最弱の勇者と最強の勇者の物語
※流血や人体欠損などの残酷描写があります。苦手な方はご注意ください。
――ドサッと音を立てて、俺の左腕が地面に転がる。
相手の方は全くの無傷。……全く、割に合わないったらないぜ。
『……そろそロ、死ぬ覚悟はできたカ?』
人間種には発することのできない、異音のような声で敵手――魔王が俺に問う。
それは俺にとって死刑宣告に等しい。
――なんで、こんなことになっちまったのかなぁ。
俺はほんの少し口元を歪め、気合いを入れて左腕の出血を抑える。
こんな俺でも、〝最弱〟とはいえ「勇者」の端くれだ。体内の『気』を高めて止血するぐらいのことはできる。
「……フッ!」
逆境を撥ね退けるように、呼気と共に声を出した。
右手で剣を正眼に構える。
……まだだ。まだ死ねない。
援軍は期待できない。
勇者の七割は首都の防衛に当たっているし、残りはそれぞれの故郷にでも帰っているだろう。
こんな片田舎に出張って来るやつはいない。
「……こんな田舎に何の用だ。クソ魔王が……」
それは純粋な疑問だった。
てっきり首都を攻撃すると思っていたから、油断していたのは事実だ。
答えが返ってくることは期待していなかったが、魔王は意外にも戦意を緩め、俺の問いに答える姿勢を見せた。
『……知れタ事。勇者とそノ子孫を根絶やシにするためダ』
「……何?」
問い返しながらも、俺は魔王のその答えに心当たりがあった。
『……キサマもその一人だろウ、勇者よ。かつテ余を倒しタ男と同じ気配を感じるゾ』
「…………」
――期待外れだ。
そう答えたいところだが、魔王の判断はあながち間違いでもない。
それは俺が〝最弱の勇者アレン〟の名前と血筋を継いでいるからだ。
……あぁ、そうさ。俺はあの「ニセ勇者」の子孫なんだよ。
*
魔王が復活したのは一ヶ月ほど前の話だ。
五百年前に倒された魔王の復活。
その凶報は瞬く間に国中を駆け巡った。
一度は滅びたはずの魔王がどうして復活したのか。それは誰にもわからない。
――じゃあ、俺の出番かって?
そんなわけないだろう。
俺はこの国に百人いる勇者の序列百位。文句無しの最弱だ。
昔、親父から口伝で聞いた話によれば、彼の勇者アレンは魔王を倒す前、精霊の加護をその身に宿していたらしい。
それにより、並の勇者十人分の力を発揮できたって話だ。
……眉唾な話だろ? 俺だってそう思う。
なぜかそっちの話は巷には正確に広まっていない。代わりに、勇者アレンが魔王を倒した後で〝最弱〟になったという「事実」だけは、この国の民なら子供でも知っている。
ともあれ、俺はそんな大層な精霊の加護なんて持ち合わせていない。
だから、いくらご先祖様が倒した魔王が復活したからといって、俺に声が掛かるなんて話もない。
――そう、思っていたのだが……
「よお、アレン。知ってっか? 魔王が復活したんだってよ。お伽噺は本当だったんだなあ。……お前、ちょっと行って倒して来いよ。お前も魔王を倒したご先祖様と同じ〝最弱のアレン〟なんだから、できるだろ?」
「…………」
ニヤニヤと笑いながらそんなことを言ってきた男に、俺は文字通り閉口した。
こいつの名はクライド。序列十一位の勇者だが、性格はクソである。
「おい、なんとか言えよ。それとも、また泣かされてえか」
無視を続ける俺に対し、クライドが自身の腰の得物に手を掛けたとき――、
「――やめなよ」
凛とした声がその場に響いた。
それは俺のよく知る声だ。
「エミリア……」
俺は口の中で彼女の名を呟いた。
序列一位、最強の勇者。それが俺の幼馴染であるエミリアの肩書きだ。
彼女は俺と目を合わせると、花が咲いたような笑顔を見せた。
エミリアの登場を前に、クライドは面白くなさそうな顔をして聞えよがしに舌を打つ。
「チッ! いいよなぁ。最弱のお前なんかが、最強の勇者様に庇ってもらえるんだからよぉ」
「クライド、これ以上アレンを貶めるのなら、私が相手をするわよ」
「あー、わかったわかった。邪魔者は退散するぜ。……ったく、最強様は冗談が通じなくて行けねぇ」
悪態を吐いたクライドだが、エミリアがほんの少し威圧すると慌てて両手を上げ、捨て台詞を残しつつ歩き去っていった。
