辺境領主館の執務室 2
「気にかかること?」
「侯爵令嬢の嫁入りにしちゃあ、お粗末なんだよ。馬車は立派だったけど、その壊れたやつ一台だけだし、侍女も護衛もいない。しかも、王都からついてきたのは馭者が一人だけ」
「ありえないな。その馭者が相当な手練れとか」
「いや。普通の爺さんで、魔力も戦闘経験もない。素人もいいとこだよ」
貴族の婚姻は、馬車が列をなすほど輿入れの荷を伴うのが通常だ。しかも王命での結婚である。下賜される祝いの品だけでも相当なはず。護衛が付かないわけがない。
侯爵家の一人娘ともなれば、使用人も大勢引き連れて来るのが通例だ。
「馭者は侯爵家の専属か?」
「先月雇われたばかりのね。前職は別の領地で小作人をしていたんだって。辺境の地理に明るいわけでもなくて、山道で迷っているうちに、轍に嵌まって身動きが取れなくなったらしいよ」
単身での嫁入りに、雇われたばかりの不慣れな馭者――怪しむべき要因が満載である。
そして事件のあった現場は、ぎりぎりフォークナーの領地内。
「……警備を薄くしておいて、わざと襲撃させた可能性があるな」
「やっぱりその線を考えるよねえ」
ディランの読みにアーサーも頷く。
王命での婚姻に際し、こちらに僅かでも落ち度があれば、ディランの責任を追求する名目で宮廷貴族たちが嘴を挟んでくるだろう。
「嫁入りの道中に領内で襲撃を受けたなんて、大っぴらにこちらの非を問えるもんなあ。山盛りの賠償金請求と、王宮の息の掛かったお目付け役の常駐も合法的にできるしね」
実父がボロボロにした領地の治安と経済は、ようやく立ち直ってきたところだ。活気を取り戻したばかりの領民からまた搾取をさせるなど、到底受け入れられない。
くしゃりとかき上げた黒く艶やかな前髪の下で、怜悧な薄青の瞳が険しく細められる。
「でも、本当にたまたま行き合って襲われただけかもしれないし、フォークナーではなく、コーネリア嬢本人やウォリス侯爵家を狙った可能性もあるかも」
「アーサー、本気で言っているのか?」
「さあねえ。まあ、令嬢本人は一応無事だったから、最悪の事態は避けられたよね。魔力枯渇の反動で意識を失っているけど、目を覚ましたら尋問――いや、事情聴取させてもらうよ」
「ああ。俺とカイルも立ち会う。……そういえば、巻き込まれたシスターはどうなった? 重傷だと言ったな」
「そうそう、賊が打った矢が当たってね」
ディランに言われて思い出した様子のアーサーが、同情を顔に浮かべた。
「大丈夫、手当ては済んだ。だけど、かなり出血が多かったようで、しばらく目は覚めないだろうって。現場に行った警備隊員の中に修道院の孤児院出身者がいてさ。幼なじみだって言って、かなりショックを受けていたな」
「警備隊にいる孤児院出身というと、ロイか。しかし、幼なじみ? 修道院のシスターは年配の者ばかりだろう」
「一人だけ若い子がいるんだ――って、ディランは市に顔を出さないから知らないか。いつもはその子とおばあちゃんシスターの二人で市に来るんだけど、今日は一人で来てたみたい」
そういえば、見習い修道女がいると聞いた気がする。修道院は管轄外だし、個人的にも興味がなくて流していたが。
「見習いっても生まれたときから修道院育ちで、もうすぐ正式な修道女になるらしい。領内にいる孤児院出身の子とも仲いいし、市場のおばちゃんたちからも可愛がられているから、助かってよかったよ。すごい美人ってわけじゃないけど、明るくてさ――」
「興味ない」
情報通なアーサーの雑談を遮れば、やれやれと肩を竦められる。
「はいはい。そういうことで、大怪我はするし、市で売る予定の荷も全部ダメになっちゃうしで、シスターは災難だったねえ」
コーネリア自身が狙われたにしろ、間接的にディランや領地が狙われたにしろ、通りがかりのシスターが巻き込まれただけの被害者なのは間違いない。
「でもさ、あそこにいたのがおばあちゃんシスターだったら、弓矢の段階で即死だったろうね。九死に一生で幸いだよ」
「巻き込まれて幸いもなにもないだろう」
「身も蓋もないなあ、ディラン」
背中に矢を受けたシスターは救護班による治療を受け、回復用の高価なポーションを惜しみなく与えられたが、まだ意識は戻っていないという。
(たまたま行き合ったばっかりに……不運だな)
毎日熱心に祈っているはずの修道女がこんな目に遭うのだ。やはり神など当てにならないと、改めてディランは思う。
「アーサー。シスターと修道院へ賠償と見舞金を」
「ディランがそう言うと思って、勝手に済ませといた」
市で売るはずだった荷の代金と見舞の品などを持たせ、新しい荷車と共に、幼なじみの兵士を同行させて山の上の修道院に戻したという。
「この雪が積もると修道院に帰れなくなるだろ。まだ意識は戻ってないけど、冬の間中フォークナーに置いておくわけにもいかないから。で、そろそろコーネリア嬢もこっちに着くだろうけど彼女はどうする?」
「……離れの塔に入れておけ」
「おっと、あそこ使うんだ」
「拘束はしなくていいが、交代で終日見張らせろ」
「そこまでする?」
ディランの指示に、アーサーは驚いた顔をした。
敷地内とはいえ、本館から離れたところにある古い塔は、かつて貴人の牢獄として使われた場所だ。
そこに入れるということは、罪人として扱う事と同義である。
「あれは敵だ」
「まあ、その点はディランに同意するけど。じゃあ、カイルに魔術結界も張ってもらおう」
「お前のほうが厳しいじゃないか」
「頑丈さには定評のある塔だけど、コーネリア嬢の魔力は侮れないからね。念のためだよ――ああ、噂をすればなんとやらだ。到着したみたいだ」
窓の外から複数の声や馬車の音が響く。
見おろすと、魔術団長のカイルに付き添われながら、担架に乗せられた金髪の令嬢が運び込まれてくるところだった。