化蜘蛛
ある寂れた村に一人の男がやってきた。逞しい体に腰に下げた武器。一目で武芸者と分かるその佇まいに村人たちは目を瞠る。
村人たちの視線の中になにかを期待するような視線が混ざっていることに気が付きながら男は丁寧な口調で、どこか寝泊りできるような場所はあるか、と尋ねた。
「風をしのげる壁さえあれば、土間でも構わないのだが」
すると村人たちは口を揃え、村長の家に行くと良いと答えた。
村人たちの案内で村長の家に着いた男は、事情も話さぬ内に思わぬ歓待を受けることになる。
器量の良い娘の酌を受けながらしばらく酒を飲んだ後、男は村長に尋ねた。
「なぜ名も知れぬ私などをこのように歓迎するのか」
すると村長は悲しげな顔をしてこう答えた。
「明日の晩に、私の一人きりの娘を大蜘蛛に捧げなければいけないのです。娘の短い人生の最後を、少しでも良いものにしようと今日は盛大に騒いでいるわけでございます」
「すると、先ほどの娘が?」
男の言葉に村長は頷き、目に涙を浮かべた。娘もいつの間にか近くに来ており、悲しそうに顔を伏せている。
それを見る内に、男の心に義憤の炎が燃え上がった。すっくと立ちあがると、その蜘蛛とやらはどこにいる、と尋ねる。
村長と娘はまさか、という顔をすると男を見つめた。
「その大蜘蛛とやら、私が退治してみせよう」
引き留める二人を押し切りその蜘蛛のいる場所を教わった男は、酔いを醒ますために頭から水を被り、村の裏にある山へと向かった。
その山にある崩れかけの社こそが大蜘蛛の住処であるというのだ。すでに日も落ちかけているが、善は急げと男は山を歩き始める。
山を登り始めてしばらくすると、村長に教わった目印の鳥居が見えてくる。男は鳥居の真ん中を堂々とくぐると、腰に下げていた鞘から刀を抜き払い、夜の闇に沈む社に向かい大声で叫んだ。
「姿を現せ、人喰いの蜘蛛よ。この俺が退治してくれよう」
その声に応じるように社が動いた。否、男が社だと思っていたのは、巨大な蜘蛛の体だったのだ。
胴体は家のように大きく、八本ある足はそれ一つだけでも大人の胴体ほどもある。
なるほど、村人たちが大人しく生贄を差し出すわけだと小さく頷き、油断なく蜘蛛を見ていた男の首に、突如として激痛が走った。
咄嗟に痛みの元に手をやれば、べっとりと赤黒い液体で手が濡れた。
なぜ、と思いながら後ろに目をやれば、鳥居のすぐそばに弓を持った老人が一人、ニヤニヤと笑っているのが目に入った。
なぜ、と。疑問がもう一度頭をかすめるが、その答えにたどり着くよりも先に男の意識は体を離れた。
「大蜘蛛様には毎度、感謝していますよ」
村長はそう言いながら慣れた手つきで男の体から荷物を、武具を、服をはぎ取り裸にして大蜘蛛の方へと転がした。
蜘蛛は男の体を咥えると社の方へと戻って行く。
蜘蛛が村長とその娘を害することはない。彼らは、彼らの祖先と同じく蜘蛛に餌を運ぶ存在なのだから。