「魔王を討伐しに行くことになったの。隊長は私」
「そうか……」
エミリアの言葉は、当たり前の結論を示していた。
最強の勇者である彼女が、序列一桁台の勇者達を率いて、魔王を倒す。
非の打ち所のないストーリーだ。
「パパッと行って帰って来るから。応援してくれる?」
まるで近所にお使いにでも行くかのような気軽さで、エミリアは言った。
「ハンッ! 相手は魔王だぞ。油断してんじゃねえぞ」
最弱の俺なんかが彼女に指摘するのも烏滸がましいが、軽く考えているようだったら改めた方が良いだろう。
そう思って、一応はそんな言葉を掛けておいた。
すると、エミリアは嬉しそうに笑みを深めた。
「うん、大丈夫。私、最強だから」
「……本当にわかってんのかよ」
俺は呆れて肩を落としたが、エミリアは終始ニコニコとしていた。
*
俺とエミリアは〈オースティン〉という田舎町で生まれ育った。
〝最弱〟ながらも勇者の家系である俺は幼い頃から父に稽古をつけられていた。
すると、家が隣で同い年だったエミリアも俺の真似をして遊ぶようになった。
それに目をつけた父が面白がって一緒に稽古をつけていたら、あっという間に俺より強くなってしまった。
「大きくなったら、あたしがアレンのこと守ってあげるね」
それ、ふつう男の方が言うやつだろ?
俺は彼女に負けたくない一心で、必死に稽古をこなした。
その甲斐あって、なんとか勇者にだけはなることができた。
「なんでオレに『アレン』なんて名前付けたんだよ!」
幼い頃のある日、近所のガキ共に馬鹿にされた俺は、父に対して怒りを発散していた。
俺のそんな言葉を聞いた父は、悲しそうに顔を歪めていた。
「何を言うんだ、アレン。魔王を倒した偉大なご先祖様の名前だって教えただろう?」
「でも、『ニセ勇者』なんだろ! そんなのと同じ名前なんてイヤだ!」
俺が癇癪をぶつけると、父は身を屈めて俺と目線を合わせてきた。
「ご先祖様はニセ者なんかじゃない。ちゃんと世界を救ったんだ」
「……どうやって?」
「それはね、――――」
それから父が語ったことは、一般には知られていない〝最弱の勇者アレン〟の真実だという話だ。
かつての勇者アレンはあるきっかけによって精霊ミュリエルに愛されることになり、その加護を得てから人並み外れた力を揮えるようになった。
しかし、精霊ミュリエルは魔王と刺し違えるようにして消滅してしまい、加護を失ったアレンは元々の実力よりも更に弱くなってしまった。
御前試合では連戦連敗し、その結果〝最弱の勇者〟と「ニセ勇者」の呼び名が定着してしまったのだそうだ。
話を聞いたからといって俺が自分の名前を好きになることはなかったが、このとき聞いた父の話を忘れたことはなかった。
*
「エミリアが、死んだ……?」
俺は自分の声が震えていたのがわかった。
このときの俺は、果たしてどんな表情をしていただろうか?
俺の目の前には、序列二位の勇者ルークがいる。
見るからにボロボロの彼は、沈痛な面持ちをしていた。
「すまない、アレン。僕は彼女を守ることができなかった。深手を負った彼女は他の勇者達を逃がすために殿を務めて――」
「そんなことってあるかよ‼」
ルークの言葉は続いていたが、俺はたまらずに感情を爆発させてしまっていた。
「待て、アレン! どこに行く!」
手を伸ばすルークを無視し、俺は外に飛び出した。
全力で駆け続けた俺は、いつしか首都の外縁部まで来ていた。そこはエミリアが好んでいた見晴らしの良い丘の上だ。
「――――‼」
俺は言葉にならない声を叫び、彼女の死を嘆いた。
信じられなかった。受け入れたくなかった。
もう彼女は、この世界のどこにもいないのだ。
「斥候からの報告では、魔王はこの首都に向かって来ている。序列七十位以上の勇者は首都防衛にあたるが、それ以外の者は自由だ。故郷に帰るなり、家族と別れの時間に浸るなり、好きに過ごしてくれ」
翌朝、残る九十九人の勇者全員を集めたルークは、やや投げやりな様子でそう言った。
最強の勇者を失って敗北した彼は、この国を魔王が蹂躙することを受け入れてしまっているのかもしれなかった。
「それじゃあ、ワシは故郷に帰ろうかのう。アレン、お前さんはどうする?」
