を知らないのだ。芋虫をプレゼントしてくるヤツだぞ?
「状況を整理すると、みんなの王子であるはずの俺がマリーと仲が良いので、抜け駆けは禁止だとマリーを諭している、ってところであってる?」
うわぁ、みんなの王子、だって。みんなの王子エリク。
ぞわりと鳥肌が立って身震いした。よく自分で言うな、それ。もはや尊敬に値するかも。
「マリー、何か失礼なこと考えてなかった?」
ニコリと笑って聞かれたので、そっくりそのまま答えた。
「よくご自分でそんなことを口にできるなと、尊敬に値すると思っておりました」
「褒めてもらえて嬉しいよ」
誉め言葉と受け取れるところもまた尊敬に値する。
「ところで、たしか、俺の学園生活を邪魔しない、っていう項目があるんじゃなかったっけ?」
「は、はいっ、ございます」
「それなら……、邪魔しないでほしいかな」
エリクはニッコリとマリリーズに微笑んでみせる。まるでマリリーズとのことは放っておけと、エリクの意向なのだから邪魔するなと、そう言っているかのようだ。
マリリーズは思わずハエを見るような目でエリクを見てしまった。
「それに、マリーを怒らせると怖いぞ。なにせ俺は腕の骨を折られたことがある」
「まあぁ!」
親衛隊がそろって口を押さえ、信じられないというようにマリリーズを見た。
「語弊のある言い方をしないでいただけます? わたくしが登った木にエリク様が登ってきて、落ちて、骨を折った。わたくしは指一本触れていません。何もしていませんよ」
「何もしてないってことはないだろう。こんな低い木にも登れないのかと煽ってきたじゃないか。そう言われなければ登らなかった。すなわちマリーのせいだ」
なんだその子供じみた言いぐさは。どう考えても自業自得である。
「わかりました。わたくしのせいでエリク様の腕が折れた、ということにとりあえずしましょう。なるほど。ということは、エリク様はか弱い女性に骨を折られるほど軟弱な王子だと自ら言っていることになりますけど、よろしいのですか?」
「か弱い」
「なんでそこだけ繰り返しました?」
二人のやり取りに親衛隊は唖然とした顔をしている。
ちなみにこんなやり取りに慣れているエリクの護衛とか取り巻きたちは、ただ笑いを堪えるような顔をしていた。