「……俺も帰るよ」
序列九十九位の老勇者に問われ、俺は覇気の無い声で応えた。
――魔王と出くわしたのは、故郷〈オースティン〉への道中のことだ。
*
『……なゼそこまで抗ウ? 苦しム時間が長引クだけだろうニ』
「……言ってろよ……」
不思議そうに訊ねてくる魔王に悪態を吐きながら、俺は少しでも呼吸を整え、相手の隙を探る。
俺はもう満身創痍だ。
あの後、片目を抉られ、全身を切り刻まれ、内蔵をぐちゃぐちゃにされた。
『気』で無理やり体を動かしてはいるが、控えめに言って半死半生だ。
なんなら、このまま放って置かれても死ねそうな気がする。
それでも俺がまだ死ねないと思っている主な理由は二つ。
一つは故郷とそこにいる家族を守るため、もう一つはエミリアを殺したこいつに意趣返しをするためだ。
『……理解に苦しむガ、ここまデ戦ったお前に慈悲をやろウ。一思いニ殺してやル』
「……くそったれ」
魔王の右手に黒い渦が収束していく。
その技に込められている威力は、明らかに俺の全身を吹き飛ばしてなお余りあるものだ。
俺は最後の力を振り絞って魔王に突撃しようとした。
だが次の瞬間には、間抜けにも前のめりにすっ転んだ俺が地に伏せていた。
「え……?」
両足の感覚がなかった。どくどくと熱い液体が腿の辺りから流れ出ているのを感じる。
魔王は黒い渦を見せ札として、一瞬で俺の両足を刈り落としたのだ。
倒れ込んだ俺のすぐ傍まで魔王が近づいて来ていた。
魔王は右手をかざし、今にも黒い渦を俺に放とうとしている。
『死ネ』
「……ちくしょう……」
残った片目から涙が溢れる。
結局、一矢報いることすらできなかった。
……エミリア、すまねえ。
〝――私が、守ってあげる――〟
それからどれだけの時が経っただろうか。
血まみれのボロクズとなった俺は、数秒から十数秒ぐらい意識を失っていたのだろう。
『……バ、馬鹿ナ……!』
気づけば、魔王が驚愕したような声を発していた。
……さっさと殺せばいいものを、なにをモタモタしてるんだか。
俺は両目を開き、両手を地面に突いて両足で立ち上がる。
柔らかな光が俺を包み込んでいた。
魔王はこの光のヴェールに阻まれ、俺に近づくことができないらしい。
俺はどことなく夢見心地のまま、その光に手を触れた。
するとその光から懐かしい気配を感じた。
「……エミリア?」
俺の声に反応して、光が瞬いたような気がした。
光がふよふよと形を変え、俺のよく知る彼女の顔が浮かび上がる。
〝――アレン、ただいま〟
半透明の彼女の唇が動き、声は直接俺の脳内に響いた。
「やっぱり、エミリアなんだな。お前、どうなっちゃったんだよ。『鬼火の怪』にでもなったのか?」
俺がポピュラーなアンデッドモンスターの名前を出すと、エミリアはふるふると首を振った。
〝違うよ! そんなのと一緒にしないで〟
頬を膨らませ、少し怒ったように彼女は言った。
それから彼女は真実を告げる。
――それは俺とエミリアにとっては、やや残酷な真実でもあった。
〝――この姿になって初めて気づいた。……私は精霊ミュリエルの生まれ変わり。あなたを助けて、魔王を倒すために生まれたの〟
「――……そうだったのか」
エミリアの言葉によって、俺はようやく精霊がどんな存在かを理解できた。
長年の疑問だったのだ。ご先祖はなぜ精霊について書物に記録せず、口伝にヒントだけを残したのか。
彼女が精霊として真価を発揮するためには、人としての命を捧げなければならなかったのだ。
『……おのレ、勇者メ!』
魔王は先ほどまでの比ではないほど濃密な魔力を身に纏い、おどろおどろしい瘴気を周囲に撒き散らしている。どうやら先ほどまで俺の相手をしていた際は、かなり力をセーブしていたらしい。
だが、もう全く負ける気はしない。
「……じゃあ、とっととあいつを倒すか」
精霊となったエミリアを構成する全ての光の粒子が俺の体に吸い込まれ、全身に爆発的な力が漲るのを感じた。
気づけば、あれだけズタボロだった俺の体は万全の状態にまで復活していた。
彼女の声が俺の内側から聴こえる。
〝ええ! 私たちは最強なんだから〟
――こうして俺たちは、ニセモノではない〝真の勇者アレン〟になった。